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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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慰安婦発言支持のメール、中山文科相「感銘受けた」
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20050711/K2005071100150.html
>中山文部科学相は10日、福岡市での講演で、「従軍慰安婦という言葉は当時存在しなかった」という自らの発言を支持する日本人留学生のメールを約9分間にわたって読み上げ、「感銘を受けた」「若い方々は本当に真剣に考えてくれている。ありがたい」と語った。
。中山氏は「私の発言に関してはご批判もあるが、若い方々からの励ましがすごく多い」として、カナダの大学院で学ぶ20代の女性からのメールを紹介した。
>中山氏によると、メールは「(従軍慰安婦は)一部の日本人が自虐的にも戦後作った言葉だ」と、中山発言を支持。「彼女らには大いに同情すべきだが、(意に反して売春させられたのは)古い時代の日本の農村で見られた情景とそう変わらない」「戦地にある不安定な男の心をなだめ、一定の休息と秩序をもたらした存在と考えれば、プライドを持って取り組むことが出来る職業だったという言い方も出来る」とも述べているという。

・・・というわけで、中山文科相は「従軍慰安婦」という用語自体に関してはともかく、その制度の実在性強制性に関しては否定なさいませんでしたとさ(@∀@)(自分がどういう内容の手紙を紹介したのか、わかってない可能性もあるが・・・)
今後はぜひ、「当時の言葉」どおりに、教科書などにも載せていただきたいものです。なにしろ「プライドを持って取り組むことが出来る職業」なのですから!(@∀@)

▼出どころは南洋委任統治領?
 パンパン語源考察
 http://homepage2.nifty.com/DIG-Japan/nl57akib.htm
@DIG 戦争体験を掘り起こす会
>「角川外来語辞典」(荒川惣兵衛/角川書店/1967年発行)にも、「パンパン【南洋土語】p(w)ang p(w)ang]と紹介しているが、その引用例の一つに「パンパンということばは太平洋戦争以前から海軍で使っていた、トラックの土語らしい。「文芸春秋山本嘉次郎・・・わが交友録)一九五四・六」)とあった。これで日本海軍で使用していたことが間違いではないとはっきりした。
>「ドキュメント太平洋戦争第六巻」(家永三郎解説/汐文社/1975年発行)の「ふみにじられた女性」には、南洋委任統治領時代のサイパン島で日本人が売春施設を「パンパン宿」、売春婦をパンパン女と呼称し、第二次大戦中はこれらの施設がすべて海軍用となったことが書かれていた。
・・・
>「パンパン」が売春を示す外国語が他にないようなので、「パンパン」は日本語であることは間違いない。これを民間人がつくったか、海軍軍人がつくったかは確定できないが、おそらく海軍軍人だろう。ニューブリテン島の海軍慰安所にも使用しているので、海軍が売春を示す海軍用語として使用していたことは事実だ。また、南洋委任統治領での売春施設での最大の客は日本海軍である。
>ちなみに慰安所の俗称である「ピー屋」の「ピー」は中国語の”女陰”からとするものもあるが、海軍隠語の「ピーハウ」(遊郭、売春宿)の語源である「Prositute house」(売春宿)と同じ英語からつくられたものである。
>「パンド」で「妊娠する」という意味の海軍士官隠語は、英語の「exepand」(ふくらませる)の語尾を転じさせたものとされている。そこから前述の「広辞苑「(第一刷)に記述されてた、インドネシア語のプロムパンの語尾を転じさせた可能性も考えられるが、インドネシアは日本の委任統治領ではなかった。
>これで「パンパン」は日本敗戦後の言葉ではなく、南洋委任統治領時代に日本人がつくった言葉であることがわかった。「広辞苑」には、南洋委任統治領時代に、現地の言葉をもとに日本人がつくった言葉、戦時中は海軍慰安所を示した、と記載してほしいものである。




