大阪のマンガ文化遺産を橋下知事から守れ
・・・行列の消える大阪づくり(@∀@)それが橋下クオリティw
▼大阪府公式ホームページ「知事への提言」のコーナーhttp://www.pref.osaka.jp/j_message/teigen/tijifmt.html
要望、提言、意見をメールで受け付けている。
▼竹内オサム氏の緊急アピール
http://mainichi.jp/kansai/photo/news/20080411oog00m040006000c.html
守れ、子どもたちの感性のために=竹内オサム
◇大阪府の財政再建試案、統廃合の危機高まる文化施設
◇絵本、漫画、紙芝居−−網羅的に継続して収集公開大阪府立国際児童文学館(吹田市)が危機を迎えている。橋下知事の方針で、多くの府有施設が廃止、あるいは他施設に併合されようとしている。国際児童文学館は府立図書館に吸収されるという。改革はいいことだが実施は慎重に。筆者は、漫画、絵本などの調査でよく利用する経験から、当館の存続を強く訴えたい。
館は、早稲田大学の教授であった鳥越信氏の寄贈図書をもとに、84年にオープン。民間の活力のもと財団法人として運営。施設、人件費等を大阪府が負担し今日に至っている。
その後、寄贈資料等を含め、貴重な資料を数多く収集、現在では70万点を数えるまでとなっている。児童文学や絵本に限らず、紙芝居や漫画などを保存している点もユニークだ。
その間、お話し会や展示会、講演会等を開催。府内の地域文庫のお母さんがたや図書館、学校等と連携し、さまざまな読書活動を展開してきた。児童文化に貢献した内外の研究者を表彰する国際グリム賞の運営、世界約50カ国の研究施設や学会との連携、特別研究員制度など、他の公共図書館ではできない取り組みを行ってきた。
こうした地道な活動が可能だったのは、子どもの本や関連資料を、網羅的に継続して収集公開するという、設立時の趣旨が守られてきたから。子どもの読書活動と研究の実績とが、うまくリンクできたためだ。
たとえばキーワード検索もそう。「魔法の出てくる本は?」、こうしたリクエストに答えられるのも、スタッフを中心に、長年データを蓄積してきたためにほかならない。
館の蔵書には、かなりの量の漫画本も含まれる。『週刊少年サンデー』や『週刊少年マガジン』などは創刊号からほぼすべて。『少女』『りぼん』から、戦前の『少年倶楽部』や『幼年倶楽部』などの月刊誌も、大量に所蔵されている。付録類も多い。
紙芝居もそうで、寄贈を受けた4000巻に及ぶ街頭紙芝居は、いまや我が国の大衆文化を伝える貴重な文化遺産とさえなっている。
館のオープンに先立ち、今は亡き手塚治虫氏が記念講演を行った。氏は、赤本漫画時代に活躍した大阪で、漫画も含めて保存する施設ができることを喜んでおられた。その手塚氏の仕事を顧みようとするときにも、館に行けば多くの作品と出会える。
もし府立図書館に統合された場合、まず本がセレクトされ、多数の資料が失われる。真っ先に漫画の類が処分されるにちがいない。
専門のスタッフが培ってきたノウハウも、そのまま継承されないだろう。他の資料も散逸するはず。海外との連携も途切れがちに。寄贈や研究者等の協力も得られまい。
それに、館に行くのを楽しみにしていた子どもたちが落胆する。嘆き悲しむことだろう。
民間ではできないが公共だからこそできる、そんな事業のあることを、知事も府民も再認識してほしい。損得だけで文化は育たない。子どもの感性も豊かにならないはずだ。
館の建物と膨大な蔵書、それに専門のスタッフ。さらには、長年積みあげてきた、子どもの本の普及と研究のノウハウ。それはひとつの有機的な生き物にたとえることができる。
種はひとたび絶滅すると元に戻らない。館も同じだ。その有機的な息の根を一度とめれば、もう再スタートすることは困難だろう。(たけうち・おさむ=同志社大学教授・児童文化)
映画『靖国』に対する小林源文ファンと小林源文氏の温度差
▼映画『靖国』に対する小林源文ファンと小林源文氏の温度差
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080414/genbun
@かのせさんち
>[Re.2] 小林源文(2008/04/05 08:06)> まあ、確かに・・・。 じゃーないぞ。どうでもいい情報に流され過ぎ。日本人はマスコミの情報操作で戦争を始めたんだぞ。ひたすら一等国になろうとして、日清、日露戦争。朝鮮半島から大陸へ。満州国の建国へ。ついでにノモンハン事変起こしたり、中国と戦火を交えて国際社会から糾弾されると、マスコミが騒いで日本の一般大衆が騒いで、国際連盟脱退へと進んで太平洋戦争が始まったんだ。正しい日本史と日本人って何だ?と理解してから掲示板への書き込みをしましょう。思い込みで書くのは、君もマスコミに躍らせられているんだぜ(笑
・・・小林源文の戦争マンガというのは、いつもフラットだ。彼は映画『靖国』に粘着する人々のようなファナティックさとは無縁なんだが、そのへんの空気が読めない奴がいらんことを書いて瞬殺された瞬間が↑これだ。まるで「佐藤&中村」のどつき漫才のように(@∀@)・・・あのコンビは大好きだ。戦争の理不尽さの極致v「いつか殺してやる」って言うアレw
・・・これと同じような見解を、水木しげるも『戦争と日本』で述べている。より大日本帝国の戦争政策に批判的であるが、みずからがその渦中に放り込まれたのだから切実さがある・・。
じょじょうのきみょうなぼうけん
- 作者: 笹公人
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/03/20
- メディア: 単行本
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・・・何かと思ったでしょ?
