▼ゲゲゲの鬼太郎(第5回目のアニメ化)
http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/
・・・まるで花見沢Q太郎がデザインしたような萌えっぷりのネコ娘や
つぶらな目の鬼太郎やネズミ男だが、
これでいいのか?という一抹の疑問も残る(@∀@)
・・・死ぬほどかわいいイラストのサイト。
森やすじ風イラストが!たまらん!
▼まん延するニセ建国記念日
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070211101621/index.html
・・・今週のニューズウィークによれば
アメリカ・香港・中国にて南京事件(1937年の)を扱った映画が同時進行中とのことである。だいたい全世界で7本くらい。そのうちのひとつはオリバー・ストーンが構想中という。「虐殺を前にして逃げ出すか、それを食い止めるために微力でも力を尽くすか、苦悩の選択を迫られる人間」というスタンス。
http://www.newsweekjapan.hankyu-com.co.jp/contents/index.html
一方で、ちゃんねる桜が「南京事件は存在しない」というトンデモ映画を作製中とのことで、その件も取り上げられている。「全世界を敵に回した挙句に敗北・滅亡」、それが大日本帝国クオリティwだが、ちゃんねる桜の映画も同じパターンをたどりそうな気配。
・・・大日本帝国が俺の祖父を戦場に駆り出して虐殺に加担させたことも、その残党(※)がそれを「なかったこと」にしようとするのも、実に美しくないふるまいであろう。(@∀@)「うそを言うてはなりませぬ。卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。弱い者をいじめてはなりませぬ。・・・ならぬことはならぬものです。」サムライの国にふさわしく、彼らにはいさぎよく腹でも斬ってほしいところだ。
※現代におけるナチズムの信奉者を「ネオナチ」と呼称するのであれば、同じように大日本帝国を信奉する者たちにも、同様の適切な呼称が必要なのではないだろうか。「暴走族」を「珍走団」と言い換えるような感じで。・・・「ネオ日帝」?「ネオトージョー」?まーちょっと考えてみよう。
▼『南京!南京!』当局審査通過、主演女優にマギー?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0209&f=entertainment_0209_001.shtml
・・・マギー・チャンのことね。
▼南京大虐殺の検証スタート 自民有志、4月にも結果公表
http://www.excite.co.jp/News/politics/20070209195656/Kyodo_OT_CO2007020901000521.html
↑また素人が歴史をつまみ食いして炎上自爆の予感(@∀@)
▼訃報:星山博之さん(脚本家)
http://hikawa.cocolog-nifty.com/data/2007/02/post_94b3.html
@氷川竜介ブログ
>アニメ脚本家として数々の作品に参加されてきた星山博之さんが2月7日に亡くなったそうです。享年62歳。
>虫プロの文芸部で『ムーミン』など活躍後、サンライズで『無敵超人ザンボット3』から連なる数々の作品に参加。もっとも有名なのは、やはり富野由悠季監督との『機動戦士ガンダム』のお仕事でしょう。
・・・
>つい『ガンダム』の話ばかりしてしまいましたが、『銀河漂流バイファム』や『無敵ロボ トライダーG7』、『太陽の牙ダグラム』などサンライズ作品に見える「ヒューマンな味」も星山さんによるところ大だと思ってます。それはいまや伝統として受け継がれているとも。
▼星山博之@wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%B1%B1%E5%8D%9A%E4%B9%8B
・・・人はいつからアニメを「リアルタイム追っかけ」で見るようになるのか?
