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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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42歳で死んだ男

▼sunnyside7899@twitter
http://twitter.com/sunnyside7899/status/114016783874277376
>私の「脱原発」運動の根底にあるのは、悔いだ。父は従業員たった一人の小さな電話工事店を営んでいたが、その従業員の方を年の1/3、原子力関連施設に下請けとして派遣させていた。日本原子力東海第二、東電福島第一、動燃、原研等である。通信設備の保守点検が業務内容だ。(続く via twicca
2011.09.15 01:44
>通信設備は基本有線であるから、原子炉至近にも端末は置かれている。当然そこまで行って作業しなければならない。作業従事者には手帳が交付され、血液検査が義務付けられていた。彼は比較的、影響が少ない方だった。ただ次第にぎりぎりの数値で通過することが多くなっていった。(続く via twicca
2011.09.15 01:50
>その従業員の方とは文字通り家族付き合いだった。何せ、父と彼、二人の小さな工事店である。私が中学の時から数えると二十年近くの付き合いだっただろうか。下らないことで他愛なく笑えた人生の先輩だ。彼は一見、恐い格好をしている。何時でも黒いサングラスに金のネックレスを身に付けていた。)続く via twicca
2011.09.15 01:58
>彼は水戸からJRで来るので新宿駅前で車で彼を待つ。少し早めについた私は彼の携帯を鳴らす。すると必ず彼は電源を切っているのだ。電車の中では電源を切る。多くの人が守らないルールをきちんと守る。彼はそんな人だった。もちろん、見た目は黒いサングラスに金のネックレスなのだけれど(続く via twicca
2011.09.15 02:08
>でもそのサングラスは彼の人見知りさを隠すためのものだったのだなと今では思う。私が東京でフリーランスで仕事をするようになって、時折、電話回線設定とLAN構築の仕事がセットで入るようになった。山梨の大手ゼネコンJV事務所の現場だ。彼が回線工事を行い、私がLANを担当する。(続く via twicca
2011.09.15 02:12
>中央道を下っては、そさくさと仕事を片付け、温泉に向かう。何度かその現場の仕事は来たのでそのたび同じことをした。楽しい一日の旅行のような仕事。原発や、原子力関連施設での仕事は、格段に単価が高かった。地方は慢性的な不況に陥っており、父の工事店にとって、それは大きな収入源だった。(続く via twicca
2011.09.15 02:19
>彼の血液検査の結果は、従事できるか、ぎりぎりのところで推移するようになっていた。父は危険を知っていただろう。だが彼は率先してその仕事に向かったし、父も止めなかった。何より、貴重な収入源だった。4年前の冬、出勤しようと車のエンジンをかけ、アクセルを踏んだ彼は突然意識を無くした(続く via twicca
2011.09.15 02:23
>当初、アクセル操作ミスの事故と思われたが、救急車で運ばれた病院の診断で、脳溢血だということが分かった。白血球が危険な数値に減少していた。数日後、彼は意識を取り戻したが、身体を動かすのがやっとで立つのもままならない不随状態だった。茨城に戻るたび、病院に足を運んだ。(続く via twicca
2011.09.15 02:33
>はっきりと彼は発音することができなくなっていた。「退屈なのでゲームでも欲しい」耳を近づけるとそう聞こえた。「じゃあDS買ってくるよ」それが彼と話した最後の会話だ。入院から3ヶ月で、彼は亡くなった。血管がとても細くなっていたと聞いた。放射能との因果関係ははっきりしなかった(続く via twicca
2011.09.15 02:37
>ただ、父は間違いなくそうだと確信していたようだ。それから、原子力関連の仕事からは一切手を引いた。父は口数が少なくなった。私は今だ彼が生きている気がしてならないのだ。JR新宿駅の南口で彼が来るのを待っていたあの日が今でもよみがえる。先日のデモで警官隊とデモ隊が衝突した場所だ。(続く via twicca
2011.09.15 02:42
茨城県に生まれ育った私にとって原子力は身近な存在だった。「はじめて原子の火が灯った県」である。県央から県北にかけて、日本原子力東海発電所、原研、核燃料サイクル機構、そしてメーカーである日立製作所が事業所を構える。大きく原子力産業に経済・雇用が依存している県なのだ。(続く via twicca
2011.09.15 02:48
>思えば1999年、JCO臨海事故の時に警鐘は鳴らされていた。屋内退避指示というただならぬ事態を経験していた。換気はせぬようにと通知がされた。その時に気付いていたのだ。それは恐ろしいものであることを。想い出のなかの彼は何も語らぬ。享年は42歳だった。(終り
2011.09.15 02:54

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」