▲Nega Diary: ベルトコンベアで流れてくる猫を仕分けるバイトhttp://www.ironhearts.com/diary/archives/000803.html
▼原告側が全面敗訴 沖縄靖国訴訟
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050128-00000020-ryu-oki▼首相靖国参拝 賠償請求 憲法判断せず棄却 那覇地裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050128-00000015-maip-soci
>原告側は違憲の主張に加え、沖縄戦の犠牲者にとって、住民を虐殺するなどした旧日本兵らを英霊として祭る靖国神社は許されない存在と主張。小泉首相の参拝は、沖縄戦の犠牲者を冒とくすると訴えた。判決は「精神的苦痛について、単に靖国神社のあり方に疑問を呈する人と比べ、より具体的に理解し得る。しかし、具体的な法的権利や利益と認めることはできず、原告を別に扱う理由はない」と判断した。
>小泉首相の参拝をめぐっては、東京▽大阪▽千葉▽福岡▽松山▽那覇の各地裁で訴訟が起こされ、判決は6件目。福岡地裁が昨年4月、違憲とする司法判断を示したが、その他は憲法判断を避けた。参拝が公的か私的かについては判断が分かれ、判断しなかったのは松山地裁に続いて2件目。
・・・原告の主張は認められなかったが、一方で25日の千葉地裁判決は、国にとってはさらなる火薬庫となる。
「首相の参拝は私的なもの」というのが国の公式見解だから。
▼首相の靖国参拝は「公的」 千葉地裁(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041125-00000114-kyodo-soci
>千葉地裁の安藤裕子裁判長は25日、参拝を公的なものと認め「国家賠償法上の職務行為に当たる」との判断を示した。
>その上で原告の主張する「信教の自由の侵害」は認めず「具体的な権利や法的利益に対する侵害はなく、参拝の客観的違法性を判断する必要はない」と憲法判断を回避、賠償請求は棄却した。原告側は控訴する。
>小泉首相の参拝を公的と認定した判決は、2月の大阪地裁、4月の福岡地裁に続き3例目。チリでの日中首脳会談で中国の胡錦濤国家主席が「参拝は日中間の政治的障害」と指摘しており、内外の反響を呼びそうだ。
・・・遺族に無断での合祀も、また問題となっている。
「私の家族を合祀対象からはずせ」という声を認めてしまうと、示しがつかないと考えているのか。しかし、このような「国家による私的精神生活への強制」は、近代民主主義国家で許されることではない。「自由主義国家」を守れ!(@∀@)
▼首相靖国参拝 賠償棄却 沖縄の「叫び」届かず(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050128-00000016-maip-soci
>◇「利用され屈辱」姉合祀の仲里さん
>「戦争を賛美する靖国神社に亡き姉が祭られ、利用されるのは屈辱だ」。那覇市の原告、仲里朝治さん(65)は憤る。
>沖縄戦の時、仲里さんは両親や親類ら9人で沖縄本島南部を逃げ回った。避難壕(ごう)に隠れていると、日本軍の兵隊に「軍が使用する」と言われて追い出された。外では「鉄の暴風」と呼ばれる激しい砲弾が飛び交う。空き家などに身を隠し、夜に逃げた。そばに、真っ黒に焼け焦げた子供の死体が横たわっていた。「怖かったけれど、両親の手を離さず、逃げるのに必死だった」と振り返る。
>逃げる途中、ひめゆり学徒隊の活動する壕に立ち寄り、学徒の姉光子さん(当時17歳)と再会した。「戦争に勝って、もう一度会いましょう」。光子さんは言った。約1時間後に別れ、一家は南部へ逃げ、6月19日、米軍の捕虜に。同じ日、光子さんのいる壕に米軍が毒ガス弾を投げ入れた。組織的な戦闘が終わる4日前。遺品は、セルロイド製の筆入れしかない。
