いかにして虐待・虐殺は正当化されるのか
▼アブグレイブ虐待で有罪になった米国女性兵士へのインタビュー
http://wiredvision.jp/news/200804/2008042521.html
▼人が悪魔になる時――アブグレイブ虐待とスタンフォード監獄実験
http://wiredvision.jp/news/200803/2008031323.html
http://wiredvision.jp/news/200803/2008031421.html
>WN:あなたは、邪悪な行為を予防する方法は「ありふれた親切」を教えることだと言っておられますね。つまり、普通の人々がすばらしい道徳的行為を行ない、模範を示すような社会にするという話ですね。どうすればそれは可能なのでしょうか?
>Zimbardo:ある種の事柄について、それは道徳的に間違っていると同意が形成できるのであれば、ひとつの対抗手段は子供たちを教育することです。子供たちに英雄的な精神や英雄的な想像力について考えさせる、5年生から始めるプログラムがいくつかあります。
>英雄というものは、ほかの誰かのため、あるいは何らかの原則のために行動するものですが、一方で、社会の流れから逸脱することにもなります。集団というものは常に、「そうしてはいけない」「勝手なことはするな」と言い続けているものだからです。もしあなたが[エンロン社の不正に関与した会計事務所]米Arthur Andersen社の会計士だとしたら、不正に手を染めている連中がみな、「おい、仲間らしくしろよ」と言ってくるのです。
>いつの時代も英雄は、英雄的に振る舞うべき決定的な瞬間に、群衆から離れて異なったことをするのです。しかし、英雄的行為にはリスクがついてまわります。内部告発者は、解雇されたり、昇進をふいにしたり、つまはじきにされたりします。英雄は、そんなことは問題ではない、と言わなければなりません。
>英雄は孤立しているより、何人か集まったほうが効果的です。1人や2人だと体制から追放される恐れがあります。しかし3人集まると、抵抗を始めることが可能です。
>個々が「自分は英雄だ」と考えて、他の人やなんらかの原則のために行動する適切な状況がやってくることを待つことも重要ですが、それだけではなく、「ともに英雄的行為に加わってくれるよう、ほかの人たちにも影響を与えるスキルを学ぼう」としてくれることを、私は奨励しようとしているのです。