▼人権に対するYahoo!の責任−中国政府は師濤氏を自由に!
@アムネスティ
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=168
>中国のジャーナリストである師濤(しとう)氏は、米国に電子メールを送ったために10年の刑に服しています。同氏は、Yahoo!のメール・アカウントを使って「海外に国家機密を不法に提供した」という理由で起訴されました。
>師濤氏の刑を決定した証拠に関する裁判記録によると、米国のインターネット企業Yahoo!が、同氏に関するアカウント所有者情報を中国政府に提供したとされています。
・・・
>あなた自身が持つ「表現の自由」を使って、中国その他の国におけるYahoo!の企業としての社会的責任を問いかけてください。Yahoo!に手紙を書いてください。 そして、師濤氏の釈放のために、Yahoo!がその影響力を行使するよう、要請してください。
・・・メールアクションのフォームがある。自分で文面を書いてもいいが、メールアドレスと名前を書くだけでも送信可能。その場合は文面はフォーマットそのままとなる。
▼郵政公社、集配拠点1000局削減で3700に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060216-00000501-yom-bus_all
・・・この上まだ職員を減らす気か(@∀@)
▼ 映画『ホテル・ルワンダ』主人公、ポール・ルセサバギナ氏初来日
今、アフリカで何がおこっているか:『ホテル・ルワンダ』のメッセージ
シンポジウム・チャリティ試写会
http://www.peacebuilders.jp/symp11.html
>松本:ODAは一つの役割だが、ルワンダ政府に今の状況をコントロールするのは無理。その下で苦しんでいる人に直接かかわっていく方法で、日本のNGOがいろいろ入っている。国がまだまとまっていない状況なら UNHCR、ユニセフ、UNDPなど直接、住民にかかわるところに支援するのが良い。
・・・シンポジウム主催団体によるイベントレポート。
発言全文がページ下の方にPDFでおいてある。
▼ホテル・ルワンダ公開作戦記
@日経ビジネス
パート1 (上映運動発起人編)
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/x/20060123/20060123005252.shtml
>【「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:Part1-1】「最初はふたりしかいなかった
>【「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:Part1-2】Webサイトは記者発表会場
>【「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:Part1-3】世の中に点在する「見たい人」を固まりに
>【「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:Part1-4】「楽しそうなものにしか、人は寄ってこない」
>【「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:番外編】
パート2(メディア・スーツ社編)
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/x/20060130/20060130005287.shtml
・・・mixiとwebから開始された上映運動の「熱」が、商売の「計算」を動かし、ついに突破口が開かれるまで。
・・・たとえば反戦・平和運動にも生かせるような、いくつかの教訓がここにはある。
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/x/20060123/20060123005255.shtml
>※※A 水木さんってね、これもバランスなのかもしれないけど、毎日更新のブログとか、署名を郵便局で受け取るとか、自分で楽しんで続けていくための仕掛けづくりというのが、すごくうまいなという気がするんですよ。外野の勝手な見方ですけど。
>水木 それは町山さんのアドバイスが効いてます。
「すごく楽しそうなものにしか人は寄ってこない。映画がこういう映画だけに、運動は楽しんでやりなさい」と、最初のころに。
>※※A なるほど、べき論に陥らなかった理由の1つは、町山さんの最初のサゼスチョンが。
>水木 結構大きかったですね、今思えば。
- 作者: 白山眞理,堀宜雄
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▼名取洋之助『写真の読みかた』 ISBN:4004140811
>「読者の心や感情を充分に計算に入れながら、写真の選択と並べ方に気を配ることによって、写真は、どんなことでも表現できる」
