「軍命はなかった」というならば、では住民を守るために何をしたのか。
「軍命はなかった」と言いさえすれば、死者への責任はすべて免罪されるのか。
(まー旧軍人の口から「俺に責任はない」と言わせるのも、それはそれで面白いのだが)
▼沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
・・・言うまでもなくコレは↑
「大日本帝国の軍人は沖縄人に自決を命令していない」と主張する
例の特殊な人々だが(@∀@)
どうも一つ奇妙なことがある。というか疑問なんだが、
彼らはなぜ「集団自決を命じる軍命はなかった」のような
否定文でしかモノを言えないのだろうか?
・・・これは実は重大なことではないかと俺は考えている。
別サイトで「軍命なかった」論者の理屈を整理してあるが、
http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/souten.html
やはり彼らは否定文でしか語れないものらしい。というのも、
「集団自決を命じる軍命はなかった。だからすなわち・・・」と
肯定文で語り始めたならば、
彼ら自身も口に出すのをはばかるほどの
醜悪なロジックがそこに出現するからだ。
・・・だったら、それを引きずり出してしまおうw(@∀@)
それも衆人環視の、裁判という場において。
くわしくは検討中だが、「彼ら自身のロジックが
彼らを破綻に導く」という美しい構図に導きたい・・・
>そのほうが
>面白い
>から!武装錬金/Z(スラッシュゼータ)夢みた楽園 (JUMP jBOOKS)
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(要請先候補リスト)
▼大江健三郎・岩波書店沖縄裁判支援連絡会
http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/souten.html
▼沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
http://susumerukai.web.fc2.com/
▼沖縄タイムス
▼琉球新報
▼自民党沖縄県連
http://www.okinawajimin.com/
▼公明党沖縄県連
▼民主党
▼日本共産党
▼社民党
・・・さて、「大日本帝国の軍人は自決命令など出さなかった」と主張する人々についてだが、
彼らが「真実だ」と主張する旧帝国軍人たちの証言というのは、はたして本当にアテになるのだろうか?(@∀@)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/chinzyutu1.html
>「老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう、忠魂碑の前で玉砕させようと思いますので弾薬をください」との助役の申し出に対し、梅澤隊長はしばらく沈黙したのちに、沈痛な面持ちで「今晩は一応お帰りください。お帰りください」と、そのときは申し出に応じなかったもので、『家の光』(乙16)や下谷修久氏の本(乙6)に掲載した手記に書いたような梅澤部隊長の命令があったとはいえないというものです。
>原告の梅澤氏は、3月25日夜の助役とのやりとりについて、「決して自決するでない。生き延びて下さい」と述べたと主張しているとのことですが、母は、1977年(昭和52年)3月26日の33回忌の日に私に経緯を告白して以来、本書に書いてあるとおり「今晩は一応お帰りください。お帰りください」と述べたと言っています。母は梅澤部隊長に申し訳ないという気持ちにかられて告白し、手記を書き改めたのですから、「決して自決するでない」と聞いたのなら、当然そのように私に話し、書いたはずです。
>本書262頁に書きましたように、母は、1980年(昭和55年)12月中旬に那覇市のホテルのロビーで原告の梅澤氏に面会し、1945年(昭和20年)3月25日の夜の助役と梅澤氏とのやり取りについて詳しく話しましたが、梅澤氏は当夜の助役らとの面会そのものについて覚えていませんでした。「決して自決するでない」との梅澤氏の言い分は、記憶にないことを、自分の都合がいいように、あたかも鮮明に記憶しているかのように記述したものと思われます。もし記憶しておれば、梅澤氏はその時訪ねてきた助役・宮里盛秀氏の名前を、前述の「仕組まれた『詫び状』」(乙18)117頁で紹介しましたように「宮村盛秀」と、遺族の戦後改姓の苗字を書くはずはありません。 ・・・