・・・どうせこの館長、あの「従軍慰安婦なかったで厨」上田さいたま県知事にパワハラされているのでしょうが、政治的圧力に屈して歴史的事実を歪曲するような人物が、はたして県民・市民の支持を得られるのかどうか。あくまで職責を果たすことこそが、結局は世論によるバックアップをえられることになるのではないか。
・・・南京大虐殺は「歴史的評価が分かれる」? (@∀@)ほほう、あの中国戦線で戦った英霊のみなさんが、おんみずから虐殺の事実を記録しておられるというのに、そんな世迷言を吐くようでは学芸員として失格ではないだろうか。
▼抗議先
※質問として、「いったいどこから圧力をかけられたのか」ということも聞いてみよう!埼玉県平和資料館 館長 原田美岐子
http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/〒355−0065埼玉県東松山市岩殿241−113
TEL. 0493-35-4111 FAX. 0493-35-4112▼第16師団・中島今朝吾中将(師団長) 中島今朝吾さんの日記
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/16D/sireibu.html#Nkesago
>一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので
>部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
>十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず 斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
>一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
▼第16師団 経理部 予備主計少尉 小原立一さんの日記
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/16D/sireibu.html#Otateiti
>十二月十四日
>(中山門外にて)
>最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人づつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。外に二千名が逃げていると話していた。戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた
(秦郁彦『南京事件』中公新書 P121)
▼その他、第16師団の各種記録
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/16D.html
▼以上、『南京事件資料集』より
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/#atop