▼米大学乱射:韓国人は集団的罪意識を感じている=タイム誌
>時事週刊誌「タイム」は「韓国の集団的罪意識」という記事で、韓国人のほとんどは米国で長く生活していたチョ・スンヒ容疑者を典型的な韓国人とは考えていないが、集団が個人よりも優先する韓国的民主主義から集団的哀悼の意識や罪意識がうかがわれると分析した。同誌はこれを、韓国人に関する本を執筆したマイク・ブリンの表現を引用して「集団的責任観念」と説明し、李泰植(イ・テシク)駐米大使が「32日間断食」を提案した事実を代表的事例とした。
・・・確かにこの「断食提案」は奇妙に思える。
長崎市長をヤクザが射殺すれば、日本人はみな「日本人として恥ずかしい」と感じるか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070422-00000004-jij-soci
>特急電車内で女性に暴行したとして、大阪府警淀川署は21日、強姦(ごうかん)容疑で、滋賀県湖南市石部南、解体作業員、植園貴光容疑者(36)=別の強姦事件で公判中=を再逮捕した。容疑を認めている。犯行の一部は乗客の目の前で行われていたが、誰も制止したり通報したりしなかった。
この事件に対して、日本人はみな「日本人として恥ずかしい」と感じるか。
・・・いや、「恥ずかしいと感じる」のは勝手だが、
俺が感じるのは、むしろ「疑問」だ。
そもそもなぜこういう事件が?
なぜ「同じ〜として恥ずかしい」と感じるのか?何のために?
(つづき)
>さらに同誌は、このような民族主義的反応は米軍車両に女子中学生がはねられて死亡した2002年の事故ように、集団的排斥として現れることもあると指摘した。
・・・それは話が別だろう。(@∀@)
>一方、ロサンゼルス・タイムズも、韓国人社会の大きな衝撃と羞恥心は度を超している面があり、このような大きな事件を通じて表出する複雑な感情は、多くの少数民族系住民によくみられる、と19日付で報じた。
>また、同紙は犯人のチョ・スンヒ容疑者が韓国人であることが分かった直後にロサンゼルスの韓国人社会がろうそく礼拝を行ったことについて、このような行動は逆に混乱を招くこともあると分析した。同紙はさらに「精神異常者が大学で銃撃を行ったからといって韓国人たちが皆これを自らの過ちとするのは考えが短絡的」と指摘した。しかしこのような現象は韓国人を含む少数系民族に対する米国社会での偏見と固定観念が厳然と存在する事実を反映している、とも同紙は分析した。
・・・この辺で本質に近づいてきたようだ。
▼米大学乱射:チョ・スンヒ容疑者の歩んできた23年とは(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070421000035
>同級生のクリス・デービスさんは「授業中に本を読もうとしないので、先生が無理やり読ませたら、やっと口に何か詰まっているかのような変な声で本を読んだ。すると生徒たちが笑い始め、彼を指差して“中国に帰れ”と言った」と語った。他人を避け、一人ぼっちになった彼の成長期における学校生活は、彼の心の中で外部の世界に対する敵対心を膨らませ、倒錯した世界観を形成した可能性がある。
>チョ容疑者と同じ高校に通っていたカーマン・ブランドン(ウェストバージニア大学在学中)は「チョ容疑者は高校のとき、“仕返ししてやる相手の名前を書いたリスト”を作り持ち歩いていた」という。
・・・
>米シークレットサービスの心理研究室長を務めていたマリッサ・ランダッツォ氏はAP通信とのインタビューで「学校内の銃撃事件の犯人は71%がいじめを受けたことがある。これが歪んだ世界観や極端な攻撃性の形成に影響を及ぼす」と説明する。「チョ容疑者もそうした前例とまったく同じ典型的なケース」とのことだ。
・・・チョ容疑者を子供のころにいじめた奴も、それを傍観していた奴も、「書類に不備がないから」と拳銃を売った奴も、まさかこんなことになるとは思っていなかっただろう。しかし彼らもまた「事件」を構成する(パズルの)ピースだ。
・・・「殴られて育った子供は、殴られることに平気になるだけだ」(内田春菊)
あるいは「殴ることを『当たり前』と思う子供になる」か。
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