短歌集です(@∀@)内容はとてつもないですw
梁文道:チベット問題の最大公約数を探る
▼チベット問題の最大公約数を探る-----民族和解のために
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d0f2c0a6721568bfa2b986c52837268e
>・・・本当に完全な民族政策は、各少数民族の居住地内での伝統文化と権益の保障だけでなく、ましてや彼らを中国人の言うところの「中華文化」に溶け込ませることだけでもない。むしろ、人口の多数を占める中国人もまた他の民族の文化的伝統を学び、平等に他の民族と付き合うことである。
>私はテレビで一部の青年僧も先月の事件に参加したのを見た。そして石と棍棒を握っていたのを……彼らの怒りを私はできるだけ理解したい。ここに13世紀の偉大な修行者嘉瑟・戊初・東美の「菩薩行三十七頌」の一部を引用させていただき、チベット人と中国人の真正の和解を祈ろう。
「たとえ人が口汚く私を罵り、千万世界のあちこちに言いふらしても、慈悲により、私はその人の功徳を賛美しよう、それこそ菩薩の修行である」。・・・
・・・これはブチおもしれえ(@∀@)
「反戦運動」といえば「絶対平和主義」と思い込むのは勝手だが(@∀@)
英語版ウィキペディアの記述を読めばわかるように、
http://en.wikipedia.org/wiki/Anti-war
平和主義と反戦運動というのは違うものなんだよね。
そのへんのことがわかってないからウィキペディア日本語版の書き手は
とんまなことを書いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E6%88%A6
>反戦運動は手段としての戦争を反対することがその目的であり、戦争の原因となっている問題自体に対しては意見を問わず、平和的な解決を求める。
↑日本語にすらなってねえw
・・・英語版ウィキペディアを要約すれば、平和主義=パシフィズムは、すべての紛争における非暴力的解決を求めるのに対して、
反戦運動=アンチウォーというのはそういう考え方だけに限定されない、さまざまな考え方を含んでいるということだ。たとえば「この侵略戦争には反対するが、侵略戦争に対する自衛戦争には賛成する」という考えも反戦運動にはある。(べトナム反戦運動を見よ)
現実の多様性を正しく認識できていない愛国ネチズンが、「反戦主義者は日本が攻められても抵抗しないのか」なんてことをいうが、非常にアタマが悪い物言いだ。それに対しては「ねぼけんな」と言うしかない。「それが危急の課題なら、少なくとも俺は抵抗を用意するだろう。だが現実はそうじゃねえ。お前は自国がアメリカのイラク侵略戦争(敗北中)に加担させられているのに何もしないのか、この売国奴が!英霊にあやまれ!」とね(@∀@)
あやうく「新左翼」版の特攻隊映画になるところを回避した映画(@∀@)
・・・『実録 連合赤軍 あさま山荘への道程』の話の続き。
映画HPで各界のみなさんが寄せているコメントは、
http://wakamatsukoji.org/
四方田犬彦を除けば、かなり感傷的に走り過ぎて俺にはピンとこない。
そもそも俺には連合赤軍についての思い入れが決定的に欠けている。
にもかかわらず「非常に面白く見ることができた」というのはナゼか。
この映画について語るなら、まずその疾走感について触れるべきじゃないだろうか。いちばんイキのよかった時代のヤクザ映画のテンション。それが青春映画に転調し、そのうちどこからか不穏な雰囲気が流れ始め、いつの間にかサイコサスペンスのクレッシェンドにつぐクレッシェンド、ついには精神的拷問のようなゴアゴア悪夢展開・・・で、最後にきて怒涛のクライムアクションによるカタルシス。うまい。うますぎる。
・・・この映画は非常にあぶないところを走っている。よく特攻隊映画であるじゃない?「彼らはみな純粋に、愛する人のためを思って旅立っていった」とか「その崇高な精神は否定されてはならない」とか・・・。「やってることはダメダメでも、ココロザシが崇高ならええじゃないか」というロジック。ええのんか、それで。ぶっちゃけ特攻という「外道」の戦法を止めることができなかったのが、大日本帝国の最大のダメさだと思う。そんなんで戦争に勝てるか。
