ぱどルロワイアル
・・・知人の娘(小学生&中学生)と、私のパソコンを前に歓談中のできごと。
(小)「ちょっとパソコン貸して。見たいページあるから。パスワード入れるから見ないでね。」
(九)「はいはい。君もバトロワの小説とか書いてるのか(オヤジセンス爆裂)」
(中)「『ぱど』やってんのよ。あたしもHP持ってるけど。」
(九)「(げげ、生ぱど厨&ぱど消だ)・・・ふうん、そうなんだ。あれってルールがめんどうなんでしょ。素通り禁止とかなんとか。」
(中)「よく知ってるね」
(九)「コメントつけないと怒られたりするんだろ。あと、デザインを取ったとか取らないとかでチミドロの大喧嘩。」
(中)「わたしはそこまで細かく言わないよ。でもそういう人もいるね。デザイン送ってあげたのにお礼も言わずに消えちゃう人とか。メッチャ失礼なのはその人なのに、逆にわたしのほうを掲示板で攻撃してきたりとか。ムカツクね。」
(九)「そりゃけしからんな。心のヤミだな(オヤジセンス大爆裂)」
・・・しのびよる『ぱど』の足音を聞いてしまった一日だった。
▼ぼうふら漂遊日記
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040802
コメント欄より無断引用。
># TomoMachi 『人間はみな、個人として世界と対峙する「主体」なんだ、そして社会のなかで自己を実現するために生きているんだ、という考えが、ルネッサンスから近代にかけて形成されてきて、ヒューマニズムやニーチェ主義や、実存主義が出てきたわけでしょ? でもポストモダンは「そうじゃない、人間なんてただ生きてるだけで、主体なんか理想にすぎないし、実現すべき自己なんてないんだ」という真実を言ってしまったわけです。で、オタク文化ってのはそこに根ざしてるわけですよ。つまり社会になんか関心もったってしょうがない、どうせ無力なんだから、ということですね。で、投票率が世界的に下がって、結果どうなったか? 日本は創価学会、アメリカはキリスト教原理主義の投票動員数の大きさが政権を左右してるんですよ。だから、やはり一人一人が時々、主権者としての強さを自覚しないと、そういう組織的な力に自分たちの生をいつの間にかコントロールされる事態になるということです。』
・・・
># TomoMachi 『いや、「報道」は常に公平であるべきです。そうしないと大東亜戦争中の大本営発表までOKということになるよ。つまりどのメディアも対等に戦えるわけではなく、力を持つ財界や政界に都合のいい声ばかりが大きくなるからです。』
・・・他にも面白いところはあるのだけれど、とりあえずここだけメモ。
結局「オタク文化」はいまだに1980年代のノリをひきずって、身も蓋もない現実に対応できないでいるのか?いや、今やそんなのはもうごく一部だと信じたい。
「報道が公平であるべき」というのはしょせんタテマエだが、それは必要なタテマエだと言える。ないよりはあったほうがずっといい。民主主義がタテマエだからといって、民主主義を廃止すればなお世間が住みにくくなるのと同様。
・・・「オタクは保守的」というのが岡田「オタキング」斗司夫氏の以前からの見解なのだけど、俺は怪しいとおもっている。自らの趣味的生活の充実を最優先するのがオタク的価値観だとすれば、たとえば不景気や失業や戦争によって生活基盤が破壊されようとする時、そこに現状革新への志向が生まれるのは理の当然というものではないのか。