つまり、毎週そのアニメをテレビで見るために生活の予定をととのえ、アニメ雑誌に目を通し、「ロマンアルバム」だの「ムック」だのと名づけられた奇妙な書籍を買い込み、あげくにプラモデルやCDまで買い込むようになるのか?(今ならDVDやフィギュアも上記のリストに加わるだろう)
自分がはじめてリアルタイムでアニメを追っかけて見るようになったのは、ファースト『ガンダム』からではなく、『銀河漂流バイファム』からだった。(そして『新世紀エヴァンゲリオン』で終わりにしたw)
▼銀河漂流バイファム 紹介ページ
http://homepage3.nifty.com/hougan/anime/vifam/vifamidx.html
↑おそらくは最高の紹介ページ。
・・・星山氏とともに『バイファム』を作り上げた神田武幸監督もいまや故人である。いまいちど、この作品がどのような背景のもとに作られたかを確認しておこう。
たとえば戦争を描くにしても、どこか皮膚感覚を欠いた「軽さ」につきまとわれがちなアニメや映画が、今の日本では増えている。富野監督の手を離れた『ガンダム』シリーズとか、福井晴敏原作作品とかねw (←モーニングの連載『亡国のイージス』は、結局「第一部完」のままなのだろうか?)
それは仕方のないこととはいえ、戦争を扱うアニメを作る人間というのは、せめてしかるべき教養を「おさえておく」必要があるんじゃないだろうか。たとえば庵野秀明監督が岡本喜八『沖縄決戦』を参考にして『エヴァンゲリオン』劇場版完結編を作ったように。
▼みのり書房『バイファム・パーフェクトメモリー』pp.198-199
「私観バイファム論 回顧・ZANGE・その他」
神田武幸(演出家) 『銀河漂流バイファム』原作・監督
(以下引用)
一九四五年・秋・玄海灘
台風の影響で荒波に激しく翻弄される一隻の軍艦があった。恐らく朝鮮(現在の韓国。当時はまだ朝鮮と呼ばれてた。)に接収された旧日本海軍の駆逐艦、もしくは海掃艇の小型舟艇である。
終戦……そして大陸からの引揚げ。
母は私を背に負い、小さな兄の手を赤く腫れ上がる位握り、もう片方の手に、僅かな身の回りの品が入った行李(分からない人はお爺さんに聞く)を一つ抱えて、祖父母のいる故国、日本へと荒れ狂う日本海を渡っていたのである。
(父は同行出来なかった。当時父は役人をしており、事務引き継ぎ等で更に2ヶ月遅れて故国の土を踏むのである。)
僅か1000トン前後の小さな船に、上甲板はもとより、機関室にまで大勢の引揚げ者が詰め込まれていた。
傷ついた兵士だった者。泣きわめく幼児。我が子とはぐれ、気が変になった母親。それらが、くすんだ1つの固まりとなって混沌と犇き(ひしめき)合っていた。
『銀河漂流バイファム』の冒頭はこれに似たシーンから始まる予定であった。
戦争は常に民間人を巻き込んでしまう。
『銀河漂流バイファム』には、所詮、戦士は登場してこない。
ここに登場して来る13人の子供達は、戦闘員に成長する物語という手を使わず、一貫して民間人(ごく普通の子供)として、それも被災者として登場して来た。
勿論、彼等は向かって来る敵に対し、反撃、或いはそれを撃退し、戦い抜いて来た。
しかし、彼等は戦闘員としてではなく、13人の仲間達の生命を守る為に、ラウンドバーニアンという鎧を着用して、降りかかる火の粉を振り払ったにすぎない。
彼等はあくまでも民間人、それも被災者なのである。
父とはぐれ、母を失い、子供達だけで気の遠くなる様な手数を踏んで、 外宇宙練習艦ジェイナスを操り、シミュレーション訓練に汗してラウンドバーニアンを操り、 敵の火の手を払うのである。
肉親のいるであろう太陽系惑星、地球へと、大宇宙を彷徨う(さまよう)のである。
前記した様に『銀河漂流バイファム』に登場した子供達13人は、 戦争に参加して、華々しい戦果を上げた勇者の物語ではなく、戦火に巻き込まれ、肉親と生き別れた少年少女達が、様々な困難に挫けずに、自分達の力だけを頼りに生き抜き、又、敵に立ち向かう。
言って見れば、一種のサバイバル物と言えるだろう。
この作品で表現したかったのは、その中での束の間の憩(いこい)の中に、ふと、少年、或いは少女に戻った時の情景、悩み、思考、その反応等を目盛に、無理なく現して見たかったのである。
