よろしい、ならば「図書館戦争」だ
▼毎日新聞 の・ボール:石原慎太郎・東京都知事の同性愛者べっ視と取れる発言が… /愛媛
>石原慎太郎・東京都知事の同性愛者べっ視と取れる発言が、今月だけで2度、小紙で報じられた。石原氏はデビュー作「太陽の季節」以来、トリックスターとして人気を集めてきたが、“弱い者いじめ”を繰り返すようでは、そろそろ潮時だろう
>愛媛県では、同性愛者や性同一性障害者の団体「レインボープライド愛媛」が国政、地方選挙で繰り返し、性的少数者についてのアンケートを実施。理解や共感の有無は別にしても、ほとんどの候補者が差別は許されないという健全な感覚を共通していた
>今、トリックスター的な首長は、石原氏だけではない。ある種の確信犯的な常識外れの言動の中に、弱者への共感や目配りがあるかどうかが、真がんを見極めるポイントだと思う。
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20101210ddlk38070599000c.html
▼石原都知事「規制なんて当たり前だ。自分の子どもにあんなもん見せられるのか。」
http://netateki.blog46.fc2.com/blog-entry-3424.html
・・・なかなか認知しなかったあんたの隠し子の話やベトナムで買春した話を東京の子どもに言えるのか(@∀@)
・・・この手のヤラセ報道では、たいてい成人向け漫画を子どもの保護者に読ませて「規制してもらいたい」という言葉を誘導するけど、それがどうしたというのだろう(@∀@)誰かの「規制したい」という意見の存在は、規制を正当化する条件としてはぜんぜん十分ではない。少なくとも民主主義の存在する世界ではそうだ。科学的根拠や法的な正当性を示せないから、こういう情報操作をするのだろう・・・
そもそも、たいていの出版社や書店ではとっくに成人向けコンテンツには自主規制が入ってるし、子どもが簡単に買えるようにもなっていない。
・・・それにそもそも、漫画はカネを出して買わなければ手に入らないが、
青少年に有害な都知事の存在はモザイクもかけずにテレビから家庭にたれ流しになっている。日本の子どもが「結婚しても、ヨソで避妊せずにセックスして妊娠させてもいいんだ。外国で女を買ってもいいんだ。」と思うようになったらどうするのだろう(@∀@)規制すべき優先順位がまちがっているのではないだろうか?
▼障子チ○コマン作って石原都知事怒らせようぜwwww
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3151157.html
・・・すでに描いた奴がいるw
▼猪瀬直樹@ツイッター
されません。 RT @gomadangoma @inosenaoki >火の鳥は近親相姦描写がありますが区分分けされるのでしょうか?
12月14日 webから お気に入り リツイート 返信
http://twitter.com/#!/inosenaoki/status/14414535439949824
・・・それは条例の条文と矛盾しますが(@∀@)法治ならぬ人治主義というわけでつね。
規制されるかどうかは猪瀬直樹が決めるとw
▼猪瀬直樹@ツイッター
>出版社は傑作なら喜んで原稿を受け取る。条例なんて、そのつぎの話。
>まずは傑作を書いてから心配すればよい。傑作であれば、条例なんてないも同然。
>つるんで騒いでもあとが虚しい。自分の生き残りを考えること。ライバル同士がつるむことに僕は理解できない。
12月14日 webから お気に入り リツイート 返信
http://twitter.com/#!/inosenaoki/status/14421262092738560
・・・石原慎太郎とつるんでいる猪瀬センセイのほうが理解できませんw
ちなみに「つるむ」というのはもともと「犯罪者が共謀する」ことをいうわけですが、公職にある人の使う言葉とも思えませんな(@∀@)
どうもツイッターを使うと、
卑しい人の卑しさが増幅されるような気がするのはなぜだ(@∀@)
▼愛媛新聞社説:独善的な正義や道徳で作品を焼く者は、いずれ人をも焼く。
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201012160373.html
>漫画「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけが近年、おしりをあまり見せなくなっている。
アニメ化された当初、しんちゃんの言動は社会現象になる一方、低俗番組扱いもされた。青年
漫画誌の連載のためか大人受けする皮肉やきわどい性表現も見られ、親をばかにするような
セリフが子に悪影響だとして、保護者団体からやり玉にあげられた。
その騒動をパロディーにもしていた作者の臼井儀人さんは昨年、事故で亡くなった。生前に
作風を変えたのはさまざまな理由があってだろう。
>作品は作者の手を離れて世に出た瞬間から作者だけのものではなくなる。読者や視聴者との対話、
あうんの呼吸で作品は洗練もされうるし、受け入れられもする。
その過程に行政が入り込む余地はない。創作物に規制を施そうにも明快な客観基準を見いだせ
ないからだ。親を敬えというのは道徳的善。性的なものへの寛容も嫌悪も十人十色。近代国家に
おいて法と道徳の分離は必要条件、権力が表現行為に不当介入しないことが十分条件だ。
>事の重さを東京都議会は自覚すべきだった。この1年、物議を醸し続けた都青少年健全育成
条例の改正案がきのう可決、成立した。いわゆる有害図書の指定制度が十分機能しているにも
かかわらず、漫画やアニメ、ゲームの過激な性描写への規制を広げる。
18歳未満のキャラクターを示す「非実在青少年」という不可思議な文言は削除されたが、
規制対象がよりあいまいになった。作家や出版社への萎縮効果は絶大であろう。
>今回の改正論議が一貫して行政主導で進んだことから、摘発強化に重点が置かれたのは明白だ。
条例を所管する都の青少年・治安対策本部は警察幹部OBがトップを務め、警察庁出向者もいる。
親が有害と感じるものを子から遠ざけたい思いは自然だが、懸念はたいてい取り越し苦労である。
表現物の性的描写と実際の性犯罪とは何ら因果関係を見いだせないとするのが定説だ。何が有益かを
判断する力は、家庭や地域が学びの機会を与え、多様な情報に触れる中で子自身が磨いて
いくものだろう。
>この条例が守るのは子ではなく、親のかりそめの安心、警察の威厳ではないか。
問題作「クレヨンしんちゃん」はすっかりホームコメディーの定番となり、行政がお墨付きを
与えるほど。評価は時代によっても変わるのだ。
>不快なものを排除する規制のたぐいは、歯止めがかからなくなる。戦前の言論統制も国民に
分かりやすい漫画の規制から始まった。独善的な正義や道徳で作品を焼く者は、いずれ人をも焼く。
それこそ歴史が証明している。