・・・新刊『名取洋之助と日本工房―1931-45』に、ちょっと気になる記述があった。
名取洋之助が戦時下に中国大陸で作ったポスターに、
大日本帝国の兵士むけの標語として、
「焼くな、盗むな、犯すな」というものがあったというのだ。
・・・非行防止ポスター・・・(@∀@)
そのポスターの詳細に関しては書かれていないが、これが何を意味しているかは、推して知るべしであろう。
▼グラフィックデザインは戦争が作った
@探検コム
http://www.tanken.com/sensou.html
>それでは、日本のアートディレクションは、いったいいつ確立したのだろうか。意外にも戦時中というのがその答えだ。「NIPPON」と「FRONT」という2大雑誌がこの国のビジュアルデザインを作ったのである。
>雑誌「NIPPON」は昭和9年(1934)10月20日に創刊された。出版元は日本工房。ドイツ留学から帰国した名取洋之助が組織した会社である。名取は常々「日本がゲイシャやフジヤマだけでない近代国家であることを紹介する」対外雑誌を作りたいと考えていた。そのためには、体裁や紙面、印刷が美しいものでなければならない。国を代表する雑誌である以上、美しさは至上命題であった。
>名取は財界に資金援助を求め、賛同した鐘紡が創刊号に出資してくれることになった。外務省の外郭財団法人・国際文化振興会も援助を決定。こうして、四六四倍判・総アート紙・64ページからなる豪華グラフ誌が創刊された。
>・・・だが、対外宣伝を担うメディアとして国家から援助を受ける以上、この雑誌が国策宣伝誌となるのはやむを得なかった。「真実を伝える」報道雑誌をめざした名取洋之助の夢は、こうして戦争に翻弄されていく。
>いっぽう、雑誌「FRONT」は最初から国威宣伝のために創刊された。ソ連のプロパガンダ雑誌「USSR in constraction」を参考に、陸軍の肝煎りで昭和17年に登場する。発行元は名取の日本工房から分かれた東方社。・・・
>内容は日本の国威宣伝に終始している。そのため、写真は修整に次ぐ修正で、戦車の数を増やすことなど当然のように行われた。映画のような構成で、モンタージュやクローズアップなどの技術を駆使した紙面は、現在から見ても非常に迫力がある。敗戦までに計10冊作られたが、戦後、GHQが「FRONT」に掲載されていた軍事工場(もちろん写真のトリックであって実在していない)を血眼になって探したというエピソードなどは、その質の高さを証明している。
・・・「FRONT」の対外プロパガンダ捏造写真に関しては、面白いものがたくさんあるので、機会があれば復刻されたものを参照されたい。
この「FRONT」に関する資料も、敗戦によって多くが消失した。つまり、以下のようにして・・・
▼多川精一「戦争のグラフィズム」
>敗戦が確定して『FRONT』などの焼却は急がねばならないので、出てきている全員は汗だらけになって、地下のボイラー室に「陸軍号」や「海軍号」を運ぶ。ところがボイラーなどいじったことのない者ばかりだから、あわててくると、やたらに本を放りこんで、送風装置を目いっぱいに上げてしまう。そのうち外から帰った社員が飛びこんできて、戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々 (平凡社ライブラリー)
- 作者: 多川精一
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>「おいおい大変だぞ、焼跡は軍艦や飛行機だらけだ」
>という始末。送風を強めすぎたので半焼けのまま煙突から飛び出し、九段下一帯にばら撒いてしまったらしい。
・・・
>また東方社は参謀本部傘下の団体だったから、戦争犯罪者として進駐軍に捕まるのではないかという危惧もあった。そうこうするうち凸版印刷から急な電話が入り、ジープに乗った進駐軍の将校が、数冊の『FRONT』を持って乗り込んできて、
>「このマガジンを印刷したのはお前のところか。そうだったら責任者はただちに出頭せよ」
>といって帰ったという。いよいよ来たかと、凸版印刷の幹部も東方社の元幹部も震え上がったが、結果は、これだけの印刷ができる能力があるのなら、占領軍の仕事を発注するというのだった。
・・・そうして占領軍から得た資金によって、彼らは原爆被災地や焼け跡の記録写真を撮影してゆくことになる。ここにも人間と歴史に関する皮肉が満ちている。
▼名取洋之助と岩波写真文庫
http://www.kankodou.com/COLUM/natori.html
http://www.kankodou.com/COLUM/natori02.html
▼「名取洋之助と日本工房作品展−報道写真の夢」
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/mishima/26natori.html
from 三島靖コラムページ「アウトサイド・オブ・フレーム」
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/mishima/review.html