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・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
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美しい「保守」政治についてのいくつかの事実

サッチャー氏 表と裏?
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009123102000061.html
>一九七九年に女性として初めて英首相になったサッチャー氏が、ベトナム難民の 受け入れに抵抗し、アジア系より白人系難民を優先的に受け入れようとする 人種差別的な姿勢を示していたことが、三十日に英公文書館が公開した機密文書で 明らかになった。英紙ガーディアンが報じた。
>当時は南ベトナム政府崩壊に伴い、難民がボートピープルとしてあふれ出し、英植民地だった香港のキャンプには約六万人を収容。さらに急増していたことから、 国連は英国に一万人規模の受け入れを要請していた。
サッチャー氏は英ソ首脳会談では「ベトナム難民は麻薬中毒者か犯罪者だ」とする コスイギン首相に対し「難民は共産主義の独裁から逃れた」「英商船が救助した難民 たちは勤勉な人たちで、子どもも多い」と“鉄の女”らしく毅然(きぜん)と反論した。
>だが、閣僚との協議の場では「白人も入居できてないのに、彼ら(ベトナム難民)に 公営住宅が与えられるのは、間違っている」とまで発言。「ポーランド人やハンガリー人難民のように英社会になじみやすい人の方が(私の)抵抗は少ない」とも述べていたという。 ・・・
▼英国】イラク旧政権発足時にフセイン恐怖政治を容認 外務省機密文書
>故サダム・フセインイラク大統領が1979年に政権の座についた際、当時の駐イラク英大使らは「58年(の王制打倒)以来のスムーズな政権交代」などと強調、恐怖政治を容認する姿勢を示していたことが30日、英公文書館が公開した外務省機密文書で分かった。英紙が伝えた。同日は元大統領 処刑から3年に当たる。
>大使は「(最高意思決定機関の)革命指導評議会メンバー5人を含む有力者21人がサダムの大統領就任 から24時間以内に処刑された」と指摘。ある外務省当局者は、イラク安定には「力ずくの手法が必要 かもしれない」と記した。 ・・・
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009123101000065.html

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」