>02年6月「小泉首相の靖国神社参拝は戦争賛美につながる」と、沖縄靖国訴訟の原告になることを決意した。靖国神社に問い合わせ、光子さんが55年に合祀(ごうし)されていることを初めて知った。家族に無断で。47年間も分からなかった。信じられない思いだった。
>靖国神社には軍人のほか、沖縄戦で壕や食料を提供したり、ひめゆり学徒隊で戦死した民間人が軍の協力者として祭られている。仲里さんは法廷に立ち「姉は戦争の被害者なのに、軍国主義の象徴という歴史を持つ靖国に祭られ、いとおしくも悲しい」と訴えた。
>仲里さんは「姉は名誉の戦死でも英霊でもない。姉は洗礼を受けたキリスト教の信者で、勝手に靖国に祭られては浮かばれない」と言い、小泉首相の参拝を見て「戦争、そして大勢の民間人が犠牲になった沖縄戦の悲惨さを知らないのだろう」と感じた。
・・・神道政治連盟の議員たち(小泉首相もそうだが)が、靖国で「戦死者の魂の平安」を祈るほど、日本軍に殺された人々の「戦争」はいつまでも終わらないという罠。
▼沖縄靖国訴訟全面敗訴 原告団が控訴を決定 - 琉球新報 - 沖縄
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050129-00000015-ryu-oki
・・・過去の侵略戦争と植民地支配について、南京大虐殺について、従軍慰安婦制度について、日本の為政者は「和解のための言葉」を持っていない。別にキレイゴトでなくていいのだ。「いかにして過去の歴史にピリオドを打ち、あとから文句の出ないようにして、今後のショウバイに支障の出ないようにするか」という打算さえあれば十分である。ところが実際には打算も戦略も存在しない、独自の戦略がないから「自分自身の言葉、あるいは少なくともオリジナリティを感じさせる言葉」もない。
・・・なぜそうであったかについて考えるのもよいが、とりあえず一つの参考すべき例として、かつては共にファシズムの枢軸をなしていたドイツ、その政治家の言葉に注目してみよう。重要なことは「過去への反省」うんぬんではなく、「これからの長期戦略を踏まえて、今どうする、そのために何を語るか」ということにある。
・・・小泉首相や安倍ちゃんの言葉には、つまるところ歴史もなく、価値観の異なる他者と共存して利益をあげていくための長期戦略もなく、ただその瞬間、瞬間を乗り切るだけの機能しかない(しかもたいていの場合、その場しのぎですらなく、後々問題になることも多い・・・)。レベル的には「夏休みの宿題をやってこなかった小学生のいいわけ」と同じなのだ。無理もない。実質的な世襲制下のn代目政治家、関西の言い方で言えばボンボンの彼らは、オトナになる契機も必要性も持ち合わせてはこなかったのだから。
・・・オトナであるための条件は、たとえば「あした以降の中長期戦略のために、いま頭(こうべ)を垂れる」能力を持つことだ。余計な紛争処理に時間と資源を費やさずにすめば、その分、未来に対しての投資ができる。
しばし、シュレーダー首相の言葉に耳を傾けてみよう。
▼ [AML 0326] Fwd: [uketugu] シュレーダー演説翻訳 訂正版
>以下は、シュレーダードイツ首相が、アウシュヴィッツ解放60年周年にあたっ
ての演説です。
>現、ドイツ社会の歴史認識を代表するものとして全文を翻訳しました。ワイツ
ゼッカー演説と比べると、語彙も表現も大変に直裁です。それだけに誤解を許
さない厳しさがあると思います。
>どなたでも、梶村訳と明記して転載、あるいは引用をしていただいて結構です。
アウシュヴィッツ強制収収容所解放60周年にあたって
ドイツ連邦共和国ゲアハルト・シュレーダー首相の演説(訳注1)
ゲアハルト・シュレーダー連邦首相は1月25日の演説で、60年前のアウ
