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 橋下維新に子供をアホにされないために!「市民のための教育戦略」を提案するよ (3)

 
・・・さて、そろそろ本題に入っていこう。「考える力を持った子供は、どのような教育によって育つのか」についてだ。

▼これまでのあらすじ
(1)橋下の言うとおりに「競争!競争!」とうるさい教育をやってたら子供はアホになりますw
 頭のいい子が育つ教育の方法論というものを、教職員組合や教育研究者は市民にもっと提示するといいですよ。
 とりあえず俺のほうから、「公立→私立進学校→国立大」の経験をもとに、たたき台の意見を提案しましょう。
 http://d.hatena.ne.jp/claw/20120211#p5
(2)資本主義社会の競争に勝つために競争教育を!と橋下はいうが、
 そもそも資本主義社会で「勝ってる」奴は競争なんかしていない(@∀@)
 ていうか橋下や維新の連中は「公正な競争」を実践していないよねw
 http://d.hatena.ne.jp/claw/20120214#p1

「考える力」というのは、必ずしも学校や受験の勉強ができることとはイコールではない。そういう勉強ができたからといって、社会に出てなんらかの成功をおさめるとも限らない。とはいえ、「学校や受験の勉強ができる」ということは、できないよりはそれなりにいいことではある。勉強がわからなくなると、学校で過ごす時間の大部分がつまんなくなる(@∀@)
おもえば、わたしも昔はそのような子供ではあった。小学校時代にはあまりいい思い出がない。運動ができるわけでもなく、勉強もたいしたことない。対人スキルも低レベルで、まるで「ドラえもんのいないのび太」のようなガキだった。授業中も休み時間も居場所がないし、たまりかねて読書やマンガに逃避した。図書館においてあった世界の童話や岩崎書店のSF全集を全巻読んだり、手塚治虫作品や歴史マンガを買い集めたりする、なんというか、暗い子供時代だった。
しかし、この読書体験は後にプラスに作用した。中学校のなかばごろから少人数制の進学塾に通い始めると、「どうも自分は国語の問題を読むスピードが人より速いらしい」と気がついた。長文の要点をつかむのもそれほど苦労しないし、読書しながら辞書を引く習慣があったので、「問題文でわからない言葉が出てきて思考が止まる」ということもあまりなかった。
・・・この塾がよかったところは、1クラス10人程度の少人数だったので、講師の目がゆきとどいていたことだ。「おまえはどうやら、定期テストの前日にテキストの問題を解きなおししてないようだ。実際に手を動かして問題を最後まで解ききっておらんのに、テスト本番で問題が解けるわけがなかろう。さあ今から20分以内にこの問題を解いてみよ」等々、講師は具体的に行動の改善を指示した。
 こうして、なんとなく学校の成績も上がり始めた。数学の難しい問題も、「国語のように理屈を組んで解いてみる」ことで解けるようになってきた。数を使うか文章を使うかの違いはあっても、いっぱんに勉強といわれているものは、すべて「論理」を組み立てて問題を解決することなのだ・・・と、中学生のわたしはおぼろげに理解していたように思う。
 結果として高校受験では第一志望校の私立進学校に合格することができた。たしかこの頃だったと思うが、岸本裕史先生の本を読む機会があった。これが実に印象的な本だったのだ。

▼『見える学力 見えない学力』

見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)

見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)

▼岸本裕史@wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E6%9C%AC%E8%A3%95%E5%8F%B2
 
▼藤原,幸男「読み・書き・計算の徹底的練磨をめざした教育実践の検討 −岸本裕史を中心に−」
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/1102/1/Vol29p230.pdf
>岸本は他の箇所で,遊び・家事労働などの重要性にも言及してはいるが,とりわけ強調しているのが,言語能力に関わる面である。家庭での会話を含みこんで,「見えない学力」としての言語環境を問題にしている。「見えない学力」であるから,直接には取り上げにくい。そこで,読書を中心に据えることになる。読書と家庭学習の習慣形成が大きな課題となる。
こうして岸本は,学校における読み・書き・計算力を「見える学力」,家庭における語彙の豊富さ,読書習慣,学習習慣を「見えない学力」として位置づける。「見えない学力」を土台にして「見える学力」が形成される,というのである。

この本は1981年に最初の版が出て、現在売っているのはそののち改訂されたものだが、内容は今でもほとんど古びていない。むしろ今では、岸本先生の意見は教育の「常識」に属するものとして認識されていると言ってよいだろう。
 岸本先生は文部省や保守政治家から見ればまったくもって文字通りの日教組教師」だった。しかし岸本先生の業績は誰にもケチのつけようがない。先生は数多くの教育論を書き、講演を行い、また小学館と組んで子供のための学習教材(『ドラゼミ』)なども作られ、後進を育ててこられた。橋下徹大阪府知事時代に教育委員として起用した陰山英男も岸本門下であるし、彼の教育論も基本的には岸本先生のスタンスを継承している。橋下は教職員組合を執拗に攻撃しているが、「日教組教師」の研究成果を認めざるをえなかったわけである(@∀@)

