・・・小林信彦の小説によく出てくるが、学童疎開で見られた地獄のような人間関係は、大日本帝国の「聖戦」イデオロギーが1940年代には大して機能していなかったことを示している・・・。
▼小諸市制55周年シンポ:小林亜星さんと永六輔さん、疎開の思い出語る /長野
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>小林さんと永さんが同市に疎開したのは東京の空襲が激しくなった1944年から。小林
さんは同市六供(ろっく)の成就寺に集団疎開し、永さんは南大井の親類を頼って疎開した。
小林さんは当時、食糧難から果物などを盗んだことやイナゴやサナギを食べた思い出を話し、
「今でも終戦記念日にはカボチャのすいとんを必ず食べている」と紹介した。
>疎開当時について永さんは「いじめられた思い出が多かったが、亜星さんから『悪いのは戦争と
時代。小諸は悪くない』とさとされて仲直りした」と話した。2人は98年に「小諸わが想い出」
を作詩・作曲して市にプレゼント。06年に歌手の由紀さおりさんが歌ってCD化されている。
>現在の小諸市について永さんは「皮肉に聞こえるかもしれないが、新幹線が通ればスーパーや
パチンコ店ができ、(見た目が)同じ駅前になって悪く変わる。新幹線が来なくて正解だった」
と激励。「小諸の『小』は小さいことではなく、優れていること。『諸』はいろいろなものが
たくさんあるということで、誇りに思ってほしい」と持論を展開した。
>シンポジウムには800人近い住民が参加。会場から「懐古園に『上を向いて歩こう』の歌碑を
建てさせて」の要望が出されると、永さんは「いじめられて一人で懐古園で泣いていた思いを
つづった歌。造ってもらえるなら許可します。本当に小諸っていいところだね」と応え、大きな
拍手を浴びていた。
http://mainichi.jp/area/nagano/news/20091110ddlk20040052000c.html