・・・山田洋次監督の映画をテレビでやる時は、なるべく見ないようにしている。
テレビを見ながら○○をする、ということができず、画面から目を話すことができなくなるからだ。
毎日毎日垂れ流される、目の腐るようなドラマを見慣れた目には、山田洋次作品の画面は鮮烈すぎる。(いや、実際にはそんなにドラマ見ちゃいないけど。すぐチャンネル変えちゃうから)
たとえば今見ている『幸福の黄色いハンカチ』。
この映画の画面構成、セリフの構成はすさまじく高密度で、画面に映っているもの、背景に流れる音楽、一つ一つのセリフに無意味なものは何一つない。余計な時間は一秒たりともない。「この男はなぜ、ここでこういうことを言うのか」、あるいは、「この男はなぜ、このような行動をとるのか」、それらの一つ一つに個人の歴史が刻印されている。
・・・定食屋に立ち寄った男は、なぜラーメンを前にして呆然とし、しかるのちむさぼり食うのか。
・・・駅の窓から見える鯉のぼりを見て、なぜ男は一瞬物思いにふけるのか。
それはすべて映画の進行とともに明らかにされていく。
・・・山田洋次を「人情派」の監督だなんて思っている奴は間違っている。武田鉄也と桃井かおりの演じる、「醜悪で無駄な若さ」。それを極限まで描写しぬく情け容赦ない脚本とカメラワークには気分が悪くなるまで追い詰められる。なのに目が離せない、というタチの悪さだ。ああ見たくない、見たくないのに見てしまうという地獄の責め苦。
ついでに言えば、山田監督の暴力描写のキレの良さは、凡百の刑事ドラマなど足元にも及ばない。一切の遅滞もなく要所を衝き、相手の精神をくじく攻撃の連続、それでいて描写は陰惨に堕すことがない。いったいどうやったらこんなことが可能なんだろう。
・・・そしてまた、映画が進むにつれて、桃井かおりが、あるいは武田鉄也までもが、なぜか魅力的に見えてくるのはなぜだ。なぜなんだ。
(もちろん徹底したメイク設定、衣装設定の妙によるものでもあるが・・・)
ああ、今夜も俺は山田洋次に完全制圧された。
(山田作品と同様の『密度』を漫画で実現したのが『夕凪の街 桜の国』だった。
山田監督とこうの史代には、ぜひ一度、対談をしてもらいたい気がする。
情け容赦ない二人の対話は、おそらくは非常に和やかに行われるはずである。)
・・・ところで、サマワに自衛隊を送り込みつつ「自衛官の無事を祈る」とかいう、ブンレツ気味だった「黄色いハンカチ運動」、あれは今どうなったんだろう。
▼派遣期間を半年延長 海自態勢は縮小の方向(@共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050413-00000077-kyodo-pol
>大野功統防衛庁長官は13日午前の衆院イラク支援特別委員会で、テロ対策特別措置法に基づくインド洋への自衛隊派遣について「米軍などのテロリスト掃討作戦は続いており、まだまだニーズはある」と述べ、5月1日までの派遣期間をさらに半年間延長する意向を表明した。
・・・
>防衛庁は夏にも想定される交代時期に護衛艦1隻を減らす方向で検討する。
>2001年12月の派遣開始以来、政府は半年間ごとに期限を延長しており、派遣期間の延長は今度で7回目となる。
・・・そりゃあ酒も飲みたくなろうよ。
・・・このメルマガはなかなかいいぞ。