・・・メールでまわってきた。
▼イラクから帰国された5人をサポートする会
http://www.ac-net.org/honor/
2004年5月31日
テレビ朝日御中
「朝まで生テレビ」ご担当者御中
イラク人質事件に関する貴局のご回答に関する私達の見解
−−公開書簡−−
イラクから帰国された5人をサポートする会
代表世話人 醍醐 聰
tel:・・・・・・
fax:・・・・・・当会の質問に関して、早々のご回答ありがとうございました。
ご回答について私たちの「会」の世話人会で時間をかけ、真剣に検討させていただきました。
その結果、先に「朝まで生テレビ」の制作担当の皆様が、私どもが指摘した選択肢設定に関する不備を率直に認められ、アンケートの中止という迅速な対応を取られたことを誠意ある対応と評価させていただくものの、今回いただいた回答にはなお、2、3の疑義がございますので、改めて私たちの見解を公開書簡の形でお伝えします。
そして、この書簡に関して、「朝まで生テレビ」の制作担当の皆様と併せ、テレビ朝日の番組制作全般を担当される皆様と冷静な懇談の機会持たせていただきたいと思います。
併せて、多くの国民の皆様に、貴局のご回答とそれに対するこの公開書簡を比較検討いただき、今日におけるマスメディアのあり方を考える一助としていただくよう願うものです。以下では、先に「朝まで生テレビ」制作担当からいただいたご回答を便宜上、「貴局の見解」と置き換え、今回はテレビ朝日全体の立場を代表される皆様とも議論をさせていただきたいと思います。
【第1項に関する質問について】
1.貴局の見解
私達の「会」を代表して醍醐聰名で貴番組作成者に提出した質問において、私たちが 「人質とその家族に対するバッシングをどう思いますか」という設問は賛否を問う以前の人権侵害に当たると指摘したこと、そのうえで「非難は当然である」という選択肢を設けるのは「バッシングの機会を提供するあるまじき行為である」と指摘したことについて、貴局は「同意しかねる」と回答しておられます。
その理由として貴局は、当番組放送時において国内ではイラクで拘束された5人およびその家族の言動に対して厳しい世論が形成されていたことを挙げ、こうした社会現象の意味や問題点、本質は何なのかについて国民に広く意見を求め、論じる場を適提供することは、メディアに関わる者として当然行うべきだからだ、と説明しておられます。2.私達の見解ならびに追加質問
私達は貴局の上記のような説明には以下のような問題があると考えます。
(1)まず、当アンケートが実施された当時、イラクで拘束された5人およびその家族の言動に対して向けられたバッシングを貴局が「5人に対する厳しい世論」という表現でさらりと捉えておられるのは実態を直視しない認識だと考えます。そして、こうした表面的な状況認識を前提にして、バッシングについて賛否を問うことは、大きな危うさを孕んでいると考えます。
もともと、「バッシング」という用語は「強くたたくこと」、「手厳しくやっつけること」(『広辞苑』)を意味し、ある個人を特定して攻撃を加える行為を表す用語ですから、そうした行為について「非難は当然である」という選択肢を設けて、賛否のアンケートを問うのは、人身攻撃を拡大させる機会を提供する結果になると考えられます。
これは、アンケート実施者自身に人権侵害の意図があるかないかに関わらない問題です。もっとも、「バッシング」という用語はそれほど厳密に使われているわけではありません。しかし言葉の詮索を措くとしても、当アンケートが実施された当時、イラクで拘束された5人およびその家族の方々に対して向けられていたバッシングは、事件の被害者宅に、心労に追い討ちをかけるかのように匿名で口汚い非難・中傷の電話・手紙を送りつけるという陰湿なものでした。
こうした陰湿な匿名の非難・中傷はインターネットの掲示板に人質被害者の住所が掲載されたために起こったといわれ、札幌法務局は4月22日に「プライバシーの重大な侵害が発生している」と判断して、掲示板管理者に削除を求めています(「読売新聞」2004年4月22日)。バッシングのこうした実態については貴局も十分ご承知だったと思いますが、こうした現実を直視すれば、アンケートが実施された当時のバッシングを「5人に対する厳しい世論」と客観視される貴局の見地は余りに実態とかけはなれたものと言わざるを得ません。