シュヴィッツ強制収容所の解放を回顧した。このベルリンの国立劇場で開催さ
れた国際アウシュヴィッツ委員会(訳注2)による追悼行事には、多くのヨー
ロッパ諸国からの、元囚人と若者たちが参加した。演説は以下のとおり:
尊敬するアウシュヴィッツ・ビルケナウの生存者のみなさま、淑女、紳士のみ
なさま。みなさんの前で話すようご招待くださった国際アウシュヴィッツ委員会に感謝
を申し上げます。私は、このご招待は決して当然のことではないと信じています。現在において
もそうではありません。私たちドイツ人には、人類最大の犯罪を前にして沈黙
するほうがふさわしいのかもしれません。絶対的に反道徳的で無意味な何百万
という殺人を前にしては、政治的言語は役に立たない危険があるからです。私たちは、いかなる人間の想像力をも超えてしまった把握できないものを把握
しようと望むのです。私たちは最後の答えを無駄に求め続けているのです。残っているのは、少数の生存者と、その子孫のみなさんであります。
残っているのは、殺人施設の残骸と、歴史資料であります。
その他に残っているのは、殲滅収容所において、悪が示した確証であります。
それ以降、悪はもはや政治的、ないしは学問的な範疇ではないのです。アウ
シュヴィッツ以後に、いったい誰が、悪が存在し、ナチズムの憎しみに駆られ
た民族虐殺に、それが姿を現したことを疑うことが出来るでありましょうか?
このように確定することはしかし、古い「悪魔のヒトラー」の話に逃げ込む
ことではありません。ナチイデオロギーには前提が無かったのではありませ
ん。人々の思考の粗暴化と道徳的に自制を失ったことが、その前史であったの
です。確実なことは:ナチイデオロギーは人間が望み、そして人間によってつ
くられたのです。淑女、紳士のみなさま、
赤軍によるアウシュヴィッツ解放の60年後の今、私は民主的ドイツの代表者
として、みなさまの前に立っております。私は、虐殺された人々に対して、ま
た特に強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明いたし
ます。ヘウムノ、ベウジェッツ、ソビブール、トレブリンカ、マイダネック、そして
アウシュヴィッツ・ビルケナウ、(訳注3)これらが、犠牲者たちの歴史に、
しかしまた、ヨーロッパとドイツの歴史に、これからも結びついた名前であり
続けるでしょう。そのことを私たちは知っております。私たちは哀悼とともに、また深刻な責任とともに、この重荷を背負っております。
何百万人という子供たち、女性と男性たちが、ドイツの親衛隊隊員と彼らの援
助者たちによって、ガスで窒息死させられ、餓死させられ、銃殺されました。全ヨーッパのユダヤ人、シンチ・ロマ、ホモセクシャル、政治的敵対者、戦争
捕虜、そして抵抗運動の闘士たちが、冷たい工業的な完璧さによって殲滅さ
れ、または死にいたるまで奴隷化されました。それまでのヨーロッパの数千年の文化と文明には、これより深い亀裂が起こっ
たことはありませんでした。戦後になってこの歴史的な亀裂の全体的像が把握
されるまでには、かなりの時間がかかりました。私たちはその亀裂を知ってい
ます、しかし私は、私たちがいつかはそれを理解することができるかを疑って
います。過去は、よく言われるように「克服」されようとはしません。それは
過ぎ去ってしまうものです。しかし、その痕跡とその教訓は現在にまで到達し
ております。強制収容所で起こった悲惨と苦悶と悲嘆は、これからも決して埋め合わせるこ
とはできません。ただ犠牲者の子孫と生存者のみなさまに、一定の償いを実現
することは可能であります。連邦共和国はこれまでの長いあいだ、男女市民の正義感に依存しながらその政
治と司法においてこの責任に向かい合って来ました。淑女、紳士のみなさま、
