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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。
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インリン・オブ・ジョイトイ閣下に満腔の敬意をこめて!

http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/archives/50112375.html
http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/archives/50112375.html
http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/archives/50185608.html
・・・一生ついていくことを誓います。マーベラス!(@尾玉なみえ


http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/archives/50160943.html
↑かわいい。




・・・どうも二人はパキスタンで殺されてアフガンに捨てられたらしい。

▼2邦人殺害、国境地帯で強盗被害か…アフガン当局者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050904-00000113-yom-soci




ちょっといいな、と思ってメモ。

松森正(=狩撫麻礼)原作『湯けむりスナイパー』@漫画サンデー(先週号)


(花火の魅力とは、と問われて)
「思考停止の・・・快楽かな。」

・・・そう、思考停止には快楽がある。
花火とかスポーツとかダンスとかなら、それもいいけどね。(@∀@)



▼「週刊金曜日」2005年09月02日号 No.571
p.51 「読み方注意!」(作家・山口泉)「夕凪の街 桜の国」書評
http://watch.main.jp/kouno/


 
・・・問題は何か。本書の性格を象徴するのが、巻頭の献辞だ。
「広島のある日本のあるこの世界を/愛するすべての人へ」−。
だか「この世界」は愛したくとも、「日本のあるこの世界」など、終生、拒絶
せざるを得ない人々が、現に日本の内外に存在する。少なくとも日本は、
1945年8月、突如として、この地上に出現した国ではない。「平和」を、
真に人間普遍の問題として共有しうるためには不可欠の、地を這うように困難な
手続きをあらかじめ回避したところに、この物語は成立している。
 本書の抱え持つ脱政治性ともいうべき傾向が、事柄のいっさいを「無謬
(むびゅう)の「桜の国」の美しい悲劇」へと変質させかねないことを、私は
危ぶむ。そして、痛ましくも口当たりの良い物語の「受け容れられやすさ」が、
被爆」を単に「日本人の占有する不幸」にのみ矮小化し、さらには新しい
ナショナリズムに回収される迷路へと誘(いざな)う場合もありうることを、
私は恐れる。


某所に投稿。

▼「政治性」こそ『夕凪』を受け止める努力をすべきだ  
九郎政宗  投稿日: 9月 5日(月)03時00分25秒



週刊金曜日』山口書評の言い方にならえば、まさにその「政治性」のど真ん中で
「30秒からできる反戦・平和アクション」などというものをやっている私ですが、
『夕凪』を「脱政治性」という観点から批判することは フ ェ ア で な いと
感じざるをえません。

被爆者救済や核兵器廃絶という意見や運動は、(それに反対し、あるいは敵視する
意見や政治がある以上は)どうやっても「政治性」を持たざるをえません。
その過程で意見をあるていど統一したり、実現すべき課題を選択・設定したりする、
それ自体はもちろん必要なことです。しかし、そこで「こぼれおちていくもの」が
存在するのも事実なわけで、たとえばそれは「原爆のつらい記憶を忘れたい」という
感情であったり、「広島イコール原爆、と世間に見られたくない」みたいな意識
だったりする。
これら、「確かにそこにあるのに、政治性の観点からは取りこぼされてしまう感情」と
いうものは、やはり誰かが拾い上げて「回収」(@大塚英志)すべきだったのです。
それをやろうとしたのが、たとえば『ヒロシマ・ノート』であり、『原爆と差別』で
あり、『夕凪』であったと言えます。

これまでの「政治性」が十分にフォローしきれない分野を『夕凪』がカバーしたの
ですから、それを従来の観点で「脱政治だ」と批判するのであれば、
「何を言っているんだ」と言うしかないのです。『夕凪』の投げたボールをきちんと
受け止めてこそ、より豊かな「政治性」というものも生まれるはずなのに。
だから私は山口書評にはいまひとつ納得がいきません。「『平和』を、真に人間普遍の
問題として共有しうるためには不可欠の、地を這うように困難な手続き」と『夕凪』は、
別に矛盾するものではなく、「異なるアプローチ(≒手法)である」というだけのことです。

・・・筒井康隆が『只野教授』の口を借りて述べたように、人間のいかなる
発言も「政治」から自由ではありえません。「脱政治性」もまた「政治性」の一種ですし、
もちろん『夕凪』にも「政治性」はあるわけです。
だから、「批評」が「政治性」の観点を打ち出すなら、『夕凪』の「脱政治性」を
批判してもしょうがない。むしろ『夕凪』を通じて、より豊かな、より人間や社会を
広くカバーしうる「政治性」を考える、そのほうが建設的ではないかと思うのですけどもね。

扶桑社教科書 採択撤回申し入れ/滋賀県立中の保護者会
@2005年9月4日 愛媛新聞
滋賀県教育委員会中高一貫校の県立河瀬中学校の教科書に「新しい歴史教科
書をつくる会」が主導した歴史教科書(扶桑社発行)を採択したことに対し、河
瀬中学・高校保護者の会(本田恵子代表)は3日、同教委に、採択撤回と教科書
選定のやり直しを求める申し入れ書を発送した。
>申し入れ書は「この教科書は南京事件従軍慰安婦の問題に触れないばかりか、
日本の侵略戦争を美化している」とし、子どもたちに不適当だとしている。
>保護者の会は、採択翌日の1日に結成。今後、撤回の書名活動などを検討して
いる。

・・・二段構えで、子供に渡すための「『つくる会』教科書が教えない歴史」の補習プリントも作成しておくといい。「保護者のかたへ」として、(1)受験に出る歴史の一般知識の欠如、(2)民主主義否定・ファシズム擁護、(3)官民癒着の密室採択を指摘する「おしらせ」も作るべきだ。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」