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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
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(財)神戸学生青年センター 5月のイベント

・・・宿泊施設としても使える神戸学生青年センター。
そののイベントをいくつか紹介。

▼神戸でのお泊りは、神戸学生青年センターで。
http://www.ksyc.jp/ryoukinn04.htm

▼神戸学生青年センター六甲奨学基金・古本市
 http://www.ksyc.jp/kikin/9903hon.htm
 今年は売れゆきがよくて4月25日までで1,869,251円の売り上げがありました。2002年の記録、244万円を越す勢いです。ゴールデンウイークにご来訪ください。
・日時:3月15日〜5月15日
・会場:神戸学生青年センター
・毎日ボランティアを募集します。交通費(片道500円まで)を支給します。5月16日には午前10時より撤収します。特にボランティアをよろしくお願いします。


▼「女性国際戦犯法廷」が問いかけてきたもの
−NHK番組への政治介入はなぜ、起こったのか?−
   http://www.ksyc.jp/c-s-ts/200504NHK-nisino.htm
講師:西野瑠美子さん(VAWW−NET・ジャパン共同代表)
ビデオ:「ダイジェスト版・女性国際戦犯法廷」(21分)
日時:5月13日(金)午後6時30分
参加費:600円(学生300円)

▼2005年度前期・朝鮮語/韓国語講座
   http://www.ksyc.jp/c-s-tk/200504-09.htm
 入門・午前のクラスが5月より始まります。
 その他のクラスも途中編入が可能です。お問合せください。
■入門:初心者    5月11日より毎週水曜日(8/17休講)
■初級:1年程度の学習歴のある方/4月6日より毎週水曜(5/4 8/17休講)
■中級:2−3年程度の学習歴のある方/4月5日より毎週火曜(5/3 8/16休講)
■中級会話:3年以上の学習歴のある方/(原則的に日本語は使わないクラスです)/4月7日より毎週木曜(5/5  8/18休講)
■聞き取り力アップをめざすクラス/(中級会話より高いレベルをめざします)/5月連休明けより月2回木曜日開講/開催日についてはお問合せください
■<午前中のクラス開講!>初めての朝鮮語/韓国語、開講日:5月12日〜7月14日/毎週木曜日 午前10時〜12時/対象:初心者


朝鮮史セミナー/日韓条約締結40周年−問い直される日本の戦後処理
   http://www.ksyc.jp/c-s-ts/200505oota.htm
講師:佛教大学教員 太田修(おおた おさむ)さん
日時:2005年6月24日(金)午後6時30分
参加費:600円(学生300円)


朝鮮史セミナー/朝鮮解放60年を考える
   −−朝鮮半島の60年、在日朝鮮人の60年−−
    http://www.ksyc.jp/c-s-ts/20050723hujinagahida.htm
講演(1)解放後の朝鮮−1945〜2005−
  大阪産業大学教授 藤永 壮(ふじなが たけし) さん
講演(2)在日朝鮮人にとっての戦後60年
  神戸学生青年センター館長 飛田雄一(ひだ ゆういち)さん
・日時:2005年7月23日(土)午後2時
・会場:神戸学生青年センター(TEL 078-851-2760)
     地図 http://www.ksyc.jp/map.html
・参加費:600円(学生300円)
・主催:神戸学生青年センター


・・・amlに、長文の投稿があった。

▼[AML 1319] 語られぬこの「国」で(1)<以下引用>

 京都に住んでいます根津と申します。はじめて投稿させていただきます。桜井さんのMLでうかつにも今日が「みどりの日」であったことに気付かされました。

 下記はたまたま昨日、友人宛てに書いた文章です。非常に長いエッセーで申し訳ないのですが、ご関心をもっていただけるようでしたら、ザッと流し読みしていただければ幸甚です。

天皇制に全く関心をもっていない友人に読んでほしいと思って書いた文章ですので、解説的な部分が冗長で見苦しく恐縮ですが、どうかご容赦いただければ幸いです。重複受信された方、本当にすみませんでした)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 根津です。最近よく考えていることがあります。それは何か。率直にいいます。天皇制です。しょっぱなから天皇制とストレートにいえば奇異な感じを広げてしまうと思います。

