▼ミヤダイドットコム
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>・・・アメリカには市民宗教があるから、グローバル化の害毒をNGOネットワークが埋め合わせ、欧州には「補完性の原則」があるから、グローバル化の害毒を地域自治が埋め合わせられます。市民宗教の伝統も「自治と補完」の伝統もない国々や地域はどうなるのでしょう。
>ベラーは日本では天皇教が市民宗教として機能したと言いましたが、この市民宗教は消えてなくなりました。270の藩が事実上の自治を行なっていた江戸時代の伝統は、廃藩置県以降の極端な集権的近代化のせいで消えてなくなりました。ネグリ&ハート流の市民宗教的な処方箋は、市民宗教の前提になるリソースを破壊した日本では通用しないでしょう。
>社会システム理論の訓練を受けた私には、どんな命題に接する場合もまず最初に「ずいぶん前提に充ち満ちた話だな…」と呟いてみるクセがあります。その呟きにすぐ意味が充当される場合には、命題は本当に高度な前提の上でしか成り立たないのです。『〈帝国〉』におけるさまざまな命題も、私の「呟きテスト」では簡単に不合格になります。・・・
・・・「グローバル化の害毒を埋め合わすだけの力を持つナニカ」が今、日本にあるかといえば「ない」んだろうが、欧米のソレにしても最初からうまく回ってたわけじゃない・・・
「ありもの」と「これからつくるべきもの」の二段構えを考えた方がいいんじゃないか。まーミヤダイ先生がすぐ断言するのはいつものことだけど。