>・・・こいつは・・・この「回天」という兵器は、
>人の生死を弄(もてあそ)ぶのか・・・・・・
横山秀夫『出口のない海』
史上初の「人間魚雷」、その名はマイアーレ(伊)
またの名をピグ(豚)。
▼イタリア海軍博物館。
http://homepage2.nifty.com/bekkysbar/boat1.htm
>
▼プラモデル(ガレキ)
http://sanseidou.web.infoseek.co.jp/slc.htm
>このマイアーレは日本の人間魚雷「回天」とは違って、
体当たりでの自爆攻撃をするのではなく
敵艦の船体に爆薬を仕掛けて脱出するという戦法を採りました。
>同種の兵器の中では最も簡単な造りで
投げやりな感じさえしますが、
戦艦数隻と輸送艦艇多数という高い戦果を挙げました。
>対して特攻兵器の回天が挙げた成果が微々たる物だったのは
皮肉としか言いようがありません・・・・・・・。
・・・これはけっこう可愛いよ。
特攻兵器の使用を決定したのは誰か
・・・↓特攻という「政策」に関する俯瞰的な論述。情緒に流れる前にまずこれを嫁。
▼特攻兵器「回天」「桜花」「震洋」「マルレ艇」
@鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kaiten.html
>フィリピン戦線を指導した第一航空艦隊司令官大西瀧治郎中将が,「特攻の生みの親」であるという神話は,日本の大本営海軍部(軍令部)の特攻隊編成と特攻作戦の組織的実施を隠蔽するかのごとき表現である。1944年7月21日,大本営海軍部の「大海指第431号」でも,奇襲攻撃として特攻作戦が計画されている。「大海機密第261917番電」は,大西中将のフィリピン到着前の1944年10月13日起案,到着後,特攻隊戦果の確認できた10月26日発信である。この電文は「神風隊攻撃の発表の際は,戦意高揚のため,特攻作戦の都度,攻撃隊名「敷島隊」「朝日隊」等をも併せて発表すべきこと」となっている。つまり,軍上層部が神風特別攻撃隊の作戦を進めていたことがわかる。
・・・フィリピン方面の捷一号作戦が発動される3ヶ月前1944年7月21日の大海指第431号で,奇襲作戦、特殊奇襲兵器・局地奇襲兵力による作戦という,事実上の体当たり特攻,特別攻撃を採用している。つまり,日本海軍の軍令部(大本営海軍部)という軍最上層部が特攻作戦を企画,編成したのである。また,統帥権を侵犯する特攻はありえないので,大元帥が特攻作戦の発動準備をしていることを知らないでいたということもない。(特攻計画は報告されている)
・・・なぜ乗員の死を前提とした「回天」よりも、
ローコストで乗員が脱出可能な「マイアーレ」が戦果をあげたかの考察。
(つづき)
>イタリア海軍が,高性能とはいえない人間魚雷「マイアーレ」を駆使して大きな戦果を挙げえたのは,1943 年当時の英軍の戦備の甘さ,イタリア海軍の作戦の適切さもあったが,「マイアーレ」搭乗員たちの勇気と技能も寄与している。大胆不敵な作戦を実施できたのは,捕虜になっても,殺害されるわけでも,自決する必要もないという心理的負担の小ささが背景にあると考えられる。日本軍将兵の切羽詰った心理的負担は,作戦の実施にはマイナスに作用したであろう。・・・
▼「回天」はどう出撃したか〜小灘利春・元「回天」隊長の回想
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/5_shougen/konada/kataoka.htm
>出典: 『正論』(産経新聞社)2002年9月号
>四月はじめ、灯火管制で暗い大津島の士官室に、光突撃隊・大津島分遣隊指揮官の板倉光馬少佐とわたしの二人だけが、向かいあって座っていたことがあります。そこへ一通の電報を回覧板にはさんで、電信兵が持ってきたのです。
>一読した板倉少佐は
「横鎮(横須賀鎮守府)長官から、回天一隊を八丈島に至急派遣するようにいって来た。君、行け」
>と、即座にいわれました。
>このとき、私に歓喜の衝撃が背骨の下端から頭のてっぺんまで、ズンと一気に突き上げました。これは後にも先にも経験がないほどの、強烈な喜びでした。
>出撃すれば、そのあと僅かな日数で自分の生命は確実に断ち切られる。それは覚悟の上です。しかし当時の戦局下、日本の人々の存亡の危機を救おうという若人の果たす使命、意義は大きい。その喜びこそ「回天部隊」に共通する自然な感情でした
▼(過去記事)泣けるだけでない感動を 松竹「出口のない海」会見