 しかし、例えば、原武史、吉田裕〔編〕『天皇・皇室辞典』(岩波書店、2005年 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000803034/249-5357363-2352349 )が出版されたり、ケネス・ルオフ『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社、2003年 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4764105314/qid=1114664865/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-5357363-2352349 )が話題になったりと、現在でも天皇制は論じられていないわけでは全くありません。

 それではなぜ私が天皇制に関心をもつようになってきたのか。自分にとって子ども時代の天皇の印象とは、大相撲で弱々しく手をふっているそれであり、1989年に昭和天皇が死去したとき、自分は11歳で、「全く、どこもかしこも同じテレビで、腹立つなあ」、「テレビゲームぐらいしかやることないじゃないか」という記憶しかありません。

 やはり関心をもつようになってきたのは、なぜ昭和天皇が戦争責任をとらなかったのか、とれなかったのか、ということに問題意識を持つようになってからです。

 雅子さんに代表されるように「ロイヤル・ファミリー」の話題と違い、天皇制という言葉を一度持ち出せば、もちろん違和感など全く感じない人もいるにせよ、なにかいけないものに触れるような思いがするのはなぜなのでしょうか。

 それに一つの明確な答えはないかもしれません。しかし、一つ有力なものは、天皇制が日本の最大のタブーになってしまっているからです。

 それは戦後のある時期から一貫しています。それは大まかにいって1960年の安保闘争が終わったあと、1961年2月1日の風流夢譚(ふうりゅうむたん)事件あたりから生じてきているものといえます。

 作家の深沢七郎が『中央公論』にのせた小説で、それは夢の中でスッテンコロコロと皇族の首が切られる内容を含んだものでした(59年に皇太子<現天皇>と美智子さんの結婚がありました)。これに対して右翼が実力行使を行い、それまで岩波書店の『世界』などと論陣をはってきた『中央公論』が一転して、編集者も変わり掲載論文の傾向に変化をきたします。政治学者の高坂正堯などが出てくるのもそれ以降の話です。

 その事件については下記の平凡社『世界大百科事典』(改行だけ引用者)をご参照下さい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■風流夢譚事件 ふうりゅうむたんじけん

 嶋中事件ともいう。 《中央公論》は 1960 年 12 月号に深沢七郎の創作《風流夢譚》を掲載したが,この作品は皇室を侮辱したものであるとした右翼団体中央公論社に対する圧力を強めた。 61 年 2 月 1 日夜,大日本愛国党の元党員の少年が中央公論社嶋中社長宅に侵入し,社長夫人に重傷を負わせ,お手伝いさんを刺殺した。

 当初,中央公論社は《風流夢譚》掲載について,実名小説の取扱いに配慮を欠いていたことを認め,世間を騒がせたことに遺憾の意を表し,殺傷事件発生後は,この種の暴力に対し, 〈社業をとおして言論の自由を守る〉ことを社告によって誓ったが,その直後,この社告を否定し,全面的に謝罪する〈おわび〉を発表して右翼の攻撃を回避した。

 この事件の中央公論社に対する衝撃は大きく, 61 年 12 月,当時同社が発売を引き受けていた《思想の科学天皇制特集号 (1962 年 1 月号) を自主的に発売中止,断裁した,いわゆる《思想の科学》事件を発生させた。

 またこの殺傷事件は,社会的には 1960 年 10 月 12 日の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件とともに, 60 年安保闘争中からみられた右翼の台頭とそのテロリズムの復活を示すものとされた。

 京谷 秀夫(引用者:京谷氏は元中央公論社の編集者で、事件の当事者の一員でもあります)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 テレビでも新聞でも、「皇室報道」はあっても、天皇制批判はほとんど出ません。そして新聞ですら昔よりは穏和になったとしても未だに敬語を使っています。天皇制批判のタブーについては、メディアの思想信条に由来するというよりも、日本が「言論の自由」をなし崩しに後退させてきたことに関係します。

 具体例を出します。NHK番組改変問題も、発端は女性国際戦犯法廷昭和天皇に有罪判決を下したことに大きな要因があります。その判決をNHKが番組にして放映するのか。結果として改変があったわけですが、国会議員とともに、そのとき右翼が激しい抗議行動を行い続けたのは記憶に新しいことだと思います。

