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派遣村関連

2ちゃんねるに書き込むためのテンプレ。よければあちこち貼ってください。

「なぜ君が誰にも愛されず、必要とされていないかといえば、君には
誰かのために行動してみようという、ささやかな勇気が欠けているからだ。
勇気のない奴に心を開く人はいない。心を動かされる人もいない。
だがなに、心配することはない。一生誰にも愛されずに死んでいく奴なんて
いくらでもいるさ。君もその一人だというだけのことだ。」

・・・日ごろ「愛国心」とか言うくせに、同じ国の人間が失業してると
「自己責任」とか言い出す奴は氏ねばいいのに(@∀@)
弱い立場の者に優しくない奴に生きる資格なし!w
そんな気概にあふれた漫画↓
[rakuten:book:12104836:detail]

派遣村:相談者120人 仕事ない7割、食べ物ない4割−−太田、沼田 /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20090629ddlk10040033000c.html
>仕事を失った非正規労働者や路上生活者を支援する「派遣村」(県社会保障
推進協議会、県民主医療機関連合会など主催)が28日、太田市浜町の天神公
園と沼田市高橋場町の十王公園で開かれた。太田では120人が会場を訪れ、
有志の弁護士や医師らが生活保護や雇用、健康などに関する相談を受け付けた。
焼きそばやおにぎりの炊き出しも行われた。

※太田で最も多かった相談内容は「仕事がない」87人。「住むところがない」
「食べ物がない」約4割。相談者の1割以上が外国人労働者。相談者のうち約
30人が生活保護の申請が必要と判断され太田市役所に申請に向かった
※イラン人のタラバティ・モハマド・レザさん(44)、半年間働いた桐生市
内のメッキ工場を解雇されてハローワークで休職中。「どうやって生きて行け
ばいいのか分からない」
※会場近くで相談呼びかけをしていた前橋市の無職男性(51)。
08年7月に派遣先を解雇され、今年3月末の「ぐんま派遣村」を訪問、今は
生活保護を受けながら求職中だが「自分と同じ境遇の人の力になりたい」と
ボランティア参加。

※太田の派遣村代表、太田協立病院事務局長の瀧口俊生さん(37)
「相談者の数は予想を大幅に超えた。今も首を切られる人が後を絶たない。
実行委員会は残し、運動を継続したい」

▼『反貧困』草の根喚起 『自己責任論に一石』 派遣村閉村
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009062902000052.html
>シンポジウムは東京の派遣村実行委員会が三十日に解散するのを受け、
「閉村式」と合わせて行われ、派遣村を訪れた人や支援者ら約五百人が出
席。村長を務めた湯浅誠さんは「職を失うと、住居も失う貧困のスパイラ
ルに陥っている現状を目に見えるようにした結果、セーフティーネット
(安全網)の必要性や、自己責任論に対する見方が変わった」と評価した。
>その後、各団体が活動を報告。生活保護者を支援するサポートセンターを
常設した岐阜市の「ぎふ反貧困ネットワーク」は、派遣切りにあった人の
相談や炊き出しなどの活動を紹介した。
>意見交換で派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「セーフティーネット
同時に派遣切りをさせないという取り組みが本来重要」と指摘。心のケアや
行政の積極的な関与を求める声も出た。
派遣村に参加して生活保護を申請し、職業訓練中の都内の三十代男性は
派遣村は世論を変えたと思う」と話していた。実行委解散後も相談窓口は
引き続き設ける。
>半数求職中、生活保護8割 就労は1割
>東京の派遣村を訪れた人のうち、仕事に就けた人は一割しかおらず、八割
近くは生活保護を受けていたことが、派遣村実行委員会が行ったアンケート
で分かった。
派遣村を訪れた約六百人のうち、実行委が住所を把握している約二百六十人
に先月末から今月にかけて質問を送り、百八人から回答があった。就労できた
人は十三人(12%)で、うちパートなど非正社員が七人。月収は平均十六万
六千円だった。
>求職中の人は五十五人(51%)。仕事に就けない理由は「年齢不問でも実
際は年齢制限がある」「資格や車の免許がないとダメ」などで、面接を三十回
受けた人もいた。「病気で仕事ができない」「ハローワークの就職セミナーを
受けたいが、定員がいっぱい」という声もあった。
>労働者のセーフティーネットである失業手当や就職安定資金融資を受けた人
は十二人(11%)しかおらず、八十一人(75%)が生活保護を受給してい
た。借金のある人は四十六人、心身の不調は四十八人が訴えた。糖尿病や腰痛、
不眠が多く、「金がないので受診していない」「相談する人がいない」という
人もいた。
>実行委は「就職状況は一般の人たちに遠く及ばない。セーフティーネット
穴をふさぐ取り組みが必要」としている。

▼「派遣村」閉村へ 今後も相談窓口は継続 
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090628/trd0906282152015-n1.htm
>村長を務めた湯浅誠さんは閉村を前に会見で、「社会のセーフティー
ネットの必要性などが認識されるようになった。派遣切りに対する社会の
認識や雰囲気が変わった」と、活動の意義を強調した。
派遣村は当初、年始の1月5日に解散予定だったが、予想を超える多く
の人が支援を求めてきたことや、3月末から4月にかけて年度を超えた就
労支援の必要が出たことから、実行委員会を存続してきた。実行委員会では
今後も、個別相談に応じるための窓口などを維持する。
>28日のシンポジウムには、東京での派遣村に触発されて活動を始めた、
全国各地の派遣村の実行委員会の代表ら500人が参加
労働者派遣法の改正や、社会のセーフティーネットの在り方について意見を
交わした。

生活保護:「申請、対応柔軟に」 派遣村実行委、県などに要請書 /愛知
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20090707ddlk23040184000c.html
>医師や弁護士、ケースワーカーらでつくる愛知派遣村実行委員会は6日、
県と愛知労働局、県経営者協会に対し、安易な非正規雇用労働者の解雇を
しないことや、生活保護の申請に柔軟に対応することなどを求めた要請書
を出した。・・・

・・・生活保護は国民の権利なのだが、知らない人は多い。(@∀@)
意外と小中学校あたりの子供は学校で習っているから知っているかもだ。

年越し派遣村日比谷公園から半年、きょう閉村 入村者、それぞれの道へ一歩
http://mainichi.jp/life/job/news/20090630dde041040006000c.html
>仕事や住まいを失った派遣労働者らを支援するため、昨年末、東京・日
比谷公園に開設された「年越し派遣村」が、30日で活動を終える。村は、
この不況で最も追い詰められた人々の現実を社会に印象づけた。開村から
半年。新たな仕事を見つけて再出発した人もいれば、自立を模索中の人も
いる。入村者の「その後」は一様ではないが、「派遣村が訴えた問題を
忘れないで」との思いは同じだ。

岩手県出身「カズさん」(29)。東北地方の工業高校でインテリアを
学ぶも就職氷河期非正規社員に。期間従業員として地元の自動車工場に
勤務したが、体を壊して辞表に追い込まれる。所持金が15万円になり
「路上生活か」とあきらめかけたころ、派遣村へ。スタッフと一緒にハロー
ワークに行き、清掃会社ではじめて「正社員」になる。スタッフの協力で、
家賃5万円の1Kのアパートを借りた。
派遣村はスタートラインを引いてくれた。あとは何とか自分の力で切り
開きたい」。
※東京都中野区の男性、シマさん(37)は現在も休職中。だが
派遣や期間工を繰り返した頃は、社会は自分を疎外する場所と思い込んで
いた。「派遣村で多くの善意の人にふれ、もう一度、社会の中で頑張って
みようと考えが変わった」。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」