(▼コメント欄が見やすい「携帯版ページ」は→こちら。
・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。
▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク
▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール

▼従軍慰安婦  ▼嫌韓下流
【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日本史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索


靖国神社がインドネシア駐日大使に日本批判の書を書かせた

インドネシア駐日大使、新刊本で日本批判「日本は損得だけに興味がある」[04/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145800614/より
>最新の本「インドネシア外交官の目から見た日本」(「Politik Dan Reformasii Di Jepang」で、イルサン大使は、日本が自国の経済利益を追うことに汲々としており、 そのことによって東南アジア諸国の間で日本から援助と投資を得るよう競わせていると言う。
・・・
>同書は昨年、インドネシア語で発表されたもので、大使が東京の靖国神社付属の博物館を訪れた後、自分で日本語版の発行を決めたと大使は言った。そこではインドネシアのオランダからの独立日をオランダが最近まで主張してきた1949年12月27日と書かれていた。 インドネシア人がずっと主張してきた1945年8月17日ではなかった。
第二次世界大戦で日本の敗北の二日後にインドネシアが作成した独立宣言を認めることを、オランダは昨年まで拒絶してきた、とイルサン大使は書いた。インドネシアが日本のおかげで自国の独立を獲得したと誤解している日本人が多くいるとも本に書いた。

・・・そんな奴は大日本帝国ダイスキーな「特定日本人」だけだよう(@∀@)

(つづき)
>若い日本のリーダーたちも、第二次世界大戦の間に日本人からインドネシア人に加えられた酷い仕打ちにほとんど注意を払わない、と書かれている。これには、防御施設の建設のための強制労働によって、多くのインドネシア人が死んだことが含まれる。


▼【インドネシア外交官の目から見た日本】アブドゥル・イルサン著 宍戸久美子訳
2006年3月刊 46判 264頁 (有)オフィス・プロモシ (5%)税込:\1575 (本体:\1500)
http://www.asiabunko.com/i_gaikoukan.htm

>「日本人は非常に礼儀正しく、親しみ深い民族であると感じるのに」、「なぜ、日本軍がインドネシアの占領期間中、あれほどにも残虐な、非人間的とも言える態度を示したのか?」 また、「日本では、インドネシアの独立は日本政府の指導と尽力により実現したのだとする者が多い」が、日本の軍事訓練や、個人的な貢献は認めつつも、「オランダ及び日本の植民地支配に対抗してのインドネシア民族独立への過程は、インドネシア自身の民族指導者と 独立闘争者の完全なるイニシアティブに基づいて遂行されたものである」と明確に述べる。



・・・時々、「日本語の乱れ」とかいうことが官庁や新聞などで問題視されることがある。
俺の子供の時にもそう言われていた気がするので、おそらくもう数十年にわたって日本語は「乱れ」てきたんだろう。(@∀@)
「乱れる」というからには「乱れていない日本語」の存在を前提にしているのだろうけれど、そのスタンダードをどこにおくかで話は変わってくる。まー好きなところに置くがよいのである。
・・・「日本語の乱れ」そのものは、確かに存在する。たとえば某ブログのコメント欄を見ても、(@∀@)

▼某ブログのコメント欄より
http://notarin.exblog.jp/3291533#3291533_1
>>「嫌嫌韓厨」
>こと、九郎正宗(Claw)なら、今、ボコボコに叩かれ中です。
>今日は、珍しく、彼の擁護派が検討しています。

・・・これは「健闘」と書きたかったのだろうが、現状はご覧のとおりである。書き取りのテストで玉砕するタイプだ。
ひょっとして、竹島の一件が思い通りにならず、怒りのあまり手元が狂ったのか(@∀@)
・・・だからあんな自爆をやってのけるんだろう。(きのうのコメント欄参照)



・・・ところで、同じ場所で話題になっていたのだが、
「気がおける/おけない」という言い回しの意味についてである。

▼平成14年度「国語に関する世論調査」の結果について(文化庁
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/14_yoron.html

・・・この調査では、日本人でも「気がおけない」の意味を正確に言える者は5割を切っている。たしかにまぎらわしい表現ではある。
・・・そこでひとつ疑問なのだが、
文化庁による、「気が置けない」という漢字表記は、本当に正しいのだろうか?
もし「気がおけない」を漢字表記するとすれば、「気が怯けない」あるいは「気が怖けない」という表記がむしろ正しいのではないか?という気がするのだ。いや、語源に関して何も知らんので、根拠があるわけではない。
もちろん「怯」は「怯(おび)える」、「怖」は「怖(お)じる」と読むのが一般的であり、「おける/おけない」と読むことはないのだが、それでも、「気が置ける/置けない」と書くよりはシックリくるのではないだろうか?
・・・また、「気おける/おけない」という表現のほかに、「気おける/おけない」という表現も存在するのだが、ここで「置」という字を使うのが、はたして適当だろうか?
・・・「気を置く」と書けば「気を使う」という意味であるが、これがもし「気がおける」の語源だと仮定すると、「気の置ける相手」という書き方は、なんだか妙な感じがする。なぜ「気を置く相手」と書かず、わざわざ「置ける」にする必要があるのか。この場合の助動詞「る」は自発の意味なのだろうか。
・・・「気の怯(怖)ける相手」というのは、向かい合うと気分が萎縮する相手のこと。逆に「気の怯(怖)けない相手」というのは、気分が怖じ気(おじけ)づかなくて、気楽に付き合える相手のこと。そのように考えれば、意味を取り違えることもないと思うのだが。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」