 そしてまさにNHK番組改変問題が最もいい例だと思うのですが、日本のメディアは、今回の「竹島」問題や「反日」デモについても現象面だけで、突っ込んだ戦争責任に触れようとしません。靖国参拝報道でも靖国神社軍国主義の発動といった歴史について詳しい論評はなされていません。

 それは、全てではないにせよ、結局、戦争責任にタッチすると天皇の戦争責任という最大のタブーに抵触することになってしまうということが現実の問題として大きくあります。

 誤解を恐れず話を非常に単純化すると、つまりこういう構図があると思われます。

 戦争責任について言及する→天皇の戦争責任にゆきつく→右翼の実力行動→さわらぬものにたたりなし式の自主規制の悪循環で「(権力などへの)言論の自由」が狭まっていく

 1960年頃まで遡らなくても、昭和天皇に戦争責任があるという言及をした本島等長崎市長が1991年1月に右翼に狙撃される事件も起こっています。

 そして下記にご紹介するのは、大学関連の出来事でした。こうした記事を読み返すと、好むと好まざるとに関わらず、抽象的なレベルではなく、常に現実的なレベルで天皇制というタブーが存在しているということを実感します。

 下記、『朝日新聞』からの転載です(著作権のことだけご留意いただければ幸いです)。

 下記にポイントとなる「大嘗祭」(だいじょうさい)だけ『広辞苑』の冒頭部分をご紹介させていただきます。

 「天皇が即位後、初めて行う新嘗(にいなめ)祭。その年の新穀を献じて自ら天照大神および天神地祇を祀る、一代一度の大祭。」


――――――――――――――――――――――――――――――

弓削達(ゆげ とおる)ら大嘗祭反対声明・報道(『朝日新聞』データベースより)


1990年04月13日 朝刊
キリスト教系の4大学の学長、大嘗祭反対を声明

 キリスト教系の4大学の学長が12日、大嘗祭(だいじょうさい)など、この秋に予定されている新天皇の即位儀礼に反対する声明を発表した。

 4人は関西学院大・柘植一雄、国際基督教大渡辺保男、フェリス女学院大・弓削達明治学院大・福田歓一の各学長。大嘗祭が「象徴天皇制を神権天皇制に逆行させる道を開くおそれ」があると指摘している。


1990年04月23日 朝刊
弓削達フェリス女学院大学長宅に銃弾 大嘗祭反対声明と関連?    

 22日午後11時15分ごろ、東京都練馬区春日町5丁目、フェリス女学院大学学長弓削達(ゆげ・とおる)さん(66)の家族から「2階の部屋に銃弾を撃ち込まれた」と110番通報があった。駆けつけた練馬署員が調べたところ、2階の窓ガラスに弾が撃ち込まれたとみられる穴が2カ所あいていた。

 弓削さんは、今月12日、福田歓一明治学院大学学長ら3人のキリスト教系大学の学長と連名で、今秋の大嘗祭(だいじょうさい)など新天皇の即位儀礼について「象徴天皇制を神権天皇制に逆行させる道を開くおそれがある」と反対する声明を出したばかり。

 警視庁公安部は、右翼によるテロの可能性が高いとみて捜査している。

 弓削さんは元東大教養学部教授。昭和63年からフェリス女学院大の学長を務めている。
    
 ●銃弾、書斎横切る 

 弓削さんの妻の二三子さんによると、銃弾が撃ち込まれたのは道路に面した弓削さんの書斎。弓削さんは窓の障子を閉め、好きなレコードを聴きながら書きものをしていたところ、突然、撃ち込まれた。

 弾は部屋を斜め上方に横切ったうえ、屋根裏部分にある押し入れの布団の中に入った、という。

 二三子さんは「大嘗祭に反対する声明を出したのが原因でしょう。電気がついていたので狙われたのだと思います。立っていたら当たっていたかもしれません」と心配そうに話した。

1990年04月23日 夕刊
◆銃撃された弓削学長宅に「天誅」メモ2枚 無言電話も2回

 東京都練馬区フェリス女学院大学学長弓削達(ゆげ・とおる)さん宅に短銃弾が撃ち込まれた事件で、警視庁公安部は23日、弓削さん宅の郵便受けに半紙に「天誅(てんちゅう)」と書かれたメモ2枚があるのを見つけた。このため同部は、弓削さんら4大学学長が大嘗祭に反対する声明を出したことに反発する右翼関係者の犯行とみて、同日朝から現場検証するなどして調べている。

