▼【古森義久の眼】予測ミスの“戦犯”追及
米国ではイラク戦争の見通しを間違えた言論人や学者、
政治家の責任を追及する作業が始まった。予測の外れでは
だれが一番ひどいミスを犯したか、そのランクの高い人たち
の名を「恥辱の殿堂」に記念として記録しようという動きまで
が起きている。
(中略)
日本でも朝日新聞などイラク戦争の展望について「長期化」
「泥沼化」をしきりと 断言する向きが多かった。
そのミスの責任の所在を明確にすることは、今後の国の
対外政策の評価でもきわめて重要となるだろう。
(産経新聞 2003年4月12日)▼産経抄特選
2003.3.21
>戦いは「イラクの自由作戦」と名づけられ、ブッシュ米大統領は「戦争」という言い方を慎
重に避けて「武装解除」という表現を使った。しかし大量破壊兵器の廃棄をめざす戦争であるこ
とに変わりはない。その実体から目をそらさず、真正面から見すえなければならないだろう
↓
2003.7.24
>権力と暴虐をほしいままにする独裁者が、自分の息子を世継ぎにした悪政は北東ア
ジアにも例がある。イラクの人びとにとって独裁政権の崩壊は歓迎することだったのか
どうか。それがこの戦争の大義と是非を問うカギの一つと見てよい
↓
2004.1.29
> 国会は相も変わらぬ不毛の論議をやっている。その一つが、野党側の
「イラク戦争に大義はあったのか」という愚論である。大量破壊兵器が
見つからない問題のむし返しだが、一体、戦争や革命に大義や正義という
レッテルを張る必要があるのだろうか。
↓
2004.9.18
>またぞろ「戦争の大義はどこに?」と“鬼の首”でもとったように言い立てている
新聞がある。パウエル米国務長官が上院公聴会で「イラクで大量破壊兵器の備蓄が見
つからず、今後も発見の見通しは少ない」と述べたことに、小躍りしているらしい。
>小欄はこれまで再三、戦争に大義や正義を主張することのおかしさや、うさん臭さを書いてきた。・・・