▼第44話『記憶喪失の国、記憶喪失の首都』
- 作者: 小松左京,一色登希彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: コミック
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(今週の『週刊ビッグコミック・スピリッツ』掲載)
>日本人が、
1945年の東京大空襲を
「アメリカ合衆国による
広島・長崎への核兵器実使用の
実験・誇示を兼ねた
"民間人大量殺戮"と同質のものであったのだ」と
思い出すのは、
21世紀に入り
アメリカが"戦争"と称し
中東で繰り広げる行為が、
半世紀以上前のそれと
全く同じものである事に、
ようやく気づいてからの
事である。
>もちろん日本も過去においてたくさんやった。
歴史上のあらゆる国が例外なくやったのと同じように、
国の中で、国の外で、自国民を、他国民を。
その記憶のほうはまだ、日本人はあまり
思い出していない。
『南京大虐殺』と呼ばれる事例(その事実が
あったかどうかの論議を含め)で
"何人が死んだのか"は、付随的各論にすぎない。
殺されたし、殺したのだ。
>日本と日本人は、自身のあらゆる事柄に於いて、
他者から何をやられてきたかを忘れ、併せて
他者に何をやってきたかも忘れてしまった。
大空襲を受けた記憶をはじめ、
陵辱を犯した当の大国(アメリカ)から直後にやさしくされ始める事で
大急ぎで心の傷を忘れ、加害者(アメリカ)との同一化を図る中で
「立ち直った」と思いこむ事にした----
それは"急性ショックによる記憶の喪失"と言えた。
>近現代に限らず、
そもそも日本人は古来より
ほどよく忘れる事が
民族的知恵として
織り込まれているふしがある。
>台風国であり、地震国であり、
大雨も大雪も降るという
この狭いごたごたした国では、
災厄(主に自然災害であった)との
闘いと復旧は、極めてすみやかに、活発に行われてきた。
異国人から見れば異様にさえ見える
オプティミズム(災害の度にそれを
乗り越えて進む事)が歴史的に培われていた。
災厄はむしろ人為的にでなく、
古いどうしようもないものを
地上から一掃するという天の配剤として
受け取られてきた一面を持つ。
>ある意味で日本は、震災や戦災や、
とにかく大災厄の度に面目一新し、
大きく前進してきたのだった。
>今までは。
>だが、
近現代に至り、
>一国の問題が、決して一国の問題では
済まなくなってしまった世界で、
また、
>文明が発展・複雑化してゆくのと
同じように、
地球の地質的成り立ちが
進化・複雑化し、
発生する災害も
進化・巨大化するとしたら?
>記憶を失いつつ
それにより前進する
という仕組み(システム)では
もはや対応しきれなく
なっていたのだとしたら・・・!?
(略)
>『死者数1万1千人』
この数字は・・・
>21世紀初頭、日本政府
中央防災会議が発表した
東京で大地震が発生した際の
想定死者数である。
冬の夕方18時、
風速15m、M(マグニチュード)7.3・・・とある。
資料の最期には、ていねいな
ことわり書きが添えてある。(九郎政宗註:この部分の画像:政府報告書の一部。「考慮されていないその他の被害シナリオ(例)」として、超高層ビルの被害や二次災害の発生、消火活動の遅延、交通事故、大量集客施設での火災の発生、デマ・流言の発生、治安の悪化などがあげられている。
この資料の正式名称は作中に明記されていないのでまだわからないが、
たとえば中央防災会議HP、「首都直下地震対策専門調査会」のページを見ると、
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/shutochokka/
そこにある資料では、
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/shutochokka/13/shiryo2-1.pdf
確かに『M7.3』で『死者数1万1千人』と書いてある。)>注意して欲しいのは、
近代都市での巨大地震に
最も危惧すべき要素が
ごっそりと抜け落ちている点だ。
>また、想定死者の
グラフの中に、
『交通被害2%、
およそ200人』とある。
>『東京』が、規模も人口も
実質『神戸』の約10倍で
あるという事実を・・・
>誰もが忘れてしまったが
故に・・・・・・?
死者15万を出した
関東大震災のみならず、
阪神淡路大震災も
忘れてしまったが故に・・・
想定死者1万1千人・・・等と
言えるのであろうか・・・?
(中略)
>1923年の関東大震災から数日の間に、
数百、あるいは数千とも言われる数の朝鮮人をはじめ
外国人・思想家を『虐殺』したことを
忘れてしまったからだろうか・・・・・・!?
"帝都東京"の被害ばかりが記憶され、
実は伊豆・箱根・小田原・湘南・三浦・横浜から
千葉房総に至る一帯が
壊滅的な打撃を受けていた事を
忘れてしまったからだろうか・・・・・・!?
最初の激震から辛くも免れ、
難を逃れて隅田川に沿う広場に
集まったかと思うやいなや
直後にその3万人以上の人々が
一瞬にして絶命した事例が何によるものか
忘れてしまったからだろうか・・・・・・!?
>忘れたのでなければ
何故、
(後略)