▼元日本兵:捕虜刺殺私が命じた 話すことが責任…体験語る
>終戦から65年を迎えた15日、和歌山県の元日本兵(90)が、中国人捕虜を刺殺するよう部下に命じた経験を初めて語った。
>兵隊の訓練のためにやむを得ないと自分を納得させてきたが、「むごいことをした」との思いが消えなかった。90歳の今、「人に伝えておかないと、世の中が再び戦争に向かう恐れを感じる」と、取材に対し口を開いた。【久木田照子】
>20歳だった1941年3月、中国南東部の江西省に出征した。進軍する中で、現地住民らにニワトリや卵の提供を強いたこともあった。
>「中国の人を救うための聖なる戦争と教えられてきたが、本当にこれでよいのだろうか」。疑問を感じながら、銃撃戦をしたり、上官に素手や革ベルトで殴られる日々を過ごした。
>伍長だった43年春、新たに兵役に就いた5人ほどの部下に25歳ぐらいの捕虜の男性を銃剣で刺すよう命じた。
>戦闘で度胸をつけるために必要だと考えた。捕虜の処遇を定めた国際法の規定も教えられていなかった。
>捕虜は後ろ手に縛られて引き出された。部下は1人ずつ約10メートル走って胸を突き刺した。
>殺されると察知した捕虜の男性は「あー」と大声で叫び続け、刺されて息絶えた。
>帰国後、このことは家族にも話せなかった。「(国際法に対する)自分の無知があの命令を下させたと思う。 殺し、殺されるかもしれない戦争で理性が失われていた」と振り返る。08年と今年、市民団体の催しで出征体験を話した。
>ただ、捕虜を殺させたことについては語らなかった。 ・・・
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100816k0000m040073000c.html
・・・大日本帝国陸軍兵士が、度胸づけ目的で「捕虜」を裁判なしで殺す話はよく出てくる。たとえば↓
陸軍歩兵よもやま物語―野戦&行軍アラカルト (光人社NF文庫)
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・・・中国および満州での大日本帝国陸軍を歩兵の目から見た手記。このシリーズは実におもしろい(@∀@)
▼「ネトウヨ」が日本を滅ぼす? 【PJニュース 2009年12月19日】
>「ネトウヨ」は日本を滅ぼすだろうか? いや、彼らにはもうそんな力はない。「ほえる犬は噛み付かない」のだから。
http://www.moeta.net/articles/view/1282549909
・・・朝鮮学校を脅して逮捕された「在特会」メンバー、あれは要するに愛国ネチズン版の「あさま山荘」事件なのだろうか?w
それとも、まだあと何度かバカな事件がダラダラと起こり続けるのだろうか。
▼盧溝橋周辺の軍用図見つかる たつの市内の民家
>日中戦争の引き金となった「盧溝橋(ろこうきょう)事件」の起きた1937(昭和12)年7月に
旧日本軍が作ったとみられる盧溝橋周辺の地図が、たつの市内の民家で見つかった。
・・・
>たつの市新宮町新宮、木村敞子(ひさこ)さん(72)が、77年に亡くなった義父、一雄さんの遺品を
整理中に見つけた。一雄さんは当時、中国北部で従軍していたが、戦争の話や地図についてほとんど語らなかったという。
>日本が作ったアジア・太平洋地域の地図「外邦(がいほう)図」を研究する大阪大大学院の小林茂教授は
「国内の大学のデータベースにも、この地図は載っていないようだ。盧溝橋を中心とする構図からみると、
盧溝橋事件の直後に作ったのだろう。使用された形跡があり、興味深い」と話している。
>木村さんは「戦争の実情を伝える資料として、大学などに寄付したい」と話している。(長谷部崇)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003319315.shtml