 調べでは、メモは同宅北側のブロック塀にある郵便受けに投げ込まれていた。また短銃を撃ち込まれた2階書斎を検証したところ、窓ガラスとその内側の障子に2カ所と、はりや壁に2カ所の弾痕があった。

 郵便受けに残されていた2枚のメモは、いずれも半紙に大きく「天誅」と2文字だけ書かれていた。2枚あったことについて同公安部は、別の学長宅もねらうつもりがあったのだが、何らかの理由で中止したのではないかとみている。また発砲があったのは、弓削さんが棚の上部にあったスクラップを取り、友人に電話をしようと座った直後だった。

   ◇

 今年11月の即位の礼に引き続いて行われる大嘗祭(だいじょうさい)をめぐる右翼団体の動きは、国会などでの論議が始まるとともに、再度活発になっている。秋に向けて論議が高まるにつれて、反対派に対する右翼のテロの危険性もさらに強まるものと、警備公安当局では監視と警戒を強めている。

 警視庁公安部の調べでは、今月12日、弓削達フェリス女学院大学長らキリスト教系の4大学学長の大嘗祭反対の声明が出されると、右翼団体からの反発が広まったという。

 弓削学長宅には14、15日に無言電話があり、柘植一雄・関西学院大学長の自宅にも1日おきに無言電話が続いた。福田歓一明治学院大学長宅にもやはり深夜の無言電話があったという。

 また右翼団体の中には、4学長に公開質問状を出し「その回答いかんによっては、行動を考える」と、いっているところもあるという。こうした動きから、各警察では4学長の自宅を重点警戒するなどの処置をとっていた。

 一方、国会では17、19日の衆院内閣委員会で、宮尾宮内庁次長が大嘗祭の性格について「天皇が神と一体となるという意味合いは見受けられない」と、初めて政府の考えを明らかにした。

 これに対しても、大嘗祭を、天皇を神格化する儀式とする右翼団体からの猛反発があるという。このため警視庁警備部では宮尾次長の自宅などの警戒に当たっている。

 ○言論の自由を奪われた現状

 明治学院大学福田歓一学長の話 日本には天皇制というタブーがあって、言論の自由がないことを身をもって知った。内面の自由、思想の自由、表現の自由が奪われる状況が深化していくなかで、危険を覚悟しても声明を出さなくてはならなかった。大嘗祭など、政教分離の原則がこっそり侵犯されるような動きに対して黙っていられなかった。キリスト教に対する戦時下の迫害、学問に対する制約などの歴史を繰り返すわけにはいかないからだ。我々の考え方に反対する声については、論争は論争としてきちんと反論していくつもりだ。

・・・つづき。

▼[AML 1320] 語られぬこの「国」で(2)<以下引用>
 根津です。長くなりそうですので、2通にわけて書かせていただきます。ご関心をもってもらえるようでしたら、お時間ありますときに眺めていただければありがたいです。

 件名の「語られぬこの「国」で」というのは天皇制批判の議論がほとんど忌避されていることを表現したものですが、遠くない過去に昭和天皇死去が包んだ日本の異常なムードとそれに抗した個人のドキュメントを描ききり、読み継がれているノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』(みすず書房、1994年)の単なるもじりでもあります。

 話は再び天皇制です。

 昨日も知り合いに会って、その人は本当にどこにでもいる「普通」な感じの方ですが、話のついでに「メディアにおけるタブーって何だと思いますか」と質問してみたところ、「放送禁止用語ですかね」というお返事でした。それはピー音で意識させられる下ネタを想定した答えでした。

 しかし本質的なタブーは、政治や歴史的なものが多いことは、天皇制ひとつとっても了解されることだろうと思います(下ネタも、例えば「男や女はこうあるべきだ」といったジェンダーの再生産を含むものであれば、当然政治性をはらむことになります)。その人と話を続けていくと、やはり政治や歴史の知識がなさすぎて、何がタブーなのかそもそもイメージすらわかないということに気づきました。