そうした表面的な状況認識を前提にして、「バッシングをどう思うか」と問いかけ、「非難されても当然」という選択肢を用意するのは、ただでさえ陰湿な攻撃にさらされた個人を、反論の機会も与えないまま「投票」という擬似裁判にさらすことによって、さらに追い詰める行為に等しく、これでは人権意識を欠いた行為と評されてもやむを得ないのではないでしょうか。(2)さらに、私達が今回のバッシング行為に関して重視するのは、それが国民の間から自然発生的に形成された「雰囲気」ではなく、人質となった5人の自己責任を執拗に強調した政府・与党内の発言や一部新聞の社説、あるいは人質とその家族の家庭環境、経歴なるものを暴き立てるかのように掲載した一部週刊誌の記事によって醸成され増幅された面があったと言うことです。
なかでも、注目すべきは、ある家族が「武装グループが要求するイラ
クからの自衛隊撤退も選択肢に入れて救出策を検討してほしい」と政府に訴えたのを捉えて、「無責任な行動をしながら国の政策の変更を求めるとは何事か」と威圧的に反応した政府・与党内の言動が、国民に家族を攻撃する「お墨付き」を与える結果になったということです(「西日本新聞」2004年4月15日、酒井一郎、九州大学法学部教授談)。
また、人質とその家族の家庭環境、経歴なるものを暴き立てるかのように書き連ねた某週刊誌は札幌交通局の判断で「プライバシーを暴くもの」とみなされ、中ずり広告が目隠しされるほどでした。こうした経過をみますと、今回のバッシングをその背景事情を抜きにして貴局のように「5人に対する厳しい世論」と評するのは皮相な見方ではないでしょうか。
私達は貴局がマスメディアの一員としての責務を再考され、今回のようなアンケートを実施されるにあたっては、人権への配慮を主観的意図にとどめず、マスメディアが持つ客観的影響力という視点からも十分に検討されるよう要望する次第です。(3)私達も、貴局が言われるように、今回のようなバッシングを1つの社会現象と捉え、その意味や問題点、本質を論じる場を国民に提供するということには何ら異論はなく、むしろ有意義なことだと考えます。
しかし、そのための方法として、バッシングへの賛否だけを択一的に問い、賛否の結果を集計して公表することが目的適合的であるとは思えません。
そのような問題意識でアンケート調査を行うのであれば、イラクで拘束された当事者の行動に関する評価を問うだけでなく、今回の人質事件に対する政府の対応や言動、マスコミ報道のあり方、戦地でのボランティア活動、取材活動の意義・あり方等も併せて問いかける必要があるのではないでしょうか?(4)今回、「朝まで生テレビ」が実施しようとされたアンケートの目的がバッシングを社会現象の意味や問題点、本質を論じる場を国民に提供するという点にあったとすれば、その目的を達成する方法として賛否を択一的に選択させ、その集計結果を公表するやり方は適切とはいえないと考えられますが、「毎日新聞」5月8日記事によれば、貴局広報部は、このアンケートを開始して直後の集計で約3000人が回答し、約6割が「当然だと思う」と回答していた」と発表しておられます。
これは、アンケートを集計に誤差を伴う可能性があるとしてアンケートを中止したにもかかわらず、中止時点までの「結果」を公表されたことを意味します。
しかし、誤差が含まれている可能性を認められ、かつ、下記のように二重投稿や組織的関与の可能性を自ら認められたアンケートの集計結果をあえて公表されたのはなぜでしょうか? 理由をお聞かせいただきたいと思います。【第2項以下の質問について】
(1)貴局は「二重投稿の可能性について、組織的な投稿の可能性については認識していますが、より多くの人が気軽に意見を投稿できるようにすることを重視しています。そのため、主たる対策の対象とはしていません。」とお答えになっています。
しかし、特定の人を傷付ける可能性のあるテーマについては、「気軽」に意見を述べられるメリットよりは「組織的な投稿」による介入を許すデメリットの方が比較にならない程大きいと思われますが、その点はどのようにお考えでしょうか。
例えば「テレビ朝日のバッシング・アンケートは人権侵害と思うか」というアンケートを、同じように「気楽」に投票できるよう形式で行ったら、その場合には貴番組・貴局はどのように思われるでしょうか。(2)貴局は投稿フォーム下部の説明は、テレビ朝日オン・ザ・ウェッブの投稿フォーム一般の但し書きであり、「朝まで生テレビ!」については、ホームページに寄せられたご意見に関する個人情報は、「テレビ朝日個人情報取扱方針」の2に準じ、番組製作に関わる利用以外には一切利用しておりません。そのため、ご指摘のようなご心配はございません」とお答えになっています。
しかし、一般とは異なる方針を適用するのであれば、そのページにその旨を明記すべきではないでしょうか。そうでなければ、投票者は、一般の指針通りに扱われると考えるのではないでしょうか? この点についての貴局のご見解をお聞かせください。
以上