ゼイリブ、ゼイセイ
紙屋研究所の中の人による香山リカ『しがみつかない生き方』書評。
▼「〈勝間和代〉を目指さない」にヤラれたクチです
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sigamitukanai-ikikata.html
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>厚労省の役人や財界が「年寄りは早く死ね」という奇妙な宗教に憑かれているわけでないことは多くの高齢者が知っているはずだ。しかし、制度が「言って」いることはまさしく「年寄りはコスト高だから早く死んでくれ」ということなのである。後期高齢者医療制度に限らず、年金といい、介護保険といい、自民党政権下の社会保障全般が「高齢化社会」という看板で語っていたことは、「年寄りはコスト高だから早く死んでくれ」という強圧なのであり、思想と制度を切り離したからといってそれは何一つ解決しないし、気が楽になるわけではない。コスト、それにもとづく制度設計によって、実際に社会のなかに「年寄りはコスト高だから早く死んでくれ」という思想が育っているのだから。
>〈老いは良いものでも悪いものでもない〉(p.92)という中立性を説くためには、思想と制度を言葉の上で「切り離せ」と百万回言ってみても無意味だ。老いのコストを社会が十分に引き受けられ、心配しなくてもいいという制度設計の展望を示す以外に、それは切り離すことはできないのである。・・・
・・・あの本は俺も読んだ。特に感想はない。
ただ、日本人が「憶病」になったのでは、という香山の指摘が、俺は個人的に気になった。イラクで人質になった(正確には米軍のファルージャ虐殺のとばっちりをくった)人間を「自己責任だ」「迷惑をかけるな」と指弾する連中は、つい最近まで「世間」の都合より自分の欲望を優先してきたはずじゃなかったのか、という件。
↑こっちも面白い。
特に「全共闘運動は実は社会からみれば影響は極小。ぶっちゃけゼロかマイナスだった。むしろポスト全共闘にこそ社会を是正する影響力があった」「『連合赤軍事件で左翼運動は破産』というなら、なんでそのあと70年代に革新自治体が増えていったのかw」といったツッコミは貴重(@∀@)
要するに、全共闘のようなメディアに露出しやすい部分だけ見ていると、メディアに露出しなくても淡々と社会の改革や矛盾の是正に取り組んできた人々を見失うんじゃない?という指摘。そのとおりだ。
たとえば、今では小学生の教科書にも載っている日本の4大公害病、それを追求する公害裁判を支え続けた弁護士や労組や学生や研究者たちについて、メディアはほとんど何も語らない。彼らはまさに国会を、政治を、経済を動かしていったわけだが、彼らの物語こそいま知られるべきじゃないだろうかね。