スコットを始めとする、ロディ、バーツ、そしてクレア、
マキ達成年に片足を突っ込んだ年長組の責任感(又はその悩み)等々…。
そしてシャロン、カチュア、フレッド、ペンチ、ケンツ等の背伸びしたい中間層。
ジミー、マルロ、ルチーナ達年少組の純粋な目線。
これ等が、どこまで表現出来たかその評は敢えて甘受するが、
私なりに、私の言いたい事はある程度表現出来たのではないかと思う。
僅かばかりの身の回りの品と、着のみ、着のままの服装(第23話で補給を受けた筈なのに…等とは言わない)で、戦場になった故郷、開拓の星クレアド星から脱出する。
傷ついた将兵、肉親と離ればなれになった民間人の子供達が、 シャトルに詰め込まれ、宇宙へ避難するのである。
私の幼児体験を二重露出された所が随所に出て来ている。
そう……子供の世界を描く時、私は常にそのキャラクター(性格)に、その年令の頃の自分に投影して観るのである。
例えばケンツにしてみれば、10才……何と、今から30年前の自分を観るのである。
当時の世界(…と言っても勿論日本。それも会津の山の中)は、まだ木炭自動車が走っていた時代である。
余談ではあるが、絵本に載っていた、トロリーバス・双子バス(知ってる?)に当時憧れていた。
しかし、そんな昔の思考・物の見方では
現代の目まぐるしく変化する情報化時代には合わないのではないか?、又、ズレが生じるのではないか?。
否………否である。
幾ら時代が、簡易化し、スピード化し、変化した時代であっても、元来日本がはぐくんで来た倫理、道徳、思考等は、そう簡単に変るものではない。
私達(創る側も観る側も)は日本人なのだから………。
善は善であり悪は悪なのである。
時の流れが、幾ら違っても、文化の革命等が起こらない限り、人間の思考等そう安易に変る訳がない(と信じてる)。
それ等をデフォルメさせ、芦田氏が設計したあのケンツにブレンドさせキャラクター(性格)を形成するのである。
スコット、ロディ、バーツ他、クレアからルチーナに至るまでそれぞれに投影し、思考、行動等に個性を形成したのである。
(略)
甘さという事で、良く人に言われるが、『銀河漂流バイファム』に限らず、登場人物に徹頭徹尾、悪人と呼ばれる人物は1人もいないのである。
主人公に様々な悪を投影して、ヒーロー像を浮き立たせるべきではなかったか?
そういう手も有る事は確かである。しかしここではあえて、その手法は取らなかった。
何故なら、始めから特定のヒーロー像を創る意志が無かったからである。
練習艦ジェイナスという閉鎖された、ホームに生活する13人全ての、あくまで喜怒哀楽を描きたかったからである。
ヒーローのいないドラマ……。いや、13人全てがヒーローなのである。
ラウンドバーニアンで出撃出来るパイロットにはそれなりの制約を作った。
いくら高下駄があっても、マルロやルチーナには操縦は無理である。
やはり、あのスコットを除く年長組のロディ、バーツ……ケンツ止まりであろう……と。
その中で敵の火の手を振り払って最終話まで生き抜く姿こそ、真のヒーローだと私は思ったからである。
(略)
戦争とは日常の倫理・常識を超えた所にある。戦争をするのは人間である。
……が、戦争という化物はその人間から遊離して戦争そのものが一人歩きをしてしまうという。
勿論聞いた話である。
傷ついた敵兵に銃を向けずに見逃す等という行為はドラマ上だけの事であって、もしその傷ついた敵兵を仕留めなければ、
後々間接的に味方の人間を殺してしまう事になるかも知れないからだ。
戦争は綺麗事ではない。原子爆弾は残酷な兵器だと今、人は言う。
しかし、残酷でない兵器等有り得るのだろうか?
どんな兵器を使っても残酷でない殺し合い等有り得ないと私は思う。
そして、殺した者、殺された者に勝者、敗者と一概には言えない。
戦争に参加した者全てが、戦争自体の残酷さの被害者と言えるからである。
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↑ファーストシリーズとOVAと『バイファム13』と音楽CDが全部入り。
こりゃ買うしか(@∀@)
言っとくけど高いぞ!
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