▼「17年間の人生返して」=捜査批判、声震わせ−釈放の菅家さんが会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090604-00000192-jij-soci
・・・前に俺は「軍オタは頭のいい人であってほしい」と書いた。それに関連してもうひとつ書いておきたい。
「『海賊対策には自衛隊より海保を送れ!』とピースボートは主張しているが、一方で彼らは沖縄米軍基地の建設反対運動を海保が取り締まることに抗議したりする。矛盾しているのではないか」などということを言う人がいる。まあ誰とは言わない(@∀@)知りたきゃぐぐれ。
俺はこういうことを言う人には心底がっかりする。軍事や海保についてはヤタラとくわしいのに、海保や自衛隊の性質についてあまりにも無邪気な理解しかしていないのにはガクゼンとする。
それはピースボートが矛盾しているのではなく、海保や自衛隊が矛盾した性格を持つためにおこっている事態なのだ。
たとえば海保、あるいは警察でもいいが、一般にこれらは犯罪の取り締まりをするものだ、と思われている。なるほど、その側面は確かにある。刑事警察の側面だ。
ところがこれらの組織にはもうひとつの側面がある。それは政治警察としての側面である。その時の政府与党の利益を守るため、政府に反対する国民を弾圧したり圧迫を加えたりする組織でもあるのだ。特に日本の警察というのは、公安偏重(=政治警察としての役割を重視しすぎ)で、刑事警察としての機能が低下してたりもする。
ピースボートは海保に対して、刑事警察の側面を否定してはいない。だが、海保が政治警察として米軍基地反対運動を弾圧している側面については批判を加えている・・・というだけのことだ。
さらに加えて、「利己的な人間の集合体として、組織の維持を最優先し、組織の利益を最大化しようとする官僚集団」としての警察や海保、自衛隊・・・そういう見方も否定することはできない。
足利事件が示したのは、警察には確かにそういう側面があるし、それが肥大しないように常に国民に監視されねばならない、ということだろう。