私たちがここで見ているのは、1945年の夏の解放後の囚人たちの(会場に
掲げられた・訳者)写真ですが、若い男女たちがしっかりと抱き合っていま
す。これらのひとたちは、解放後には他の大半の生存者たちと同じく、たいへ
ん異なった道を踏み出しました:イスラエルへ、南北アメリカへ、ヨーロッパ
の近隣諸国へ、かれらの故郷へと。幾人かはしかし、かつていわゆる「最終解決」が決められた国であるドイツに
残り、またはふたたび、ここへ帰ってきました。それは、だれにとっても尋常ではない、難しい決心でしたし、ほとんどの人々
にとっては、それは自由裁量ではなくて、完全な希望の欠落の結果だったので
す。しかしながら、彼らの傷ついた人生にも希望が帰って来ました。そして多
く人々がドイツに残ったのです。私たちはそのことに感謝しております。今日では、ドイツのユダヤ人共同体はヨーロッパで三番目に大きなものです。
そして活気があり、成長しています。新しいシナゴークが建設されています。
いまやユダヤ人共同体は、私たちの社会と文化のかけがえのない一部になって
おり、そうであり続けています。その栄光にあふれ、同時に痛みの多い歴史
は、責務であると同時に約束であり続けています。学ぶ能力のない反ユダヤ主義者からは、私たちは彼らを国家権力をもって守り
ます。反ユダヤ主義がいまだに存在することを否定してはなりません。それと
闘うことは全社会の課題です。反ユダヤ主義者たちが、私たちの国だけではな
くどこでも、ユダヤ人市民を、圧迫したり、傷つけたりすることに成功して、
私たちの国に恥をもたらすようなことは、二度と許されないのです。極右勢力と、かれらのうっとうしい標語や落書きに対しては、警察、憲法擁護
局、そして司法が特別な注意を払うに価するものです。しかし、ネオナチスと
古いナチスとの闘いを、私たちすべてが共に政治的に実行しなければなりません。ネオナチスの不快な挑発と、常に繰り返されるナチスの犯罪を瑣末なものにし
ようとする、新たな試みに向かって断固として対抗することは、すべての民主
主義者の共通の義務であります。民主主義と寛容の敵に向かっては一切の寛容
があってはならないのです。淑女、紳士のみなさま、
アウシュヴィッツの生存者のみなさまは、私たちに、眼をそらすな、耳をこら
せ、注意深くあれと要求しています。彼らは私たちに、人権犯罪をずばりと指
摘して闘うよう要求しています。これらは、例えば今日、アウシュヴィッツの
追悼施設を自分の眼で確かめている若者たちによって聞き届けられるでありま
しょう。彼らはかつての囚人たちと話し合っています。彼らは追悼施設の手入
れをしたり、その保存の手伝いをしています。彼らは、彼らに続く世代に対
し、国家社会主義の犯罪について啓蒙することに力を貸すでありましょう。淑女、紳士のみなさま、
現在生存しているドイツ人の、圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負っ
てはいません。しかしながら、彼らは特別な責任を負っています。国家社会主
義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、私たちの生きた状態の一部(訳注4)
となっております。かなりの人々にはこの一部が堪え難いのであります。しかしながら、この心に刻むことが私たちの国民的アイデンティティーに属し
ていることが変わるものでは全くありません。国家社会主義の時代とその犯罪
を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務であります。私たちはこれによって、
犠牲者、生存者、また彼らの係累に対してのみ責任があるのではなく、否、私
たち自身にとっても責任があるのです。淑女、紳士のみなさま、
忘れてしまおうとすること、記憶を抑圧してしまおうとすることの誘惑が、大
