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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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今度は毎日新聞にグッジョブを

・・・もいっちょ(@∀@)いくよ!

毎日新聞を励まそう@aml
  
>半月城です。
>在日外国人の年金問題やウトロ問題を書いた毎日新聞が右翼の攻撃を受けているようです。
毎日新聞を励ましたく、回覧を転載します。

>>今、毎日新聞京都版で、中村一成記者が、「排外」を問う、と題して、在日外国
人無年金問題
の特集記事を連載中です。この題名からしてなかなかめずらしいで
すが、当事者たちから丹念に聞いた事実が心を打つ、大変いい内容だと思います。
彼は社内で苦闘してこのような記事の連載を勝ち取っているのですが、右翼から
インターネット上でたたかれ、また、外国人参政権の記事では毎日新聞に組織的
に誹謗する電話やメールが連日かかってきたそうです。

(九郎註:「攻撃はそこまでひどくはない」「激励の声もある」との情報もあるので、このへんは差し引いて聞いておいてほしい。)

>>そこで、お願いです。このような外国人差別と闘う記者と記事を守るため、毎日
新聞に、メールや電話、ファックスで、今回の年金の記事を評価する連絡を、皆
さん、していただけないでしょうか。
年末の大変お忙しいところ、恐縮ですが、
一言でもいいので、どうぞお願いします。紙面は京都版ですが、今、毎日新聞
Pで全国の記事が読めるので、全国どこからの連絡であってもおかしくないそう
です。

>>すでにネット上にのっている記事をはりつけます。

▼[アクション][メール][ファクス]毎日新聞大阪本社
T 06−6345−1551
F 06−6346−8186
Eメール  at-osaka@mbx.mainichi.co.jp


▼「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/6 「排除する理由が…」 /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20041221ddlk26070692000c.html
「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/5 70歳超えても働き詰め /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20041219ddlk26070629000c.html
▼「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/4 生活に精いっぱい /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20041218ddlk26070808000c.html
▼「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/3 何でうちらに与えられへんの /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/archive/news/2004/12/17/20041217ddlk26070678000c.html
▼「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/2 置き去りにされた高齢者 /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20041215ddlk26070610000c.html
▼「排外」を問う:在日外国人無年金訴訟/1 「障害」辛く苦しいのは同じ /京都(@毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/12/10/20041210ddlk26070734000c.html

・・・毎日新聞社御中
近年まれにみる良記事に、「グッジョブ」を送ります。
在日コリアン高齢者の年金権における無権利状態を「排外」と表現されたことは非常に適切な指摘ではないかと思われます。というのも、多くの人々は、自分たちの政府が(あるいは自分たち自身が)「排外的」であるということに、うっかりしていると気づかないまま生きているからです・・・
今後も続報を楽しみにしています。


復刊ドットコム:『Qコちゃん the地球侵略少女』(ウエダハジメ
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=27355

・・・これほど不穏な漫画も珍しいので、「続きを読ませろ」と。

▼[レシピ]蓮華麺
小麦粉を水で練り、細長く延ばして輪切りにし、真ん中を押さえて蓮華のはなびらのように形をつけ、茹でる。
浮いてきたらできあがり。
スープに入れる、黒蜜で甘くしていただくなど、バリエーションはお好みで。

・・・こんな名前だったかな?
ずいぶん前に読んだ、中華の小麦粉料理の本のレシピをうろおぼえ。
おなかすいた時にすぐできるレシピで重宝、重宝。
そんで今夜は山ほど白菜のキムチぶちこんだ中華のスープに肉団子と一緒にいれていただいてます。
仕上げにごま油をたらすともうたまりません。(@д@)ウマー


・・・この本だ。思い出したぞ。

▼北京の小麦粉料理―餃子・焼麦・<ワン>飩・麺・餅・饅頭・包子
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766204808

・・・某メーリングリストより。
RAWA(http://www.jca.apc.org/afghan-women/RAWA/RAWA_Main.html)の学習会に使われた、アフガニスタンの年表。忘れないようメモ。

▼アフガン年表
1839−42 第一次イギリス・アフガニスタン戦争

1878−80 第二次イギリス・アフガニスタン戦争、マイワントの闘いでヒロインのマラライがアフガン国旗を掲げる

1919. 2 第三次アフガニスタン・イギリス戦争、アマヌラー王

1921    第三次イギリス・アフガニスタン戦争。アフガニスタン完全独立。アマヌラー国王、社会政治の近代化を始める。女性の教育促進。アフガニスタン周辺諸国と友好条約

1929.10 ナディール・シャー王位に

1933.11 ザヒール・シャー王位に、穏健な西欧型統治(1933−73)