・・・小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 沖縄論』。


まあ、「命より大事なものがある!」とかの例の調子はいつもどおりだが、
沖縄の現実を前に、今回ちょっと心境に変化があったのかもね。



ちょっと驚きなのは、
沖縄における瀬長亀次郎の戦いについて、長大なページを用いて
詳細に描写し、大絶賛していることだ。


▼『瀬長亀次郎回想録』
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=442


沖縄タイムス
<2001年10月6日 朝刊 1面>
瀬長亀次郎氏が死去 不屈の庶民派の政治家
http://www.okinawatimes.co.jp/jin/20011006_1.html
>米軍の圧政に屈しない不屈の闘士として知られ、「カメさん」の愛称で親しまれた元衆院議員の瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)氏が五日午後十時二十七分、豊見城村内の沖縄協同病院で誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。
>九十四歳。豊見城村出身。告別式は未定。自宅は那覇市首里石嶺町四ノ三一ノ五。喪主は妻フミさん。
>瀬長氏は米軍占領下で沖縄人民党書記長などを務め、立法院議員や那覇市長を歴任した後、一九七〇年の沖縄の国政参加選挙で衆院議員に当選し、以降七期連続当選を果たした。政治活動では米軍の弾圧に正面から立ち向かい、米軍の占領政策を厳しく批判、沖縄の抵抗のシンボルとなった。
>一九〇七年、豊見城村我那覇生まれ。県立二中、東京・順天中学を経て旧制第七高等学校に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に、放校処分になった。三二年には丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役三年の刑で横浜刑務所に投獄された。
>その後、沖縄朝日新聞記者、毎日新聞沖縄支局記者を経て、四六年にうるま新報社長に就任。在任中、沖縄人民党の結成に参加したことにより、軍の圧力で同社長を辞任。沖縄人民党書記長となり、五二年の第一回立法院議員選挙で当選した。
>五四年、米軍の沖縄人民党弾圧事件で懲役二年の刑を受け、再び投獄された。出獄後、五六年の那覇市長選で当選したが、那覇市への補助金打ち切りや融資停止・預金凍結などの措置に遭い、米軍は布令改定で瀬長氏を追放、被選挙権をはく奪した。那覇市政をめぐる米軍との攻防は沖縄の祖国復帰運動へののろしとなったとされる。
>瀬長氏は肺炎で五月に入院。六月にいったん退院後、再入院。十月一日に容体が急変し、危篤状態が続いていた。
>ジュリオ・キュリー賞、那覇市政功労賞、県自治功労賞、沖縄タイムス賞(自治賞)を受賞。那覇名誉市民、豊見城名誉村民。著書に「瀬長亀次郎回想録」「沖縄からの報告」「民族の悲劇」「民族の怒り」「民族の未来」など。九八年には映画「カメジロー 沖縄の青春」が制作された。



沖縄タイムス社説:
長亀次郎氏が死去/「カメさん」と親しまれ庶民と歩んだ抵抗の人
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20011007.html
・・・
>「カメさん」の愛称で親しまれた瀬長亀次郎さんが亡くなった。沖縄の戦後史上特筆に値する功績を残した瀬長さんの死去を惜しみ、哀悼の意を表したい。
>瀬長さんは、戦後の人権無視の米軍支配に怒り、幾多の弾圧を受けながらも何ら臆(おく)することなく米軍と闘った「抵抗の人」であった。
>政治の場から県民の人権獲得、自治権拡大のために一身を投じた人であり、瀬長さんの足跡はまさに沖縄の戦後史そのものだといえる。
>こんなエピソードがある。一九五七年、瀬長さんが那覇市長に就任して間もないころのことである。
那覇市役所本所や首里支所に長蛇の列ができた。税金を払うために並んだ市民の列であった。
アメリカの占領政策をことごとく批判する瀬長氏の当選を苦々しく思っていた米民政府は、那覇市に対する都市計画資金の融資と民政府補助を中止した。民政府の指示に従い、銀行協会も市の預金を凍結し、一切の取引を中止した。
>市の財政が窮迫するのは当然である。道路は途中まで舗装されていても、その先は砂ぼこりをあげている。だが、市民は「瀬長道路」と呼んで苦笑していた。
それだけではない。当時の貧しい生活にもかかわらず、市民は自発的な納税運動に立ち上がったのである。納税率は市政始まって以来の97%に達したという。
>瀬長さんが常に庶民とともに歩んでいたからだ。
>政治家の命は言葉だという。当時の政治家は演説で聴衆を集め、魅了した。方言を交えた独特の節回しで訴える瀬長節は、その筆頭だっただろう。
>米軍の圧政下で苦しんでいた聴衆は、自らの思いを代弁してくれていると受け取ったに違いない。
・・・



・・・つまるところ、たとえ思想・信条が違っていても、
「圧倒されざるをえない人生」というものが、
世の中には確かにあるのであって、
ありていに言えば、よしりんは亀次郎に惚れたのだ。
その気持ちは非常によくわかる。


・・・「つくる会」のみなさんが、小林よしのり
殺したいほど憎む理由が、またひとつ増えた。(@∀@)

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」