変に大きなものであることは確かです。しかし私たちはそれに負けてしまうこ
とはないでしょう。ベルリンの中心部のホロコースト警告碑の石柱の広場(訳注5)は犠牲者たち
に生命も尊厳も返すことはできません。生存者と彼らの子孫たちには、たぶん
彼らの苦悩の象徴となりうるでしょう。私たちすべてにとっては、忘却への警
笛として役に立つでしょう。ここで、私たちに確かなことは:私たちが、かつて国家権力によって、自由と
正義と人間の尊厳が踏みにじられことを忘れるならば、自由も正義も人間の尊
厳もあり得ないということです。ドイツの多くの学校で、企業で、労働組合
で、また教会で私たちの手本になることが行われています。ドイツは自らの過
去に立ち向かっているのです。ショアー(訳注6)から、ナチスのテロから、私たちすべてにある確信が生ま
れてきました。それは「二度と許さない」という言葉で最も良く表現されてい
ます。この確信を私たちは守ろうと望みます。すべてのドイツ人も、またすべ
てのヨーロッパ人も、国家共同体全体が、敬意を持って人間的に平和のうちに
共生することを、いつも新たに学ばねばなりません。ジェノサイド禁止条約は、ホロコーストの直接の国際法規の教訓であります。
それは、異なる門戸、文化的特徴、宗教、および皮膚の色のすべての人間に、
生命と人間の尊厳を世界中で尊重し、擁護することを義務づけています。ここ
においても、あなたがた国際アウシュヴィッツ委員会は、すべての人間の利益
のために、みなさまの特徴ある働きをもって闘っておられます。みなさまとともに、私は殲滅収容所の犠牲者の前に頭を垂れます。もしいつの
日か犠牲者の氏名が人類の記憶から消えしまわねばならないとしても、彼らの
運命は忘れ去られることはありません。なぜなら、それは歴史の中心に安置さ
れているからです。(演説おわり)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(訳注1)原文は首相府のホームページにあります:
http://www.bundeskanzler.de/Neues-vom-Kanzler-.7698.778869/Die-Nazi-
Ideologie-war-menschengewollt-und-mensc...htm
(訳注2)ナチドイツの強制収容所の生存者によって、戦後すぐに設立された
全ヨーロッパの組織。
(訳注3)二酸化炭素や青酸ガスで工業的に大量殺人を行なった殺人工場施設
があった地名
(訳注4)Teil unserer gelebten Verfassung が原文。大変に翻訳が難しい
のであります。
(訳注5)今年のドイツの敗戦60周年記念日に向けて建設中の「虐殺された
ヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑」。ブランデンブルク門の南の広場に多くの
石柱が立てられる。5月10日に除幕されるが、すでにほぼ完成している。現
状の写真は以下で見れます:
http://www.holocaust-denkmal-berlin.de/index.php
(訳注6)Shoah 「絶滅、破滅」をあらわすヘブライ語。(訳責は梶村太一郎、Berlinにあります。アウシュヴィッツ解放60周年記念
日に翻訳)
▼NHK番組改編問題渦中に起きた、安倍晋三代議士事務所投石事件
@情報紙「ストレイ・ドッグ」山岡俊介取材メモ
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/week3/index.html#a0002993548
●地元・下関事務所の窓ガラスを割られる
●約3年半前には火炎瓶事件も。ただし、本当は銃撃との説も
●やくざ関係者に集票を依頼するも、見返りの公共工事を回さなかったため?
