山はけっして人間を裏切らない。
▼トムラウシ山などで動けなくなり遭難、男女10人死亡…北海道・大雪山系
>北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)で16日に相次いだ
>遭難事故で、トムラウシ山に登ったツアー客19人のうち17日朝、男女8人の死亡が確認された。
>単独で登山していたとみられる男性1人も死亡。美瑛岳では6人のうち兵庫県姫路市の尾上敦子さん (64)の死亡も17日未明に確認され、2山での死者は計10人となった。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20090717-519553.html
・・・死者を悼みつつ、この事件で思い出すことのいろいろ。↓
▼遭難者を知らせぬ登山者
http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/mountain/sounan.htm
>『大雪山系トムラウシ山(2,141m)で今月、本州の女性二人が遭難死した事故以来、やりきれない思いが胸を去らない。
>確かに今回の事故は、本州の登山客の認識の甘さを浮き彫りにした。本州客のガイド経験が多い古参の新得山岳会員は「おれがカネ払ってんだから責任持って頂上に連れてけ−というわがままな本州客は十人に三人はいる」と明らかにする。これは極端な例と思いたいが、やりきれなさを抱いた理由は、ちょっと違う。
>亡くなった二人のうち、愛知県の女性は十二日午前十時半すぎ、山頂まで約二キロの狭い登山道で救助隊に発見された。この時点では既に亡くなっていたとみられるが、それは置こう。問題は、救助隊が十勝管内新得町トムラウシ温泉側の登山道を出発する午前五時半ごろよりも前に、何人もの登山者が入山しているのに、「女性が倒れている−と知らせに戻ってきた登山者が、だれ一人としていなかった」(救助隊関係者)点だ。
>準備や認識不足の遭難は確かに自業自得だ。それでも、あの朝登頂したすべての登山者に問いたい。あなたがたは、下半身を寝袋に包み、あおむけに横たわっている女性のわきを通り過ぎたはずだ。
>声はかけたか。手は合わせたか。
>その後、極めた山頂での気分はどうだった。
>せめて、後味の悪さぐらいは感じたか。(新得支局)』
(以上 北海道新聞 2002年7月27日(土)朝刊 全文引用)
▼八甲田雪中行軍遭難事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で冬季訓練中に遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡する、日本の冬山登山史上もっとも多くの遭難者が発生した事件となった。・・・
▼サラワケット越え
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E8%B6%8A%E3%81%88
>サラワケット越え(サラワケットごえ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)のニューギニア戦役における、日本軍第51師団のラエからの転進作戦である。
>1943年9月、ラエで包囲された第51師団は、標高4,100メートルのサラワケット山系を越えて転進した。転進には成功したものの、約1か月をかけた山越えは数多くの犠牲者を伴った。
・・・
>山頂は一面、熱帯高地特有の湿地帯で、足下の泥濘の中に鬼羊歯や丈の低い雑木、緑色の苔が生えていておびただしい湿気と霧であった。名も知れない高山植物が華やかに咲き乱れていた。だが、その傍らには疲れ切り息絶えた死者の姿が延々と連なっていた。山頂ではみぞれ混じりの冷風が吹きつけ、夜に入ると気温は摂氏0℃近くに冷え込んだ。火を焚こうにも焚きつけがなく、遂に小銃の銃床を一丁壊して焚きつけとした。寒気をしのげなかった者は5名、10名と一団となって凍死した。
▼生存者の証言
http://www.kochinews.co.jp/rensai00/kataru02.htm
>高知市福井町の岡田浩揮さん(79)に「戦争のお話を」と頼むと、「家ではざわざわしますので」。真夏日の日中、妻の純子(あやこ)さん(75)を伴って、新聞社に出向いてきてくれた。
・・・
>部隊の生き残り約千人は、さらに逃げた。サラワケット峠(標高四、一〇〇メートル)を越え、山向こうのキアリに逃れるためだ。一週間分の食料はすぐに絶え、草木の根で飢えをしのぎ、三十九日かけて着いた山頂は、雪山だった。
>「一生言うな。ばれたら即日死刑だ」。兵士たちはそう言う上官に従って、「菊の紋章」の付いた小銃の柄をたき火にした。それでも夜が明けると、大勢が死んでいた。
>「天皇家の菊の紋章を焼いたからと、火にあたらんのです。ぬくもりゃえいに。それで朝には、凍死です。みんな笑ったような顔になりますな。時々、谷底でダンダン!! ああまた一人、死によったと。手りゅう弾で、自害です」