▼【北海道】戦時中に中国から北海道に強制連行、13年間にわたり道内を逃亡…劉連仁さん逃亡の軌跡、当別で半生描いた絵本原画展
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/194448_all.html>戦時中に中国から北海道に強制連行され、13年間にわたり道内を逃亡し、戦後に石狩管内当別町内で保護された劉連仁 (りゅうりぇんれん)さんの半生を描いた絵本の完成を記念した「劉連仁物語〜当別の山中から〜」絵本原画展が14日、ふれあい 倉庫で始まった。
>グループ亜麻の会(清水三喜雄代表)の主催。劉さんは1944年に空知管内沼田町の炭坑に連行され、強制労働を強いられた。
>翌45年7月に仲間4人とともに脱走。仲間が次々と拘束される中、58年2月に町内材木沢の山中で保護されるまで1人で逃げ延びた。
>絵本は同会代表で、当別新聞編集人の清水氏が文を担当、町教育委員長の大沢勉氏が絵を担当した。
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>18日までの午前9時から午後6時まで。18日午後3時からは劉さんを鎮魂する大和胡弓(こきゅう)ミニライブも開かれる。いずれも無料。
▼オンラインで読める 『劉連仁(りゅうりぇんれん)物語〜当別の山中から〜』
(当別町 グループ亜麻の会)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/chicho/ryu.htm
・・・山で獣のように生き延び、戦後になって保護された劉さんは、スパイ扱いされそうになったが、支援者の照会作業によって強制連行の犠牲になったことが判明する。彼は妻と子の待つ故郷に帰る・・・
▼CD紹介 沢知恵『りゅうりぇんれんの物語』
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/sawa-tomoe.htm
> 昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
> 罪もない 兵士でもない 百姓を
> こんなひどい目にあわせた
> 「華人労務者移入方針」
> かつてこの案を練った商工大臣が
> 今は総理大臣となっている不思議な首都へ
・・・↑岸信介のことである。
▼逃亡中の劉連仁さんを見た鉢呂光夫さん
「国には両親と子供」 父にすがり泣く男性 片言で命ごい
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokioku/final/01.php3
>一九四五年八月、空知管内秩父別町の農家に食事を求めてきた中国人がいた。強制連行された同管内沼田町の炭鉱から逃げた劉連仁さん(二○○○年死去)だったと鉢呂光夫さん(72)=旭川市=は確信している。
>国民学校高等科一年(今の中学一年)の夏休みの朝、かんがい溝の土手に座っている男性を見かけた。「知らないおじさんがいる」と、母に話していると、その男性が家に入ってきて「食べものがほしい」と言った。
>カーキ色の作業着に、かなり土のついた地下足袋を履き、顔は面長で青白く、目だけ大きい。落ち着きなく、おどおどしていた。父と男性は納屋の前の切り株に座り、小枝で地面をなぞりながら、身ぶりと片言の言葉で話し合った。母が朝食の余りを差し出すや、はしを二本重ねたまま、かきこむように食べた。
>後で父に聞いたところ、男性は最初、日本人と言っていたが、話し方から中国人と認めた。石炭を運ぶ仕事がきつくて逃げ出し、川のタニシなどを食べていた。「国には老いた両親と小さな子供と妻が待っている。なんとか助けてください」と、父にすがり泣いた。
>父は出征した中国で入院し散歩したとき、中国人に優しくしてもらった。それで、立ち上がって方向を示し、雨竜川と石狩川に沿って歩き、石狩湾から小舟を探して帰る方法を教えた。男性は母からおにぎり三個をもらい、薄暗くなったころ、納屋から出て行った。・・・