大日本帝国海軍乙(@∀@)
▼海軍乙事件 - Wikipedia
- 作者: 吉村昭
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/06/10
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>海軍乙事件(かいぐんおつじけん)とは、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件。・・・
>3月31日、古賀長官らは連合軍の大空襲を受けてパラオからダバオへ飛行艇(二式大艇)で移動している途中、低気圧に飲み込まれ、行方不明になってしまった。・・・
>二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた福留繁参謀長以下の連合艦隊司令部要員9名は泳いで上陸したがゲリラの捕虜にされ、新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書を奪われてしまう。 福留以下は後日解放されたものの、作戦計画書等の機密文書はのちに米軍の手に渡り、ブリスベーン郊外の連合国軍翻訳通訳局で翻訳された。新Z号作戦計画書から、マリアナ防衛作戦に参加する兵力、航空機や艦船の数、補給能力、指揮官の名前等が米軍に知られる所となり、その後の作戦遂行に甚大な影響を与えた。暗号書類は戦後公開されたアメリカの公文書の中から発見されている。
▼福留繁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%95%99%E7%B9%81
・・・この時に、福留は持参していた機密書類を(何一つ抵抗もせずに)奪われるという大失態を犯してしまう。その後解放された福留は、海軍次官沢本頼雄中将らから事情聴取を受けることになるが、本人は徹底して容疑を否定した事と、生え抜きのエリートを重刑にかけることを忌避した海軍上層部の事なかれ体質の為に機密書類紛失の失態は不問に付され、6月に第二航空艦隊司令長官に栄転することとなった。
>この為に「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)の関連情報が詳細な部分まで漏れて、敵が十分な対策を立てていた事を前線の将兵は知らないまま戦い、一方的な敗北を喫する事になった。その結果B-29による日本本土への戦略爆撃が開始された事を考えると、あまりにも重大な背信行為であったと言えよう。
>・・・なお、米海軍やフィリピンゲリラ達等の数々の証言にもかかわらず、死ぬまで乙事件で機密書類が奪われた事を認めなかったという。
海軍乙!としか言いようのない事件(@∀@)