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改革ファシズムを止めに行こう (10/4)

▼[アピール]改革ファシズムを止めに行こう
@「改革ファシズムを止めるブロガー同盟」
http://nokoizumi.exblog.jp/1385350/
>どうしても見過ごせず、声を上げなければと切羽詰まらされたのは、日本のマスコミが政権と一つの「束」になったからである。郵政民営化の是非を問う選挙と言いながら、テレビは郵政民営化反対論は排除して放送しようとしなかった。初めから「改革賛成」ありきであり、郵政民営化は支持が前提であり、報道番組のキャスターたちは反対論をカメラとマイクから遮断し、視聴者の目の前で郵政民営化批判の議論を躊躇することなく乱暴に封殺した。テレビ朝日の古館伊知郎、TBSのみのもんた。目撃者は何千万人といるはずだ。日本のテレビは朝鮮中央テレビのようになり、選挙を前にして郵政民営化賛成が「多数世論」として当然視され、反対論は「抵抗勢力」の愚論として異端化された。選挙で勝つ方がマスコミによって最初から決められた。こんな異常事態はこれまでなかった。放送法の中立原則があからさまに無視侵害され、それに異を唱える者が(勇気を出して声を上げた森田実を除いて)誰も出て来なかった。
>日本の民主主義を守るためにはネットの中に世論を興す以外にない。ネットに世論の力を作り、マスコミの情報操作を暴露し相対化する以外にない。マスコミの全体主義的な政治誘導と世論捏造にストップをかける言論の力を作る以外にない。そう決意してこのブロガー運動を発起した。日本の民主主義を殺し、日本人を不幸にする「改革ファシズム」を止めなきゃいけない。いまマスコミと国会で「改革」と呼ばれて翼賛されている政策の中身は、従来の日本語の言葉である「改革」とは全く異なる意味のものである。それは社会をよくするものではなく悪くするものである。福祉制度の破壊であり、国民大衆からの収奪であり、米国への植民地従属である。近代市民社会を古代奴隷社会に逆戻りさせる政策と運動の標語が「改革」である。我々はそれをまず「改革ファシズム」と呼び、その言葉を広く人口に膾炙せしめ、象徴言語たる「改革」のイデオロギー性を暴露してゆく。「改革」と「ファシズム」の二つが熟せしめられたこの言葉と表象が人々を説得するとき、「改革」は言語の魔力を失って政治的に没落するのだ。


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http://noKoizumi.exblog.jp/tb/1385350

・・・おくればせながらこの同盟に参加してみようと思う。
ところで「日本の民主主義を守るためにはネットの中に世論を興す以外にない」という、その気概やよし。ではあるが、ネットにおける言論というのは戦争で言えばゲリラ戦であるということも忘れてはいけないのではないか。よく言われるようにゲリラ戦は敵の正規軍の戦力を分散・消耗させることはできても、完全に無力化させ、あるいは撤退させることはできない。ゲリラ戦は味方の正規軍を側面支援することはできても、正規軍による総攻撃に代替することはできない。そういう見地から提案するのだが、いまや「ネットから路上へ」ということを考えるべき時なのではないか。「小泉の改革を止めるな」などという、あのふざけた自民党のポスターを圧倒するだけの質と量を持ったポスターやイベントやアクションが、路上で展開されなければならないのじゃないだろうか。


・・・JR新宿駅のガード下トンネルに貼りまわされた、様々なバンドのステッカーを思い出してみよう。あるいは渡辺文樹監督の映画の宣伝ポスター(?)でもいい(たった一人で街の空間を塗り替える、あのパワーを見習うべきである)。2ちゃんねるマトリックスoff、あるいは「ジョジョの奇妙なoff」のアピールを参考にしてみよう。


・・・もうひとつ。
自民党のいう「改革」に対置しうる言葉を提起すべきだ。
いまや「改革」という言葉には中身がない。中身がないからこそ、人々はその中身を勝手に「よろこばしいもの」として幻想してしまう。実際には、その中身は人権擁護法案や消費税増税や年金の「やらずぼったくり化」や障害者「自立」支援法や国民の個人財産(郵便貯金)の収奪だったりするわけだが、「改革」という言葉はそれらとはあたかも無関係であるかのような響きを持つ。
ならばこちらも、自民党の「改革」なみに空虚な言葉を対置すべきではないだろうか。(@∀@)
もちろん「『小泉の改革』って、ぶっちゃけ何だった?」といった方向の、理性的なアプローチも重要ではあるのだが、それだけでは足りない。つまり「考えさせるアプローチ」だけでなく、「考えさせないアプローチ」もまた・・・。
まあ一種の思考実験として、考えてみてはどうだろう。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」