 知識がないのは、義務教育の段階でしっかり教えられていないのですから当人の非ではありえませんし、私自身、高校生と大学生のときは全く同じ状況でした。

 また一方で、問題意識の高い友だちに何人か聞いてみたところ、やっぱり天皇制については当然というか、普段の会話の中では話さないそうです。しかし、よく考えたら、自分自身もそう思ってしまうのですが、「頭がおかしいと思われるんじゃないか」、「こんな話題はすごく浮いてしまうんじゃないか」という発想のもとに、すでにメディアではなく、個人レベルという段階ですら自主規制をしていることを痛感させられます。

 こんな初歩的な段階から自主規制が生まれているというのはどういうことなのだろうかと考えてしまいました。ましてや、もっと勇気を要するメディアの中で発言するということはそれ自体とてもしんどいことだと思います。

 自分の例を出さないとフェアではないと思いますので、一例を書き添えておきます。

 2004年8月15日、何を思ったか友人とともに早朝開門前から靖国神社にスタンバイして、その日の雰囲気を体感するべく、靖国神社にいきました。お昼過ぎでしょうか、もちろん特攻服のような衣装を身にまとった右翼の人はそこらじゅうゴロゴロいて物騒な感じなのですが、ある団体がセレモニーをはじめようとしました。

 その友人は、君が代を歌う前だったと思いますが(記憶違いがあるかもしれません)、何か抗議のメッセージを叫びたいという意思を高めていました。周囲にはもちろん右翼の人も大勢ひしめいています。そのとき「おい、やめとこうよ」と終始言い続けたのは私でした。その友だちは何事も状況があるからあのとき別にやってもそんなに意味がなかったと言ってくれますし、それが極端な例であるということもわかっているつもりですが、自主規制の自分の実例をまざまざと思い浮かべます。

 本多勝一さんをはじめ、よく思うのですが、ジャーナリストの最大の資質は勇気なのだと思います。声をあげる、あがった声を伝える。

 最近、京都で行われた日本軍「慰安婦」の証言集会での李容洙(イ・ヨンス)さんの言葉で非常に印象に残ったものがありました。

 思い出しながら書くのできっと正確には再現できませんが、李さんは大勢の人に語りかけてくれました。

 「なぜ私はこの年になるまで涙を流しながらあなたたちの面前に出てわざわざ私から(「慰安婦」体験を)語らなければならないのでしょうか」

 いまその言葉は重く自分の中に響いています。

 一発逆転のような切り札はないに違いありません。ただ、周囲の全ての人がそうではなくても、何人かはタブーを切り崩すような話を聞いてくれる人が確実にいると思います。そうした一個人の自主規制の問題ならば、自分から縛りをほどける性質のものではないでしょうか。

 天皇制は一つの例にすぎません。「パレスティナについてどう思いますか?」、「在日外国人や難民の権利の現状についてどう考えていますか?」、社会との接点のほつれを結びあわせていく日常にある会話のチャンスはいくらでもあると思っています。

 何とかして応援する言動を展開したいものですが、とりあえずいま考えていることで雑駁ながら言葉にしてみました。

 下記は、引き続き前メールの弓削達さんらのさらに詳しい記事などです。浅田彰さんの発言もありました。


 ―――――――――――――――――――――――――

弓削達大嘗祭反対声明・報道(『朝日新聞』データベースより)


1990年04月26日 朝刊
民放労連、銃撃テロに抗議声明

 日本民間放送労働組合連合会鈴木孝夫委員長)は25日、大嘗祭(だいじょうさい)反対の声明を発表したフェリス女学院大学弓削達学長宅に銃弾が撃ち込まれた事件について、「暴力によって言論の自由を圧殺しようとする右翼団体の卑劣な行為は断じて許すことはできない」という抗議声明を出した。

 また、日本科学者会議(会員約1万人)も同日、「大嘗祭に反対する広範な国民に対する暴力的挑戦である」とする事務局長の山口孝・明大教授の談話を発表した。

 日本基督教団も同日、「天皇制問題にふれることを有無を言わせず、暴力で圧殺しようとするもの。私たちが犯したかつての過ちを決して繰り返すまい」などとする辻宣道総会議長の談話を発表した。