▼産経抄
http://www.sankei.co.jp/news/050127/morning/column.htm
>今日なら、ハリウッドスターか韓流タレントか。東京女子高等師範(お茶の水女子大)で歓迎会が催された後、車に乗り込んだ際には女学生が「アインシュタイーン」と黄色い歓声をあげ大騒ぎになったとか(講談社『アインシュタイン日本で相対論を語る』)。
>▼一カ月半に及ぶ滞在で、日本文化に触れた博士はこんな言葉を残した。「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴(いただ)いていることが、今日の日本をあらしめたのである。このような尊い国が世界に一カ所ぐらいなくてはならない」。
>▼世界でわが国しかない、二千年をも「万世一系」で繋(つな)いだ「皇統」が危機を迎え、有識者会議が動き始めた。驚くことに月一回の会合で今秋にも報告書をまとめるという。そんなことはないだろうが、「十分な審議をお願いしたい」という首相の言葉の裏に政治的意図が潜んでいたら、それは皇室への冒涜(ぼうとく)ともなる。
・・・これはしかし、いつ、どこで、誰が聞き、誰が翻訳した言葉なのか。
以下の日記の記述との矛盾点はどのように説明すればいいのか。
▼産経抄が報じないアインシュタインの日記
http://shupla.w-jp.net/datas/einstein.html
>乗組員(飾り気のない日本人たち)、友好的、まったくペダンティックでなく、
個性的なところはない。日本人は疑問を持たず非個性的で、自分に与えられた
社会的機能を晴れやかに尽くし、思わせぶりもなく、しかもその共同体と国家に
対して誇りを持っている。その伝統的な特色をヨーロッパ的なものの故に放棄
して、その国民としての誇りを弱らせることはない。日本人は非個性的だが、
実際はよく打ち解けている。おおむね社会的存在として自己自身のためには何
も所有しないかのようであり、何かを隠したり秘密にしたりする必要はないようだ。 [2, p199]
>昨日、ミカドの誕生日。午前中、上甲板でお祝い。万歳と国家斉唱。国歌は
全くのところ奇異な響きを持ち、風変わりな節回し。日本人は非常に熱心。
彼らにとっては国家が同時に宗教になっている。無気味な連中(Unheimliche Kerle) [2, p199]
ナチズムに恐怖したアインシュタインは、日本がナチス時代のドイツと軍事同盟を結んだとき、どのように感じただろうか。
・・・アインシュタインにはラフカディオ・ハーンの描く「NIPPON」への憧憬があったが、当時の日本の社会情勢や対外政策についてはよく知らなかった可能性もある。
▼ザ20世紀:1920年代
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1920.html
・・・実はアインシュタインの戦争や政治に対する考えは、生涯を通じて何度か変化を見せている。彼をシオニストと見る意見もある。
▼アインシュタイン神を語る/書評
http://www.kousakusha.co.jp/RVW/einp.html
▼Amazon.co.jp: 本: ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907725213/249-2412147-5960312
・・・おまけ。
▼【アインシュタイン日本国民への釈明】@知泉
http://www.elrosa.com/tisen/90/90197.html
1952年:72歳〜73歳
10月23日:アインシュタインが原爆製造に関係した事の釈明を日本の朝日新聞に掲載する。
>原子爆弾の制裁にあたって、私が関係したのは次のただ1点だけだ。それは私が原子爆弾製造の可能性を調べるために大規模な研究を行うことが必要だと強調した手紙をルーズベルト大統領に送ったということである。
もちろん私はこのような試みが成功した場合、それが人類におよぼす恐るべき危険については知っていた。
しかし、ドイツが「原子爆弾製造」という同じ問題の研究で成功を納めるかもしれないと考えられていたために、私としてはこの処置を取らざるを得なかった。
私は常に絶対の平和主義者だが、この場合私としては他にどうすることもできなかった。
私の考えるところでは、戦争における殺人行為は、一般の殺人と何ら異なるところはないと思う。
しかし、すべての国々が互いに協力して戦争を止め、法的な基礎の上にたっての平和的な決定に従って紛争を解決し、かつ権益を保護しようという決意をしない限り、すべての国々は戦争のための準備をせざるを得ない状態にある。
このような事情のもとでは(原因となる)危険そのものを取り除くことのみが有効な方法なのだ、人々はこの目的のために努力するべきで、この目的に反する行為へ強制された場合、それを拒否するよう決意すべきだ。
現代における最大の政治的天才故ガンジーは、人間というものが正しい道を知り得た場合にいかなる犠牲に絶えられるかということについて実証してくれている。
インド解放のためにガンジーがなしとげた仕事というものが、一見絶対優位であるかに思われる物質的な力より強いと言うことを立証してくれている生きた証拠なのだ 10.23