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『南京の真実』が教えない南京の真実(@∀@)

毎日新聞の連載「南京−沈黙の深い淵から」。

▼1 記憶の封印を解く
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080319ddn005040066000c.html
>《滞在とは夢、すぐ出発だ。一小隊が二百名位の敗残兵を捕虜にした。彼等は南京陥落を知らず逃げて来たものであらう。之を如何に処置するか副官に聞きに行った》
>昭和12(1937)年12月14日の日記は、そんな書き出しで始まる。大隊の副官から「二百あろうと五百あろうと適当な所へつれて行って殺してしまへ」と指示された日記の主たちは、捕虜たちを揚子江岸へと連れ出す。その時の様子はこう描写されている。
>《「面没子」の観念で諦(あきら)めがよいのか「救命 救命」といへばワアーっと喊声(かんせい)あげて拍手する》
>《膝を没する泥土の中に河に向って座らせた千二百人。命令一下、後の壕に秘んで居た重機(重機関銃)二、一斉に掃射を浴せた。将棋倒し、血煙、肉片、綿片、飛上る。河に飛込んだ数十名は桟橋に待ってゐた軽機の側射に依って全滅し濁水を紅に染めて斃(たお)れてしまった。あゝ何たる惨憺(さんたん)たる光景ぞ。斯(かか)る光景が人間世界に又と見られるだろうか》
>日記の主は8年前に92歳で他界した元兵士。その長男(76)がいとおしげに見せてくれたその升目帳には、捕虜や民間人の虐殺、集落への放火、女性への強姦(ごうかん)など、南京攻略前後の日本軍による蛮行が赤裸々に描かれていた。・・・
▼2 「だから、堪えて下さい」
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080326ddp041040026000c.html
>「民衆のこととか、これまで聞きたいというもんはおらんかったし、家族にも話したことないです。パンパンやりおうて陥落させたと、それだけ。あなたがこうして来て、尋ねられるからちらほら言いますけど、あんまり実情は話したくないです。やっぱり、いい行いはしとらんですけんね。自分の家族があんな目にあうと思うたら、戦争はされんなあと。それだけ。だから、堪(こら)えとって下さい」
▼3 耳を澄まし、心を通わす
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080402ddp041040017000c.html
>「子供がおったら、親死なせてためにならんさかい、処分しておけちゅうもんやろ。そんで河べりには大きな倉庫があるねん。中にみな放りこんでん。そんでもう入らんようになってしもたら、閉めて蒸し焼きや」

↑この辺の話は、私の祖父の話とも合致する。「倉庫の中に無数の焼死体を見た」。よくあることだったのかもしれない。

(つづき)
>「やっぱ飢(かつ)れてんねん。明日はない命やんけ。で、軍医さん、いっぺん調べよっていうんやわ、大事なとこを。『サイコ(性交)、サイコ』はするこっちゃ。『カンカン』ちゅうんは大事なとこ見してくれや。それをな、嫌がるわけや。1人2人(兵隊が)おってな、広げるわけや、無理やり」
>「高校の生徒や、おなごの子や。部屋一つやっとんねん。我々兵隊は若いさかい、サイコ、サイコはつきもんやさけえ」
・・・
>「行軍中はすぐですわ。背嚢(はいのう)を横にやってね。銃剣は外せへん。いつ飛んでいかないかんか分からへんさけ。何て言うか、すぐそういう気になってまう。気持ちが荒れてしもてるからなあ。覚えとらへんけど(強姦(ごうかん)した相手は)50人じゃきかへんわ。(苦笑)きかへん。人間のすることちゃうねん。自分らかて死ぬか生きるかさかい。ほんまの畜生てえか、最低の動物みたいになっとったんや」
こうしたDVDが30人分ある。・・・
▼4 自分の青さが嫌になった
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080409ddp041040019000c.html
>「城門の前には大きな濠(ほり)がありますのや。橋あらしませんやろ。工兵隊がつるはしで死体を突き刺してね。引きずってきて、土嚢(どのう)代わりに濠を埋めてますねん。その上に板敷いて、連隊砲を引いて私らは入ったんです。グジュグジュブチブチ言うてました。(死体は)何千とありましたやろ。でなかったらあんだけの濠を埋められしません」
>「出てくるとこは一方口でっしゃろ。機関銃2台で撃ったら皆死んでしまうがな。死ぬと分かってて出てくんのやから、無我夢中で。向こうは逃げるだけ。鉄砲撃ったりしません。兵隊もおったろうけど、城内にいた普通の避難民が多いですわな。女も男も、誰彼かまわんと撃ってますやろ。まあ皆殺しやね」
>「避難民には兵隊も交じってるんやから。向こうは兵隊の服なんて着てやしません。百姓の格好して銃隠してますのや。子供とかおばあさんなんかも、うかうかしてたら手榴弾(しゅりゅうだん)持ってね、寝てるとこ放ってくる。初めは年寄りや子供はかもたらあかんちゅうことでしたんやけど、晩にそんなんが襲ってきたんですわ。そやから皆殺せちゅうことになったんです」
>周り中敵だらけの戦場に放り込まれた兵士にとって、身を守るための「正当防衛」だったというわけだ。確かに兵士にとってはそうかもしれない。だから個々の兵士は責められないと思う。だが、それほどまでの民衆の抵抗を招き寄せた原因は何だったのか。そもそも他国の軍隊に国土を蹂躙(じゅうりん)された民衆が、その駆逐に立ち上がることこそ「正当防衛」と呼ぶにふさわしいのではないか。
▼5 存在丸ごと愛するために
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080416ddp012040013000c.html
>18歳で海軍に志願し、揚子江遡行(そこう)部隊の駆逐艦「海風」に乗り組んでいた大阪市の三谷翔さん(88)だ。
>三谷さんは艦上から南京城内を砲撃はしたが、捕虜や住民の虐殺に直接かかわったわけではない。それでも上陸時に見た死体の山や、停泊中の甲板から連日眺めた多数の捕虜が機関銃で撃ち殺され、油をかけて焼き殺される光景を、ずっと心に抱えて生きてきた。
>「20人、30人とトラックで河岸に連れてこられ、ダダダダダーッと。それを見られるのは甲板にいるもんだけやから、機銃の音がしている時に非番のヤツらがオレにも見せろと何人も来ました。珍しいもん見たいから。気分転換や。死体の山見たのは入城式に出るため上陸した時や。後ろ手に縛られたり、数珠つなぎにされたりした人が折り重なってね。いたる所にあった。兵隊の格好したもんなんておらへん。種々雑多。何でか分からんけど冬なのに裸の死体もあったわなあ」
・・・
>三谷さんが南京の大学で証言を終えた時、食い入るように見つめていた学生たちが次々と握手を求めてきた。口々に「日本人は憎い人殺しだという認識が変わった」、「日本への偏見を改めさせてもらった」と言いながら。


「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」