・・・ちょっと間違えば、この映画だってそんな「特攻映画」ふうになるところだった。
そうはならなかったのは、やはり最後の10分間あたりの、あの気まずいシーンがあるからだ。あれはまさに連合赤軍に対する見事な「総括」だった。
同時に、あのシーンがあったからこそ、この映画は普遍性を持ったテーマを提示することになった。つまり、「あなたも彼らと同じように、組織や関係の中で、大義名分の陰にかくれて、誰かを見殺しにしてきたのではないか?」という問いを。
・・・ところでこの映画は、映画的リズムを大事にするためか、意図的にある要素を排除している。それは主人公たちの思想的背景に関するディティールだ。この映画だけ見ていると、基礎知識のない人には、「いったいこの人たちは何を考えているのか」というのが全然わからないことになる。「共産主義」「共産主義」ゆってるけど共産主義にもいろいろあって、「どの共産主義?」ってことがぜんぜん見えない。映画としてはそれで全然かまわないのだろうけれど、もうちょっとディティールがほしいな、と俺は思った。
▼『毛沢東盲従の末路―「連合赤軍」事件の根源をつく』
>http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcr000.htm
日本共産党中央委員会出版局発行(1972/5/1)
・・・これは事件当時に日本共産党が出したパンフレットなのだけれど、なかなか面白いことが書いてある。前にも書いたけど、中国共産党は日本共産党に対して「武力闘争」方針を要求し、日本共産党は「自主独立」「議会主義」の立場からそれを蹴ったことがある。まー第一に、発達した資本主義国での「武力闘争」なんてのが非現実的だったからだけど、おかげで日本共産党は1966年以降、中国政府から「『四つの敵』の一つ」とまでみなされていた。
(中国共産党の『四つの敵』論=アメリカ帝国主義、日本反動派、ソ連共産党、日本共産党の四つを打倒せよ、というもの)
・・・そんなわけで日本共産党としても「鉄砲から権力が生まれる」式の「毛沢東主義」は批判すべき対象となっていたんだが、上記資料はそういう視点から「連合赤軍=毛沢東主義への追従者」として分析したものだ。もちろん今から見れば不十分さや不正確さも指摘できるだろうけれども、大筋ではハズしてないんじゃないかと、読んでみて思う。
・・・思うに、戦争や革命についての著作というのは、やはり若いうちにちゃんと読んでおかないとダメなんじゃないかな。ひとくくりに「トロツキズム学生組織」と呼ばれた青年たちにしても、「彼ら本当にトロツキーとかレーニンとか読んでたのかなー?」と思うことがよくある。「本当に読んでたら、こうもダメにはならんだろう」と。
1930年代の中国なら「鉄砲から権力」も生まれただろうし毛沢東も英雄だったろうが、1970年代の日本において同じことをやっても成功するわきゃーない。それに、本当に毛沢東に学ぶなら、「人民からの略奪」は禁じなきゃ・・・(@∀@)
過去のある成功事例は、特定の背景状況のもとで成功が可能になっているのであって、別の状況下で同じことをやっても同じ成果は得られない。やはり教養とか学問とかいうのは大事だよ・・・
ところでトロツキーといえば新訳が出ているね。
- 作者: トロツキー,森田成也
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/04/10
- メディア: 文庫
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佐藤優も言ってるが、「支持するとかしないとかは関係なく、読んでおくべき本」というものが世の中には確かにあって、これもその一つだ。『聖書』とかもなw
・・・誰が訳してるのかなー・・・と思ったら、あんたかよ!(@∀@)
こうして知り合いが本を出すと「あー俺も負けてらんねー」と思うよね。