(▼コメント欄が見やすい「携帯版ページ」は→こちら。
・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。
▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク
▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール

▼従軍慰安婦  ▼嫌韓下流
【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日本史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索


「大日本帝国を追いかけていったら偽札があった・・・どうしよう(@∀@)」

・・・まるで北朝鮮カリオストロ公国www

▼反共工作機関に旧日本軍偽札 戦後中国で、元少尉証言
日中戦争中に旧日本軍が中国経済を混乱させるためにつくった中国紙幣の偽札が、終戦後に中国に残留して軍閥の反共工作に協力した元日本軍人によって利用されたとみられることが13日、姫田光義中央大名誉教授(中国現代史)が集めた証言で明らかになった。
>姫田名誉教授は「旧日本軍の偽札が戦後中国の反共謀略機関で使われたことを示す証言は初めて。偽札作戦が東京裁判で不問にされ検証されなかったことで、犯罪状態が続いていたことになる」としている。
>証言したのは、さいたま市の元陸軍少尉稲葉績さん(86)。戦後も中国に残った山西省残留日本軍将兵の一人で、国共内戦中に国民党の下にあった山西省軍閥に協力し、共産党軍と戦った。
>稲葉さんは共同通信の取材に応じ「1948年に反共工作機関に配属され、担当地区に赴任する直前、工作資金として、国民党政府の紙幣の偽札とみられる新しい札束を受け取った」と証言。渡した日本人の責任者からは「偽札だが、役に立つから持っていけ。情報収集に金が必要だろう」と言われたが、額面などは覚えていないという。 ・・・
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081301000636.html

▼旧日本軍の法幣偽造 「杉工作」
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/kamiheiki.html
・・・
>昭和11年に参謀本部支那課主計大尉、佐藤末次が欧州戦時経済を研究のおり、敵国紙幣の偽造という工作があったことを知り、中国戦線への適用を考えた。これが「杉工作」として発動され昭和14年、参謀本部の山本憲三主計大佐が担当して中国銀行券の偽造製作が開始された。
>当時の中国法定貨幣は、昭和10年に英国より派遣された、リース・ロスの指導により貨幣改革が行われ、これまでの、各銀行が勝手に紙幣を発行していたことを廃止し、中国四大銀行に限って紙幣発行権を認めた。(中央、中国、交通、農民の四大銀行)この新紙幣は「法幣」と呼ばれる。
>これら法幣は英国と米国の専門印刷会社で印刷されて大変精巧な印刷がなされていたため、ドイツ製の高価な印刷機を輸入したりして苦労の末、昭和15夏年本物そっくりの紙幣が完成した。
>偽札は上海に送られ、「松機関」が流通工作を担当し軍の依託参謀阪田誠盛が金属、鉱物、農産物、等の買付けに使用した。
・・・
>この工作は、インフレ政策の中国ではあまり効果は無かったようである。しかしこれにより相当の物資を不正に入手したことは確かである。

▼過去記事:日中戦争時の工作 偽札
日中戦争当時、日本陸軍中国経済をかく乱するため大量のニセ札を偽造、使用していた謀略の全容が、関係者の証言で明らかになった。証言したのは、「対支経済謀略実施計画」、別名「杉工作」の立案から実行までに携わった元陸軍主計大佐。「後世にいたずらな疑念を残さないため、さらに戦争責任を反省する一助になれば」と、永らくためらってきた秘話の公開を決心した。工作の本拠地となった登戸研究所川崎市)での偽造の実態や、中国の秘密結社と協力して開拓した流通ルートなど謀略の全容が、工作当事者から明らかにされるのは初めて。
>この人は、東京都狛江市に住む日本宝石鑑別協会理事長の山本憲蔵さん(八三)。大正十年に陸軍経理学校を卒業後、主計将校として各地に赴任しながら、中国の幣制を研究していた。昭和十四年、諜報や謀略を担当する参謀本部第八課に配属され、秘密戦兵器の研究・製造機関だった兵器行政本部第九技術研究所(通称、登戸研究所)の研究員となり、ニセ札作りに没頭した。手記によるその概要は――。
><背景>当時、中国大陸では国民政府の通貨である「法幣」と、共産党軍が解放区で発光する「辺区券」、さらに日本軍の軍票などが通貨戦争を演じていた。しかし、大半の地域で法幣が圧倒的に優勢で、物資の現地調達は法幣でなければ困難だった。このため、泥沼状態の戦局打開に悩む陸軍は、経済戦の一環として「偽造券による法幣崩壊工作」の構想を進めた。その実務を命じられたのが山本さんだった。
><偽造>ニセ札作戦は、昭和十四年夏から登戸研究所で本格的に始まった。現在、明大生田校舎のある同研究所は、後に風船爆弾の研究を手がけた物理・電気関係の第一科など五つの科に分かれ、山本さんは印刷・製紙関係の第三科長として偽造を指揮した。要員は、内閣印刷局からの転属技術者など約二百五十人。ほかに、新札に汚れや手アカをつけるため、地元の高等女学校から女子挺身(ていしん)隊員を二十五人ほど採用した。
第一回試作品の五円券は同年暮れに出来上がったが、孫文の肖像がゆがむなど、完全な失敗だった。その後、印刷会社などの協力を求める一方、内閣印刷局の門外不出の秘伝とされた「黒漉(すき)入り」の技術を「盗みとる」など、試行錯誤を重ねて独特の方法を開発。同十五年夏には、本物そっくりの紙幣が完成し、量産体制も整った。
><流通>ニセ札の輸送には、陸軍中野学校の出身者があたり、毎月二回ほど、長崎経由で上海に届けられた。現地では「松機関」が流通工作を担当し、機関長は陸軍参謀の岡田義政中佐、実質上の責任者は軍の嘱託で阪田誠盛という実業人だった。阪田氏は、流通工作のため、上海を中心とする暗黒街を支配していた秘密結社「青幇(ちんぱん)」の幹部の娘と結婚して協力をとりつけ、青幇の首領で蒋介石の腹心でもあった杜月笙の家に、松機関の本部を置いていた。
>「陸軍贋幣作戦」と題する山本さんの手記は、現代史出版会(〇三−四三一−二一四九)から出版される。・・・
http://asyura2.com/sora/bd13/msg/313.html

・・・おいおい、どんだけ暗黒だよ(@∀@)

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」