▼ 東 浩紀「『嫌韓流』の自己満足」
(『論座』2005年10月号、pp.24-25)
>「嫌韓」という言葉をご存じだろうか。読んで字のごとく、韓国・朝鮮に対する強い嫌
悪のことである。日本のネットでは、嫌韓の空気がきわめて強い。そのなかには、「嫌
韓厨」と呼ばれる困った人々もいる。彼らは、2ちゃんねるの韓国関連のスレッドに現
れて、韓国・北朝鮮を批判し中傷する発言を繰り返す。
・・・
>7月、そんな嫌韓の担い手が熱烈に支持するベストセラーが現れた。
山野車輪の『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)である。
・・・
>『マンガ嫌韓流』を一読して印象に残ったのは、表面の熱気とは裏腹の、冷笑的な
空気である。…公平を期すために言えば、そこには説得力のある議論もある。しかし、
それらの議論は、日韓関係の改善に繋がる積極的な提案に結びつくわけではない。
結局残るのは、「歴史問題にしても竹島にしても、韓国人はどうしてこう話がわからな
いんだ、まあバカだからしょうがねえか」という諦め、というより冷笑だけである(最後で
はとってつけたように「日韓友好」が語られるが、いかにも嘘くさい)。
>嫌韓のここに本質が現れている。かつて社会学者の北野暁大は、ネットを舞台とし
た擬似ナショナリズムの本質は、他人の価値観を「嗤」い、そのことで自らの優位性を
保とうとするロマンティシズムにあると分析した。『マンガ嫌韓流』も同じである。
>おそらく嫌韓の担い手の多くは、とりわけ嫌韓厨は、日本の将来を具体的に憂いて
いるわけではない。彼らはむしろ、韓国人の愚かさを証明し、日本人の優位を確認し
たいだけなのである。『マンガ嫌韓流』がディベートの場面を数多く挿入しているのは、
そのためだ。しかもその作法は、ネットでの「ツッコミ」に近い。だから彼らは、韓国人
の歴史認識や外交姿勢を批判するだけではなく、その奇異な発言や行動を収集し、
「あいつらはこんなにバカだ、困ったもんだ」と「ネタ」にする。
・・・
>それを駆動しているのは、嫌韓厨自身の自己満足である。その背後には、韓国への
歪んだコンプレックスすら透けて見える。そもそも『マンガ嫌韓流』というタイトル自体、
「韓流」ブームへのアンチとして差し出されているのだ。
・・・
>しかし、外交はディベートではない。ネタでもない。だれもが経験することだと思うが、
こちらが真剣に腹を立てているときに、相手に妙に冷静に対応されたりすると、ますま
す感情が高ぶるものである。それが人間というものであって、そんなときに「冷静にな
れない相手が悪い」と言っても意味がない。私たちは、この日本列島に国家を構える
かぎり、韓国と共存していかなければならない。韓国をいくら言い負かしても、その地
理的条件は変わらない。隣人は怒っていて、私たちは引っ越せないのだ。嫌韓には、
そのリアリズムが欠けている。
・・・唐沢センセイはトリビアを垂れてる時はあんなに冴えてるのに
社会時評をやると、なんでこんなチンプなんだろう?