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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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内田樹「2011.10.18 格差と若者の非活動性について」

http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php
>今の日本の若者たちが格差の拡大に対して、弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。
>それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。・・・
>彼らが教え込まれたのは「能力のあるもの、努力をしたものはそれにふさわしい報酬を受け取る権利がある」「能力のないもの、努力を怠ったものはそれにふさわしい罰を受けるべきだ」という「人参と鞭」の教育戦略です。・・・
能力や努力(できる能力)というのははっきり言って先天的なものです。「背が高い」とか「視力がよい」とか「鼻がきく」というのと同じ種類の天賦の資質です。それは天からの「贈り物」です。自分の私有物ではない。だから、独占してはならない。
能力というのは「入会地」のようなもの、みんなが公共的に利用するものです。それがたまたまある個人に「天が授けた」。・・・天賦の能力は「同胞のため」に用いるべきものなのです。・・・
>日本の若者が非活性的なのは、「自己利益の追求に励め。競争相手を蹴落として社会上層に這い上がれ」というアオリが無効だったからです。  
>「連帯せよ」とマルクスは言いました。
>それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できるような人間になれ、ということだと私は理解しています。そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。でも、根本にあるのは、「自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない」という「被贈与感」です。そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない。
今の日本社会に致命的に欠けているのは、「他者への気づかい」が「隣人への愛」が人間のパフォーマンスを最大化するという人類と同じだけ古い知見です。

・・・ツイッター拡散用まとめ。

内田樹「格差と若者の非活動性について」・・・もはや「努力する者、能力のある者だけ報われろ、できない者は死ね」という思想で人は動かない。「個人の能力は天賦の公共財であり他者のために使え。連帯せよ」という思想こそが最大の能力発揮を可能にする。http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php

 
 

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」