・・・『九条の会』にささげる企画。「九条通り」は京都に実在する(東寺のあるあたり)。
「この曲を聴けば、かつての戦争の悲しみを思い出す」・・・日本の歌謡曲の中には、そういう歌がいくらでもある。そういう曲をコンピレーションしてみようという企画。つまり「戦争がイヤになる歌の大全集」。ただし、「曲を聞くのがイヤ」になっちゃダメで、「なんとなくついつい聞いてしまう。聞いているうちに戦争がイヤになる」ようでなくちゃダメだろう。全曲新編曲・新録音でやるべきだ。SEもきちんとしないとね。『戦友』のバックには常に満州の風の音が吹きすさんでいなければいかん。『岸壁の母』は舞鶴の埠頭に打ち寄せる波の音で始まらないといかん。いずれもあまりエモーショナルではなく、透明感のある女性ボーカルで淡々と歌われたほうがむしろいいんじゃないだろうか。
▼『戦友』
※歌詞と曲 http://www.asahi-net.or.jp/~cp7t-mrt/senyu.html
(↑音が出ます。ここの編曲が一番いいと思う)
>昭和の軍国主義全盛期にも、この「戦友」は“厭戦的”な軍歌として歌う
とが禁じられた。1963年(昭和38)大阪労音の例会でアイ・ジョージが
「戦友」を歌い、賛否両論が湧き起こった。
>戦後は森繁の18番のように思われているが、戦後のリバイバル(1960年代)
のきっかけは、日本人として初めてアメリカのカーネギーホールで公演した
アイ・ジョージ(石松譲二)が反戦歌として絶唱してからである。野口雨情
会の理事長だった横沢千秋は「この『戦友』の歌は日露戦争の直後に出され
たもので、詩句も曲も悲しみを湛えた歌である。昭和に入ってからも歌われ
たものだが、兵士の志気を消沈させるおそれがあるということと、軍紀違反
をのべた文句があるので歌うことを禁止された。けれど、その命令に従った
のは軍隊の中だけで国民の誰もが実によく歌った歌である」(『日本流行歌
史』1970年)とのべている。
※作詞者 http://oe-kyoto.jp/resistration/kankou2.htm
※来歴 http://kinmirai.hp.infoseek.co.jp/chiiki-tanngogaku-sennyuu.htm
※フリギア旋法 http://www7.plala.or.jp/machikun/yougo1.htm
・・・曲と歌詞をみてもわかるように、この歌を聴いて「うおお戦争してえ」と思う奴がいたら、ちょっとどうかしている。街宣右翼のみなさんがこの曲をガンガンかけながら爆走しているのを見ると、「ほんとうにバカだなあ」と思う(@∀@)
▼『岸壁の母』
http://www.asahi-net.or.jp/~cp7t-mrt/ganpekinohaha.html
>レコードで一躍有名になった「岸壁の母」のモデルといわれる東京都の老婦人は、昭和25年1月、ナホトカからの引揚船が舞鶴へ入港して以来6年間その都度、舞鶴へやって来て息子の姿を求め「もしや、もしや」と桟橋に立ち続けた。当時、東京〜京都間は急行列車でも一晩がかり、そして京都〜東舞鶴間も鈍行列車で約4時間、時間的にも経済の面でもつらい旅であったと思われる。 31年に息子の戦死公報が届いたが信用せず、いつかは帰って来る、と37年間抱き続けた願いも空しく、遂に56年7月「もしや」が果たせないまま亡くなった。
>ところが、である。死んだはずの一人息子は生きていた。2000.8.11の京都新聞は、こう伝えている。・・・
(TдT)
・まったく関係ないが、これを聴くと『ジャリん子チエ』でチエちゃんがこの歌を歌うシーンを思い出す。
▼笠置シヅ子『東京ブギ』
・『はだしのゲン』で主人公が歌ってた。逆境をはねのけるための歌として。
▼『上海帰りのリル』
※歌詞・曲・来歴 http://www.asahi-net.or.jp/~cp7t-mrt/shanghai-ril.html
・敗戦後の引き揚げの混乱で見失われた人の消息をうたう歌。
『宇宙戦艦ヤマト2』のエンディングテーマ『テレサよ永遠に』が、曲調の一部を引用している気がする。まあそれを言ったら『ヤマト』の楽曲の元ネタは『ラバウル小唄』に集約されてしまうわけだが。
http://www.asahi-net.or.jp/~cp7t-mrt/rabaul.html
▼『宇宙大シャッフル』 さくらももこ歌詞 LOVE JETS曲
※歌詞
・『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ。爆破された街で猫が鳴いているのである。
▼ブルーハーツ『青空』
・・・ほかに「これは」という歌があれば、ぜひ。