1990年04月27日 夕刊
大嘗祭4学長声明、右翼が関学に抗議 【大阪】

 27日午後、西宮市上ケ原一番町、関西学院大学(柘植一雄学長)周辺に右翼団体の大型街宣車11台が集まり、柘植学長退陣などを訴えた。柘植学長が12日、フェリス女学院大学弓削達(ゆげ・とおる)学長ら3人のキリスト教系大学長と連名で、今秋の大嘗祭(だいじょうさい)など新天皇の即位儀礼に反対する声明を出したことに対する抗議。正門前では、学内へ入ろうとする右翼団体員と、阻止しようとする関学職員らが言い争い、これを数百人の学生が取り囲んで混乱した。大学側は抗議文を受け取り、街宣車は約1時間後に引き揚げた。


1990年05月03日 朝刊
◆「大嘗祭反対の4学長を支持」 3団体代表が共同声明

 今秋の大嘗祭(だいじょうさい)に反対している戦没者遺族、キリスト教関係者など3団体の代表が憲法記念日を前に2日、自宅を銃撃された弓削達フェリス女学院大学長ら4大学学長の「大嘗祭反対声明」を支持する共同声明を発表した。同時に銃撃事件について「右翼による長崎市長銃撃に続いて同じ銃弾をあびせられた。こうしたファシズムの跳梁(ちょうりょう)は黙視できない」と抗議し、基本的人権の確立を訴えた。

 声明を出したのは平和遺族会全国連絡会の小川武満代表と、日本戦没学生記念会わだつみ会)の梅靖三事務局長、大嘗祭問題署名運動センターの森山つとむ^事務局長。それぞれ平和運動に携わってきた立場から、「一連の暴挙は言論の自由を封殺するもの」「菊タブーの再現を許してはならない」「民主主義と人権に対する重大な挑戦」などと語り、今後も運動を続ける決意を明らかにした。

1990年06月25日 朝刊
大嘗祭再考求める声明、キリスト教系大学の24学長が賛同の回答

 キリスト教系の4大学学長が、今秋予定されている大嘗祭(だいじょうさい)は「神権天皇制に逆行させる途を開くおそれを、強くよびおこす」として政府の再考を求める声明を発表したが、その後、全国のキリスト教系の約100大学の学長に声明の賛同を求めたところ、うち24人が呼び掛け人の弓削達フェリス女学院大学長らに対し、「賛同する」と回答していることが23日付の「キリスト新聞」(キリスト新聞社発行・東京)で発表された。

 回答は、5月末までに30人の学長から寄せられた。15人は、賛同したうえで、氏名を公表してもよい、としている。また、9人は、氏名の公表を控える条件で賛同している。残る6人は、反対または賛否不明。

 声明に賛同したある学長は「こういう時代だからイエスはイエス、ノーはノーと言うべきだと思った。先に学長が声明を出した関西学院大には右翼がおしかけており、大学や学生への迷惑を考えて意思表明、教授への伝達を控えている学長も多いと思う」と話していた。

 ――――――――――――――――――――――――

1990年05月03日 朝刊 大阪特集 東京
◆凶弾に市民は負けぬ 朝日新聞阪神支局襲撃事件から3年

 兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、小尻知博記者(当時29)が死亡、犬飼兵衛記者(45)が重傷を負った事件は、3日で発生から満3年になる。

 阪神支局事件に先立つ東京本社、その後の名古屋本社寮、静岡支局、江副浩正・前リクルート会長宅??と「標的」を広げた一連の警察庁指定116号事件は、警視庁、兵庫、愛知、静岡各県警の捜査にもかかわらず、未解決のままだ。

 この1年、世界中で自由を求める市民のうねりが高まる一方、足もとでは、本島等長崎市長が右翼の銃弾を浴び、東京ではフェリス女学院大の弓削達学長宅に短銃2発が撃ち込まれる事件が起きた。

 反対意見や気に入らぬ言動へのテロや暴力が市民社会へと広がりを見せている。しかし、そんな時代の流れに抗して、自由にものがいえる社会を守ろうとする草の根の動きも活発だ。その声に、3年前の事件の教訓を風化させまい、という思いが重なる。              

 (略)   

