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まぼろしの新潟原爆

▼新潟の「原爆疎開
>・・・そしてこれら2つの爆弾が「新型爆弾」であることが明らかになり、全国は大混乱に陥りました(なお、これに先立ち、隣の長岡市で原爆模擬爆弾が投下され、やはり幼い命を含む犠牲があったとのことです。あらためて言及しておきたいと思います)。
>その中で新潟県は職員を広島に派遣、この職員は現地へは入れなかったものの内務省に出向いて情報収集して帰ってきました。翌10日には県幹部の緊急会議が開催され、派遣された職員からの報告を受け、新潟がこの「新型爆弾」投下の候補地になっていること、内務省新潟市民の疎開に反対である意向も報告され、深夜に及ぶ激論が闘わされました。
>その結果、新潟県は政府の意向には逆らう形で、新潟市民に対して「徹底的かつ緊急の疎開」を決定し、そして新潟市もこの方針に基づき、翌11日、町内会長を集めて緊急会議を開催し、疎開は実行に移されたのです。
>この時、自身の安全を優先する県や市の職員などもあり、市内はパニックにも陥りました。しかしその混乱の中でも、県・市の多くの職員達が、国の方針に逆らっても、新潟市民の安全のために、自らの仕事を投げ出さずに責任を全うしようと努力したのです。
>(※)注:新潟は原爆投下指令書の最終版で投下候補地のひとつとして残っていたが、実際に疎開を行なった8月11日の時点では、すでに目標からはずされていたらしい。・・・
http://green.ap.teacup.com/nakayama/121.html
▼最近の若い新潟市民にはほとんど知られていなかった「原爆疎開」の恐怖
http://clione.cocolog-nifty.com/clione/2005/08/atomic_bomb_nii.html

▼<原爆投下>「次は新潟」65年前の8月13日、市内から人が消えた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100813-00000005-maiall-soci
>にぎやかだった新潟の市街地に人影はなく、音も消えた。「ガラーンとして、猫の子一匹いないという言葉通り。不気味だった」。緑茶販売会社「浅川園」の会長、浅川晟一(せいいち)さん(104)=新潟市中央区=は、65年前の新潟・古町の情景をはっきりと記憶している。終戦2日前の1945年8月13日。大和百貨店は営業を中止し、ウインドーには郊外への疎開を急ぐよう市民に命じる役所の張り紙が掲示されていた。
>当時の新潟市は今の中央区と東区の一部が市域で、人口は約17万人。大陸と結ぶ物資輸送の拠点港として、軍事上も重要な都市だった。しかし8月に入っても、なぜか米軍のB29爆撃機による大規模な空襲はなかった。同じように無傷だった広島市には6日、長崎市には9日に原子爆弾が投下され、一瞬で壊滅した。「次は新潟が新型爆弾にやられる」。市民に恐怖が広がった。
>県は緊急に対応を協議し、当時の畠田昌福知事は10日付で市民に「徹底的人員疎開」を命じる布告を出した。「(広島市は)極メテ僅少(きんしょう)ノ爆弾ヲ以テ最大ノ被害ヲ受ケタ」「酸鼻ノ極トモ謂(い)フベキ状態」「新潟市ニ対スル爆撃ニ、近ク使用セラレル公算極メテ大キイ」。その文面からも当時の緊迫感が伝わってくる。
>知事布告は11日に町内会を通じて市民に知らされる予定だったが、うわさは10日のうちに広まり、その日の夜から疎開が始まった。郊外へ通じる道は、荷物を山積みした大八車やリヤカーを引いて逃げる市民であふれた。郊外に知り合いがいない市民には集団住宅が用意され、13日までに中心部はもぬけの殻となった。・・・
>「どんな新型爆弾なのか、想像もできないだけに怖かった。だが自分には職務があり、逃げるわけにはいかなかった」。誰もが国のために尽くすことを第一に考えなければならない時代だった。
・・・
>実際に米軍が一時、新潟を原爆投下目標にしていたことがわかったのは、戦後のことだ。当時、市民が「次は新潟」と恐怖を直感したのも無理はなかった。
・・・
>「軍人が日本を支配し、戦争を起こすような時代には戻してはいけない」。次の世代に託したい浅川さんの思いだ。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」