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・・・アインシュタインにこういう感じのジレンマがあったことは、ドラマ『ハロー・アインシュタイン』で見たことあったな、と思い出しつつメモ。

アインシュタインの手紙:原爆に苦悩 哲学者の篠原さん遺族、寄贈先募る /広島 (@毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050608-00000272-mailo-l34
アインシュタイン博士(1879〜1955)が平和観や戦争責任についてつづった6通の手紙の寄贈先を、哲学者の故篠原正瑛(せいえい)さんの家族=東京都中野区在住=が探している。
・・・
>◆アインシュタイン博士からの手紙(抜粋)
1953年2月22日
……私は絶対的な平和主義者だとは言っていません。私は常に、確信的な平和主義者です。つまり、確信的な平和主義者としてでも、私の考えでは暴力が必要になる条件があるのです。
その条件というのは、私に敵がいて、その敵の目的が私や私の家族を無条件に抹殺しようとしている場合です。……したがって、私の考えではナチス・ドイツに対して暴力を用いることは正当なことであり、そうする必要がありました。
1953年6月23日
……私は日本に対する原爆使用は常に有罪だと考えていますが、この致命的な決定を阻止するためには何もできなかった。日本人が朝鮮や中国で行ったすべての行為に対して「あなた(篠原さん)に責任がある」と言われるのと同様、(私は)ほとんど何もできなかったのです。……他人やその人の行為についてはまず、十分な情報を手に入れてから、自分の意見を述べるように努力すべきでしょう。あなたは、日本で私を批判的に説明しようとしている。……
1953年7月18日
あなたが前回のお手紙で予告されていた、素晴らしい日本の木彫りの人形が届きました。素晴らしい贈り物に心から感謝します。
1954年5月25日
……奥様からの感動的なお申し出をありがとうございます。しかし、私はどのみち要求の多い人間でありますし、あなたの国にも必要とされるふさわしい人たちは大勢いらっしゃるでしょうから、その友情をお受けすることはできません。

・・・↑セーターをプレゼントしようか、という申し出に対して。

1954年7月7日
……原爆開発で唯一の私の慰めとなることは、今回のおぞましい効果が継続して認識され、国家を超えた安全保障の構築が早まっていることです。ただ、国粋主義的なばかげた動きは相変わらずあるようです。
・・・



・・・ちょっと見てみたいのでメモ。

▼映画ロケ:原爆投下前の様子再現 市民ら16人が出演協力−−柳井 /山口
(@毎日新聞 2005.6.2.)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050602-00000301-mailo-l35
>広島への原爆投下直前の住民の生活ぶりや、直後の町の惨状をコンピューターグラフィックス(CG)や被爆者の証言などを交えて再現する記録映画「ヒロシマグラウンド・ゼロ〜あの日、爆心地では」のロケが柳井市柳井津の商家博物館むろやの園であった。
>映画は、広島県内の映像会社4社と3大学でつくる爆心地復元映像制作委員会が被爆60年に合わせて制作。聞き取り調査を基に再現した原爆投下直前の住民の暮らしぶり▽CG技術を使い再現された被爆前の町並みや直後の壮絶な風景▽被爆者20人のインタビュー――などで構成する。
・・・
>映画は原爆が投下された8月6日までに撮影を終え、秋に完成予定。一般公開はなく、教材として国連本部や広島市、全国各地の教育現場に寄贈。広島市で試写会も予定している。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」