 ◇長崎から連帯の動き 本島発言支援・市民の会

 今年の1月18日、長崎市役所前で、本島市長が右翼に銃撃され、重傷を負った。昭和天皇に戦争責任はあると思う、と自らの考えを述べたことに対するテロだった。この事件を、阪神支局事件と重ね合わせて見つめた人も多い。岩松繁俊・長崎大教授(62)も、その1人だった。

 本島市長の天皇戦争責任発言の直後に、市長をバックアップする「言論の自由を求める長崎市民の会」を結成、全国から38万2313人の署名を集めた。事件後の2月には、市長銃撃に抗議し、「長崎大集会・大行進」を開いた。

 「本島事件と阪神支局事件は、言論、思想の自由の侵害という意味で一致する。しかし、いくら言論の自由が大事だ、と叫んでも、そんなことは、当たり前。何を発言しても、何を書いても、その人の生命の安全が保障されるようにならなければ、人びとの心には通じない」と岩松さんはいう。

 長崎の動きに呼応するように、4月には松江市周辺の大学関係者や牧師、弁護士、市民活動家ら約50人が「言論の自由を守る島根県民の会」を結成した。活動方針に「朝日新聞阪神支局襲撃事件長崎市長襲撃事件などで脅かされた言論の自由を守る」とある。

 初会合の直後の4月22日に、東京都練馬区弓削達フェリス女学院大学長宅が短銃で襲撃された。秋に予定されている大嘗祭(だいじょうさい)に反対する声明を出したことに対する右翼の攻撃とみられている。「島根県民の会」の代表で元高校長の藤原治さん(82)は、活動方針の中に、この事件を加えてテロに強く抗議した。3日には憲法を守る集いを開く。
 
 (略)      

 ◆論じ合うことこそ 浅田彰・京大経済研助教

 テロ。政治目的のために暴力手段に訴える行為。昭和を振り返ると、時代の節目、節目に言論の封殺を狙ったテロが起きてきたことがわかる。

 戦前では、浜口首相狙撃、5・15、2・26事件など。それらの事件が起きるごとに軍部が力を強めた。戦後は、浅沼社会党委員長刺殺や、嶋中事件(嶋中・中央公論社社長宅で2人殺傷)など。それらは結果的に革新勢力の声を弱める役割を果たした。

 朝日新聞に対する一連の襲撃事件も、「昭和」から「平成」への時代の移り変わりのなかで起きたことに注目する必要がある。事件から3年の歳月を経て見直してみると、朝日新聞阪神支局の記者を撃った散弾銃は、全国のマスメディア全体に向かって飛び散り、やがて洪水のような「天皇報道」となってはね返っていったようにも見える。

 昭和天皇に戦争責任があることを認めた本島長崎市長に対する銃撃事件も、同じ延長線上でとらえる必要があろう。問題なのは、こうした事件を契機に、政治家や学者までもが口を閉ざす閉塞(へいそく)状況が生み出されていくことだ。

 言論に対するテロは事実上、野放しに近い。それは、声なき暴力として突発するため、何ともとらえがたい怖さがある。しかも、ボディーブローのように、じわじわと確実に効いてくるから厄介なのだ。その効果は長期的に見れば明らかである。

 多くの国民は、時代の変わり目のなかで起きた自粛現象を体験し、自由な言論が脅かされつつあることに、息苦しさを感じている。国民の間に、原理原則にかえって論じ直さなければならないという機運がうまれていることは、テレビの討論番組がふえ、それなりの視聴率をあげていることからもわかる。そうした言論が圧殺されることがあってはならない。

 しかしまた、マスメディアは自らが巨大な権力であることを意識し、声なき少数派を絶望的なテロに追いやることがないようにすべきだ。新聞の被害者意識だけでは問題は解決されない。

 テロによる影響は、長い期間をかけて検証することで、より鮮明にみえてくる。国民はじっくりと腰をすえて、それとたたかっていかなければならない。(談)         

 (略)        

 ●偏見・暴力許さぬ心とは                    

 記者仲間だった神戸新聞記者の桃田武司さん(34) 人の心の痛みが分かる人。小尻君はそんな記者だった。尼崎市の警察担当時代、彼を指紋押なつ問題の取材に駆り立てたのは、人間の尊厳を傷つけられた人たちへの心の痛みと、血の通わぬ法律への怒りだったのだろう。人の痛みが分かる心は、人を踏みにじる理不尽な差別、偏見、暴力を許さない。人権、言論を守ろうという決意は、結局、同じ心から生まれるのではないか。自分に問い続けていきたい。