08-Oct-2005
@スピードジャックス 映画リポート
http://www.speedjax.co.jp/report/movie/movie12/movie12.htm
>・迫本淳一 松竹社長=「初めに山田洋次さんから話があり、諸手を挙げて賛成できる商業的で良質な企画だと思った。今年は戦後60周年、松竹創立110周年ということでタイムリーな作品だった。佐々部監督には泣けるだけでなく、感動できる映画にして頂きたい。異常な時代における異常な状況の中で、昔も今も変わらないヒューマンな部分を描いていく。全国200スクリーン以上で公開する。」>・山田洋次(脚本)=「原作を読んだ時、特攻隊の姿をこんな風に描けるのかと感動した。何年か前にNHKのドキュメンタリー番組で、海軍の乗組員だった老人が命拾いをした話していた。彼は”回天”が発進しなかった時『ホッとし、死ぬ覚悟ができていないことに気付き、恥ずかしかった』と語っており、これこそ人間の叫びだと感じた。原作では”回天”がいかに複雑で命中率が低いことが丁寧に描かれていたので、今までわからなかった部分が納得できた。こういった部分が今までの海軍を題材にした映画には描かれておらず、そこをきちんと描ければ、戦争のむごさも表現できると思った。」
人間魚雷『回転』
これは↑書き間違いではない。いや書き間違いではあるのだが。
▼天を回す、くるりと回す
@兵器生活
http://www.warbirds.jp/heiki/230000.htm
>漫画の中で「百パーセント」の命中率とされた回天の戦果はどうであったか?
>昭和19年11月の初出撃は、潜水艦3隻に回天12隻を搭載して泊地攻撃に向かったが、潜水艦1隻は回天を発進させる前に撃沈。残った回天8隻のうち3隻は故障で出撃出来ず、5隻が出撃して大型タンカー1隻を撃沈した。
>上記タンカー撃沈を含め敗戦までの戦果は、撃沈:タンカー1、歩兵揚陸艇1、駆逐艦1、輸送艦1、撃破・損傷:駆逐艦3、輸送船4で、出撃した回天は48なので単純に計算すれば23パーセント、「百パーセント」とはとても云えない。また、撃沈された母艦(潜水艦)は7隻にのぼる。「必中」とは云うものの、攻撃を成功させるのが極めて困難であることがわかる。回天が関わった戦闘で沈めた一番大型の戦闘艦が、母艦の伊五八が沈めた重巡洋艦インディアナポリスであったのも、やりきれないものがある…。
地中の「回天」を発掘する
▼(過去記事)「回天」発掘運動が難航
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news01.asp?kiji=4613
・敗戦から60年。戦争体験の風化が進む中、日向市の細島港近辺に埋まっている
人間魚雷「回天」を発掘しようと、地元住民らが取り組みを続けている。特攻兵器が
象徴する戦争の悲惨さを見つめ直そうという思いからだ。ただ、複数の証言がある
ものの、実在するのか不確かで、爆発の危険もあることから、作業のめどは立って
いない。細島港の入り江の波打ち際から30メートルほど入った山のふもとに、円形にえぐれ、
土や岩が崩落した場所がある。回天の格納壕(ごう)の残骸(ざんがい)だ。
奥行き約30メートルの格納壕は全部で九つ。うち六つに回天が2機ずつ収納されて
いたという。日向灘に攻めて来る米海軍に特攻する使命だった。「ここに埋まったままの『回天』があるはず」と、「人間魚雷『回天』の発掘と展示館建設を
助ける会」の福田鉄文事務局長は言う。戦後、回天の解体に携わったとされる複数の
人が「壕に埋まり廃棄できなかった回天があった」と証言しているからだ。「東から
二つ目の壕にあった」と具体的な指摘もある。
助ける会は今年3月に発足。4月に日向市に回天を発掘するよう申し入れた。自力で
現場の草刈りをしたり、重機が入れるように山道を拡張したりもした。だが、実際の発掘作業は容易ではない。
市の試算では、発掘費用だけで2600万円余りかかる。しかも約1・55トンの爆薬が
機体に残っている可能性があり、半径2キロに渡る地元住民の避難や交通規制の
必要もある。総費用は数億円になる見込みという。
5月には、西都原考古博物館が磁気探査機での調査を実施。だが、機体は確認できず、
市は6月、発掘はしない、と結論を下した。福田さんは「実在すれば貴重な資料。非人間的な兵器が存在したことを後世に残したい。
住民運動として理解を広げ、証言者が生きているうちに発掘したい」と話している。