靖国神社と「ほめてごまかすメソッド」追補編1
@クッキーと紅茶と
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060908
>この記述からは、1937年の「東京下町」では戦争に動員した側(国家)と動員された側(家族、あるいは「下町」という地域)の間の「緊張関係」を読み取ることができます。
>動員する側はいわば虚偽の触れ込みで下町の男性たちを上海戦に動員し、動員された側は家族の戦死を受容できず、憲兵が「報復」を恐れるほど「殺気立つ」。
>遺族たちの怒りが敵軍や敵国の「支那」だけではなく、戦争に動員した自国軍の側にも向けられていたことがここから読みとれます(その怒りが連隊長に向けられるのが適切だったかは別問題ですが)。
>少なくとも、ここでは家族の戦死を「(国のため、あるいはみんなのための)必要な死」として納得されていたとは言い難いでしょう。むしろ程度の差こそあれ「不必要な死を余儀なくされた」ことへの怒りが、そこに表出されているように思います。
>当時の日本においても、戦争に動員した側(国家)と動員された側(家族や地域)の間は完全に「つるつるべったり」ではなく、動員された側の「怒り」が(限定的であれ)表出しうるような関係であった。つまり1937年時点においても「怒り」は潜在的に存在し、動員する側はそれを「ごまかす」必要があった、と私はとらえています。・・・
・・・そして今もごまかす必要があると考えている人がいる、という話。