・・・古本屋めぐりが好きだ。
街中のなんてことのない古本屋の平積みの中から、(俺にとっての)お宝を
掘り出すのは楽しい。
こないだも「毎日新聞が敗戦の時に隠していた南京事件の不許可写真」を掲載した
『1億人の昭和史(2)』(毎日新聞社、1975年)とか、
「南京事件直後のLife誌の写真記事(日本軍による略奪や虐殺を報道)」を載せた
洞富雄『南京大虐殺 「まぼろし」化工作批判』(現代史出版会、1975年)とかを
買ってきたのだが、そのときに見つけたのがこれだ。
▼前田寿夫
『間違いだらけの防衛増強論』
講談社
(1981年)
・・・防衛研修所第一研究室長、つまり自衛隊の上級幹部に防衛問題を教える立場にあった筆者が、退官後に自分の講義をまとめたものであるが、これがまー何というか、実におもしろいの。(@∀@)
1981年といえば、まだガキだった俺でさえ、世界の先ゆきに漠然と戦争の不安を感じていたころなのだが、その時点で彼は「米ソ対立なんてのは、もうフィクションにすぎなくなった」「日米安保なんてのはもう不要の存在。日本はそれをわざわざ維持させてやっているんだから、せいぜいアメリカに恩を売ればいい」「大事なことは、日本が他国の紛争にまきこまれないようにすることだ」「戦後の日本には、他国と軍事的対立を不可避的に引き起こすような領土問題は存在しない」と断言している。そしてさらに興味深いことに、彼の指摘は(ソ連が崩壊したにもかかわらず)今も全く生命力を失っていない。
▼近年の前田氏の発言
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/yuuji/yuujikojin0205.htm#自衛隊、安保はもういらない
・・・なにゆえ彼にこのような発想が可能だったのか、といえば、
ひとつには自衛隊と軍事に関する身もフタもない現実を知るがゆえに、であろう。
また、自分が属する自衛隊という組織について、外部から客観視することのできる視点があったからだろう。
>しかし、今日の日本にとって「国防は国の大事」でもなんでもない。それは単に、さまざまな国家機能のうちの一つに過ぎない。それが「大事だ」というなら、司法、行政、治安、その他、国家の様々な機能は、すべて「大事」であります。
(p163.)
・・・自衛隊の存在意義が縮小するのがイヤだからって、わざわざ「脅威」をあおりたててまで軍備増強を促進するのは愚かしいことだと前田氏は言う。それは自衛隊の「身内の理屈」であって「外の世界」では通用しないのだ、と。
また、四方を海で囲まれた日本の場合、安全を維持するなら最低限の軍事力で十分であり、アメリカの世界戦略なんぞにつきあって危険をおかすことはないのだ、とも。何十年も前のスイス政府が出した『民間防衛』(原書房刊)を有難がるアフォウどもは、前田氏の爪の垢でも煎じて飲むがいいwww 内陸国スイスの、それもカビの生えたプロパガンダ文書を、島国・日本でマジに適用できるはずがないんだよね。
・・・面白いことに、これらの発言は、国家に対する忠誠心と、自衛官に対する並々ならぬ敬意・愛情にもとづいている。きょうび「愛国心」とやらを称揚する人々は、前田氏の言説が「愛国心」の発露である・・・という事実を、はたして許容しうるだろうか(@∀@)