 (略)

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↓『スーパー・ニッポニカ CD-ROM』(小学館)より

天皇

 広義には古代から現代に至るまで同一家系の世襲天皇が存続しているという日本独特の社会制度、狭義には古代と近代とに現れた天皇を国家権力の頂点として天皇に直属する官僚が権力を行使した君主制の統治体制をいう。

 中・近世および第二次世界大戦後には狭義の天皇制は存在せず、したがってこの時代の天皇は君主ではない。

 広義の天皇制がもつ伝統的権威・秩序によって権力者が諸支配勢力や国民を統合する手段として利用してきたものにすぎない。

 世界各国の王朝が外敵の侵入、民衆反乱、革命などによって興亡を繰り返したのに対し、天皇制が現在まで存続してきた理由は、そのような事態が日本では根本的な形で勃発(ぼつぱつ)しなかったことにあるが、天皇制に即して考えれば、天皇権力と天皇家が社会変動に柔軟に対応したこと、および各時代の支配階級が天皇を除外しうるだけの自律的階級支配=公的政治秩序を容易に実現できなかったことがあげられる。

 したがって、天皇制が果たした役割を理解するためには、各時代の民衆支配体制や権力構造のなかで天皇制の意義を明らかにしていくことが重要である。

 第二次大戦前や戦中には、国家公認の皇国史観によって、天皇制は万世一系・永久不変の、日本の「国体」であるとされ、他方で、天皇制についての科学的研究が国家によって禁圧されていた。戦後、研究の自由が獲得されることによって、天皇制の役割が明らかにされてきた。

(中略)

■戦後の天皇制■

 1946年(昭和21)の日本国憲法の制定によって、天皇は「日本国の象徴」(憲法1条)となり、そのいっさいの統治権と神権性を失った。天皇はその存在の正当性を、主権の存する国民の総意によるものとされ、内閣の承認のもとに形式的な国事行為のみを行うものと規定された。

 これは、近代天皇制が遂行した侵略戦争専制政治に対する国際・国内の世論による批判と反省を反映するものであった。しかし占領軍権力は、対ソ戦略上から、反共的で安定した占領統治を実施するため、天皇の国民に対する精神的権威を利用した。

 また日本の保守党内閣と宮廷官僚は、民主主義の発展を抑止し独占資本主義の支配秩序を温存するために、天皇の全国行幸、国会開会式その他公的行事への出席と「おことば」、外国元首との親書の交換や外交文書の接受などの形で、天皇の国事行為の拡大解釈と、憲法にない象徴行為なるものを広範に容認することで、解釈改憲的に象徴天皇制を運用し、天皇を親しみあるものとして国民意識のなかに定着させ、かつ事実上日本の元首とする方向で機能させていった。

 1952年の対日講和条約発効から60年にかけては、風流夢譚(ふうりゆうむたん)事件などを契機にマスコミの間に天皇についてのタブーが形成される一方で、警職法改正問題に対するミッチーブームや、沖縄返還問題に対する天皇のヨーロッパ訪問の例のように、時々の政治的争点を国民の目からそらすように天皇や皇室が利用された。

 そして、独占資本主義の復興と日本の経済大国化の過程で、天皇自衛隊の忠誠対象や愛国心教育の象徴とされ、軍備増強と日米軍事同盟の精神的支柱としての役割を果たすようになった。

 さらに60年代末から70年代にかけては、単に運用面のみならず、制度による天皇の元首化と神格化が目ざされ、紀元節復活、元号法制化、靖国(やすくに)神社国営化と天皇公式参拝などの諸問題に示されるように、宗教団体や地方議会による擬似大衆運動的体裁をとって、この方向が進行している。

 このような象徴天皇制の元首化、神格化への動向は、国民主権と平和主義という日本国憲法の理念を実質的に否定していくものであって、憲法改正への突破口の役割を果たしているといえよう。→天皇 →天皇ファシズム
〈功刀俊洋〉

(C)小学館



 失礼極まりない長い文章に最後まで目を通していただいた方に心より深くお礼申し上げます。本当にどうもありがとうございました。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」