「ボーイズ!うろつくべきだぜ。空がまた暗くなるとしてもだ。」
▼徹子の部屋 2002/8/14
http://www.h2.dion.ne.jp/~kinki-bc/z14-8-14.htm
>(黒柳徹子)「今日は終戦特集をお送りしているんでこんなお若い方がどうしてってお思いかもしれませんけども、この前出ていただいた時に終わりのほうでお母様がじつは2人いらっしゃったということからあのお産みになったお母さんのお話から戦争の話になってそこで終ったのでぜひ終戦特集の時においでくださいということでおいでただきましてちょっと繰り返していただくのも何なんですがちょっとお父様が、あなたがお父様と思ってらしたかたが亡くなった。それは割りと17年ぐらい前の話ですかね」
>(忌野清志郎)≪ええ、そうですね。88年ですね≫
>「14年前ですね」
>≪そうですかね。父がなくなって≫
>「お母様はすでに亡くなって」
>≪その2年前ぐらいに亡くなっていたんですけども。父がなくなって初七日が住んだ頃に親戚の叔母さんが荷物をたくさん持ってきてくれてその中に僕の本当の母の形見というんでしょうか、その類のを初めて見たんですけども≫
>「おまえには本当の母親がいたんだよと。ビックリなすったでしょ」
>≪写真とかも初めて見たんですけども≫
>「あなたをお産みになったお母様の」
>≪ビックリしましたね≫
>「あなたが小さいときにお亡くなりになったんでしょ。実母の方は」
>≪そうです。3歳のときに≫
>「何となくは薄々は感じていたんだけども育ててくれたかたが2人ともお優しい方だったんでいいかっておもって詮索はしなかったんですって」
>≪そうですね≫
>「そのままでいくと思ったら親戚が本当のお母さんはこの方だと。でもお母様として育ててくださった方は本当のお母さんの妹さん?」
>≪ええとお姉さんですね。叔母さんですね。≫
>「お姉さまの夫婦のところで育てられて本当の実両親だと思って。でもさっきの写真(※実のお母さんの写真が登場した)をはいけんするとあなたそっくりですものね。じぶんでもそう思います?」
>≪はい≫
・・・
>「これがお母様の遺品でずいぶん親戚の方が長く持っていてくださったんですね。しかも始めて分かった事なんですけどもお母様が亡くなったのは今から48年ぐらい前のことだそうですけどもテレビが世の中に始まったぐらいのことなんですけども。その実はお産みになったお母様があなたのお父様になる方と会う前に結婚してらした」
>≪そうなんですね≫
>「しかもその男の方が戦死なさった」
>≪そうですね。最初に結婚した人がレイテ島のほうで戦死なさったそうです。≫
>「その辺のところまでこの前にうかがったんですね。あなたのような若い人が戦争と関わりあうような事があとでわかったというのはね。ちょっとよろしいですか拝見して。これはあなたをお産みになったお母様がキチッとスクラップにしてらした」
>※前の旦那さんの写真や旦那さんからの手紙などを忌野さんの生みのお母さんが張ったアルバムを持ってこられた
>≪そうですね≫
>「あのまあ一番最初にこれがあなたとは血のつながりはないけどもあなたのお父様と結婚する前に結婚されていた方がこの方です。まわりにお母様が色々お書きになってるんですけども”かえらざる人とは知れどわが心なお待ちわびぬ夢のまにわに”、”夢ならであえがたき君が面影の常に優しき瞳したもう”。こういうお歌が書いてあってずっとずーと待ってらしたっていうのが出てますよね。これをご覧になった時にどういう感じがしました?」
>≪ううん、ちょうどこれが自分の手元に来る時に反戦と反核のレコードを作っていたんですよ。カバーズという。それであの全然知らないで作っていたんですけどもそしたらこういうのが出てきたんでねすごい遺伝子が組み込まれてるのかなって思いましたね≫
>「お母様の戦争がいやだっていうものが遺伝子に組み込まれたんだと思います。・・・
>≪戦争を止めようとか平和運動とかあるのに全然変わんないですよね。かならず政治家が軍隊もとうとか≫
>「あなたは特に有事法制のことを」
>≪そんな事言い出すしね。何十年も経てば人間って進歩するのかと思ってたら全然そんな事ないですよね≫
>「普通25年経つと戦争があるっていわれてるのに日本は57年間戦争がなかったということはじぶん幸せな事だと思うんですよね。」
≪そうすよね≫
▼Love Me Tender 「何言ってんだぁ〜核などいらねぇ〜」
▼君が代
「君が代には憎しみしか感じない」(忌野清志郎・談)
▼あこがれの北朝鮮 「北朝鮮でぇ〜遊ぼうぅ〜♪」
▼宗教ロック
▼FM東京
▼高齢化社会
▼Day Dream Believer (らきすたMAD)
▼サラリーマン
▼boys(息子&ちびすけたちと共演。よっちゃん、かまやつ他も参加)
▼レイテ島の戦い@wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>レイテ島の戦い(レイテとうのたたかい)は、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘である。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた日本軍上層部は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。・・・
>損害
>(日本)戦死 79,261名
>(アメリカ)戦死 3,504名 戦傷 11,991名
http://www.h2.dion.ne.jp/~kinki-bc/z14-8-14.htm
>"お母さん私は今西の方を向いております。黄昏は深いジャングルの方に迫ってきました。だいぶ暗くなってきました。私の向いてる方だけ深紅にもえております。一面の青さの中でそこだけ明るくそこだけにおっております。その明るい方を向いておりますお母さんあなたの方を向いております。太陽もあなたのようです。気高く美しく愛情に満ちた夕焼けの太陽です。雲を染め海を染め森を染め山を染め私の心を染めて輝きわたる希望の色です。その色に磨かれて私はちかいたちます。あなたと一緒に毎日戦うのです。あなたの光に磨かれて強く戦い続けております。先ほどまで敵機はたけくまっておりました。砲弾はジャングルを揺さぶり続けておりました。今はすっかりしずかになっております。今日の戦争の苦しさも明日の爆撃の激しさもこの光の前にはものの数ではありません。この光をみつめております。あなたの方を見つめております。あなたの顔を見つめております。これは過日新聞に載っていた黄昏という詩ですが大変気持ちが私と同じように思えたので抜き書きしてお送りしました。何回も何回もよんでください。東京空襲の報を聞きましたがどうでした家のものには被害はありませんでしたか?こっちは雨もなくなりましたので実に暑さが厳しく感じられます。嘘みたいな話でしょう。・・・
>とうぶん便りは出せないと思います。皆々様によろしく。"