・・・前回に引き続き、アメリカのテレビドラマ『ギャラクティカ』の話をしてみる。
『ギャラクティカ』の世界では、宇宙に進出した人類が、かつて人類の生み出した機械である「サイロン」の軍勢によって絶滅寸前においやられている。5万人たらずの生き残った人々は、サイロンの追撃をかわしながら新天地である「地球」を探索してゆく。一方、サイロンは独自の「進化」をとげながら、執拗に人間たちの宇宙船団をつけねらう。なぜ彼らは人間を滅ぼそうとするのか?・・・ここまでがツカミだ。
『ギャラクティカ』というドラマが面白いのは、わずか5万人にまで減少しながら、人間の間にさまざまな対立や衝突が発生してゆく、そのプロセスを描き出すところだろう。
たとえば、唯一の「軍」である空母ギャラクティカの艦長・アダマと、政府代表であるロズリン大統領の間には、常に緊張関係が生じている。アダマは規律を重んじる古い人間なので、軍隊が政府から独立して動くようなことは「軍事独裁になってしまう」と考えているが、それでもなお衝突は避けられない。
「軍」もまた一枚岩というわけではない。ギャラクティカの副艦長タイは陰険で高圧的で鼻持ちならないアル中じじいで、軍事的な目的のためなら民間人を弾圧することも辞さない嫌われ者、まさに火薬庫www
軍と政府の関係だけではない。この宇宙船団の中には、いうなれば小さなアメリカ社会が詰め込まれているのだ。シリーズが進むにつれて、この社会のさまざまな問題点が明らかになっていく。軍事物資の横流し、売買春、児童虐待、ヤミ市場、貧富の極端な格差、殺人、民族差別、ヘイトクライム、衆愚政治・・・人々はこうした「解決しがたい問題」に直面させられる。
俺が一番「すげえ」と思ったのは、一話まるまるかけて「劣悪な労働条件の改善のために、労働組合は必要だよ。それは社会に絶対に必要なんだ」というテーマが描かれた回だ。第何話かは伏せておくが、本当にそういう回がある。しかもけっこう感動的だ。製作者のコメンタリー音声トラックを聞いてみると、プロデューサーは明確にそういう政治的スタンスを提示するつもりで作ったようだ。彼は言う。「僕はふだんは結論を示すようなドラマは作らない。疑問を投げかけ、結論は視聴者にゆだねる作品を作ってきた。しかし今回はちがう。人間らしい労働環境を与えられていない労働者のためには、労組がどうしても必要だと思う」と。
これら社会的な対立だけではなく、個人の間の対立も重厚に描かれる。たとえばアダマ艦長と息子リー・アダマの親子対立。彼らは碇ゲンドウと碇シンジのような腰のひけた関係ではない。父はパイロットである息子の上司でもあるから決して厳格さを崩さない。息子は偉大な父親の影から抜け出そうと苦闘しつづける。それは時として深刻な影響を周囲におよぼすこともある。
さらにいえば、一人の人間の内部における対立、内面の分裂や葛藤も主題となる。これに関してふれると深刻なネタバレになってしまうので情報は伏せておくが、視聴者はおそらく何度も「ええっ?!」と言わされることになるだろう。
・・・なお、人間とサイロン以外に、会話の中だけで登場する「神」という存在がある。いうなれば人類ともサイロンとも異なる第三勢力のようなものらしい。宗教的なテーマはそこにはあんまりないような気もする。すくなくとも私はそのように感じる。
・・・あとは俳優たちについてすこし述べておこう。(つづく)