1940. 8 第二次大戦で中立宣言

1946.11 国際連合加盟

1947    イギリス、インド撤退。パキスタンとインド分割。

1953    モハマド・ダウード王子、いとこのザヒール王のもとで首相になる。

1955    ダウード、ソ連に援助を求める。アフガニスタンソ連が接近。

1957    ミーナ、カブールに生れる。オサマ・ビンラディンサウジアラビア

生れる

1959    ダウード首相その他の大臣、ベールをかぶっていない妻たちとともに公衆の前に登場する。ベールは選択的となる。カブール大学が女性に開かれる。女性が職場や官庁にはいる。

1963    ザヒール・シャー、ダウード首相を罷免する。

1964. 7 新憲法制定、女性が新憲法起草に参加し、女性投票権を要求する。レオ

ニド・ブレジネフ、ソ連の指導者になる。

1965    第一回国民投票実施。男女ともに投票。アフガン人民民主党結成。

1971    大旱魃

1973. 7 クーデター、ザヒール・シャー、イタリアに亡命

ダウード大統領、共和国宣言

1976    ミーナ、カブール大学入学、結婚。

1977    ミーナ、RAWA設立。

1977. 2 新憲法

1978.   4月27日、クーデター、人民民主党政権掌握、タラキ大統領。ダウード暗殺。数千人の知識人や活動家が拘禁されたり殺される。

1979. 2 アメリカ大使誘拐殺害事件。新政権、ソ連と条約調印。

9 タラキ大統領暗殺、アミン大統領

     12 カルマル大統領、ソ連軍がアフガニスタン侵略

1979−80 イラン革命によりアヤトラ・ホメイニ権力掌握。テヘランアメリカ人人質事件。

1980    ムジャヒディン、反共産主義者イスラム氾濫軍、ソ連によるアフガニスタン占領に抵抗戦争開始。カブールで反ソ連学生デモ。RAWAの雑誌「女性の声」創刊。

1981    ミーナ、RAWAを代表して欧州旅行。エジプトで原理主義者がサダト暗殺。

1982    ミーナ、カブールに戻るが、後にパキスタンに亡命。オサマ・ビンラディンパキスタンに移る。アンドロポフ、ソ連指導者になる。

1982−86 ミーナ、パキスタンでRAWAの学校、職場、孤児院、マラライ病院を設立。ミーナ、何度もアフガニスタンに潜入してRAWAの活動を指導する。

1986. 2 ソ連の改革指導者ゴルバチョフアフガニスタンを「生々しい傷」と

呼ぶ。

5 ナジブラ政権

1987    2月4日、ミーナ失踪。RAWA再編成し、アフガニスタンの難民と戦争被害者支援を行う。

1989. 5 ソ連軍、敗北し、アフガニスタンから撤退、傀儡ナジブラ政権に権力ゆ

だねる。ムジャヒディン、ナジブラ政権と戦う。

1992.   4月28日 ムジャヒディン政権、カブール制圧、ナジブラ政権打倒。

ムジャディディ大統領、イスラム化徹底

      6 ラバニ大統領、ムジャヒディンの内戦始まる

          ラバニ=マスード派、ムジャディディ派、ヘクマティヤル派

          ドスタム派、ハリリ派、

1993    ラバニ派、ドスタム派、ヘクマティヤル派の内戦により数千人殺される。

1994.11 タリバン登場

1995    タリバンカンダハル制圧

1996. 4 オマル、タリバン首長に

      9 タリバン、カブール制圧、女性外出禁止、公務員顎鬚令

10 北部同盟成立

        オサマ・ビンラディンアフガニスタンアルカイダ基地建設。

1997. 5 ビンラディン、対米聖戦呼びかけ

10 アフガニスタン・イスラム首長国

1998  8 アルカイダケニアタンザニアアメリカ大使館爆破。

1999.11 国連、アフガニスタン経済制裁

2000. 9 タリバン、アフガン全土の9割を制圧

        大旱魃

2001. 3 タリバンバーミヤンの仏像破壊

      9 「9.11」

     10 アメリカ、アフガニスタン攻撃開始、100万規模の難民流出

     11 タリバン政権崩壊、12 暫定政権

2002.   パキスタンのペシャワルでミーナ死去15周年。

3 カブールで初の女性デー式典。

6 カルザイ大統領

     12 アフガニスタン国際戦犯民衆法廷ICTA始まる

2003. 1 ICTA、RAWAに協力要請

12 アフガン新憲法

2004. 3 ICTA,ブッシュ有罪判決

      4 RAWAスタディ・ツアー

      7 RAWAと連帯する会発足

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」