陰山英男 Official Web Site
http://kageyamahideo.com/
>「読み・書き・計算」の徹底した反復学習と
>「早寝、早起き、朝御飯」の生活習慣確立

・・・それはさておき、岸本先生の本を読んでみると、今さらながら「そうそう」「あるある」と思うことが数多くあった。たとえば、岸本先生は「競争」ということについてこういうことを書かれていた。友達同士でどっちが速く計算できるか競争するのもいい。しかし最も競争すべき相手は「きのうの自分」である。きのう10分かかった計算を、今日は9分でやってみよう、そういう競争をどんどんやろう、と。
 
先生の本から見えてくる教室は、殺伐とした苦役の場所ではない。たとえ計算問題の競争をしていても、子供たちは誰かを犠牲にすることなど考えもしないで、楽しい遊びに熱中するかのように、「問題を解決する」ことに無心に取り組んでいる。
 
思えば、高校受験に取り組んでいる時の私も、似たようなことを考えていた。ほかの受験生のことは一切考えないでいよう。どんな入試問題でも、満点を取れば間違いなく合格する。どれだけ満点に近づけるか、勝負する相手は自分の弱点だけだ・・・とかなんとか。今から思えばずいぶんアホっぽいが、少なくとも「競争」なんてことを考えたことは一度もなかったのは確かである(@∀@)
  
・・・以下は最近の教育心理学に関する記事だが、岸本先生の見解を補強するものといえるだろう。 

▼「より速く適切に学べる人」:その理由 
http://bit.ly/rp3GxU
学力テストを生徒に行い、半分の生徒には彼らの知性をほめる(「あなたは頭がいいんだね」)。残りの半分には彼らの努力をほめる(「一生懸命やったね」)
賢さをほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、自尊心を強化するほうを選ぶ。これに対し、努力をほめられた生徒たちは、失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思うようになる
結果的に前者は成績を退歩させ、後者は成績を伸ばした。

   
岸本先生は2006年になくなられたが、晩年のインタビューが今でも読める。「100マス計算誕生の秘密」についても語られている。

▼「100ます計算」ブーム 生みの親・岸本さんに聞く
http://miyaneta.exblog.jp/3162550
>40年ほど前、小学校3年生を担当してたとき、「かけ算九九」をやらせてみたら、まともに覚えてない子がおりました。黒板の上から問題を書いていくと、腕がだるーくなるんです。「しんどいな」といいながら書いて、子どもも写すのが面倒ですわな、「しんどいな」とまねするし。
>そのとき、いつもしゃっとしない木村君が「ノートの裏の九九の表に数字を並べ替えて入れたら楽でええやん」。「いいこと教えてくれたな」いうて採り入れたんです。
・・・
>僕の学級では家でどんどんやってくる子もいたが、「ある程度のスピードでできたらいいよ」いうとったんです。読書抜き、外遊び抜き、家の仕事の手伝い抜きで狭い意味の勉強に閉じこもると、体の発達がうまくいかんですわね。
・・・     
(「生きる力」を掲げる文科省と同じか、という質問に対して)
>いや、すべての子が学力を持つという全体の底上げやね。文科省は5%のエリートを育てようというだけ。訓練抜きのままで「町を調べましょう」という「総合的な学習の時間」は無理。習熟度別も反対や。落ちこぼれる子がつまずいとる所は何十いうてあるんです。そんな子何人もを1人の先生が教えて「この子は8+6できん、どうしよう」「分数もわからん、どうしよう」。これでは、落ちこぼれた子は絶対に戻れん。
 
このままいくと、親が勉強を教えてくれない子、家が貧しい子の学力が低くなる。僕はそれを放っとったらファシズムになるいう視点があるからね。学力、教養、知性が貧しいと、言われたことをまに受けやすい。思い詰め、思いこんだら命がけ。それ、かつての道やないですか。

・・・ですってよ〜(@∀@)橋下さん〜↑?
 
 

今回のまとめ:
・「考える力のある子」を育てるには、保護者と教師が協力して、子どもに学習能力の基礎となる生活・学習習慣=「見えない学力」を蓄積させ、それを学校での「見える学力」につなげていくことが重要である。
・教育において他者との競争は「味付け」程度の意味しかない。「きのうの自分に勝つ」こと、すなわち自分の能力を伸ばすことを目標とすることが大切だ。
アホな子を作るのはファシズムの第一歩(@∀@)

(まだまだ続く)
 
 

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」