▼派遣労働者諸君 自殺するな! 社会に復讐しろ!
http://anarchist.seesaa.net/article/100107814.html
>俺も首切りで2年前に酷い目にあった。
>年末最後の日、担当の係長に「よいお年を」なんて挨拶して寮に帰ったら、派遣会>社の人間が来て「スミマセンガ…実は今日で最後だったんですよ」……
>エッ…なんじゃそりゃ。さっきニコニコ挨拶してったんだぞ。辞めてもらうなんぞ一言もなかったのに…
>年末に無職となった俺……。無職でも寮費(実際の相場より1万円ピンはねされてる)は給与から天引きされる…まったく絶望のどん底にあった。
・・・派遣労働の現場を語って、これほどの生々しい文章は久しく読んだことがない。
俺も転職のつなぎに日研総業に所属したことがあるから、この感覚はよくわかる。
いきなり仕事がなくなることを告げられる時の、鳥肌の立つ、あの感覚。まるで『カイジ』の空間歪曲シーンのような。
俺は最初、いわゆる「違法請負」の状況で工場に放り込まれたが、いつのまにやら派遣社員ってことにされた(マスコミ対策)。派遣社員で助け合うどころか、いがみあいは日常茶飯事。他人をおとしいれようとする人間はどこにでもいた。大病をして仕事を失ったために派遣になったらしい人が何人かいた。なぜか元・自衛隊員がたくさんいた。休み時間はフィリピンからの青年たちと話をした。3年ほど日本の工場で働くらしい。「カネをためて、故郷に帰ってどうする? サリサリストア開くのか」と聞くと、「地元の工場に勤めたい」ということだった。へえ。
いきなり失踪する者が絶えなかった。日研社員は「脱走者はブラックリストに載るので、派遣の仕事は二度とできない」と脅しをかけた。へえ。俺は工場そのものがいろいろと興味ぶかかったし(仕事は単調だが)、小説とマンガさえあればあまり絶望も感じない方だから、わざわざ逃げ出しはしなかったが、暇さえあれば転職雑誌をめくっていた。たしかにこの職場には「未来」や「希望」というものがない。何年いたところで「熟練」や「発達」とは縁遠い。若い奴ほど逃げ出したくもなるだろう。俺は工場から工場へ転籍させられつつ、1年間欠勤もせずに勤務した。仕事が切れた機会に派遣社員をやめて、転職活動を開始した。自由に街を歩くというのは本当に楽しかった。たとえ面接で、採用担当者に人間性を否定されるような扱いを何度も受け続けたにしても・・・。
三ヶ月ほど転職活動を続けて、やっとこ正社員として就職してから、日研総業から「優良派遣社員」の認定カードが送られてきた。「またご利用ください」との手紙を添えて。つつしんでカードを叩き折った。
・・・今日の日本の派遣労働は、絶え間なく人間の尊厳を打ち砕き、絶望を拡大再生産する。この「罠」から人々が脱出する機会を作り出さなければ、悲劇はまたどこかで準備され続けるだろう。絶望を作り出した連中は、すこやかに眠り続けるのだが。
http://d.hatena.ne.jp/claw/20080613#p2
http://d.hatena.ne.jp/claw/20080611#p2
・・・このような事態を放置することは、俺にはとてつもなくアタマの悪いことに思えるのだ。
※俺の転職がなかなか上手く行かなかった理由は、俺自身にもあるのだが、その件はまた別の機会に書いてみよう。就職問題でうまくいかないでいる人には、あるいは参考になることがあるかもしれない。