(▼コメント欄が見やすい「携帯版ページ」は→こちら。
・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。
▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク
▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール

▼従軍慰安婦  ▼嫌韓下流
【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日本史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索


北朝鮮に核実験の兆候なし、事実上の訂正 NYタイムズ
http://www.asahi.com/international/update/0726/010.html
>米紙ニューヨーク・タイムズは25日、米政府が当初、衛星写真に基づいて核実験用とみていた北朝鮮北東部のトンネルについて、米中央情報局(CIA)は今年4月26日の段階で米議会に、核実験の可能性は低い、との見通しを伝えていたと報じた。
>米政府は当初、中国や日本などに北朝鮮が核実験をする兆候があると伝え、中国側に6者協議の再開を北朝鮮に促すよう求めていた。核実験の兆候については、米紙ウォールストリート・ジャーナルが4月22日に、米政府が同21日に中国に情報を「緊急連絡」として伝えたと報じて関心を集め、ニューヨーク・タイムズ紙も5月6日付でトンネルでの活動を理由に核実験の準備が本格化していると報じていた。
>この情報について、衛星写真の分析の誤りやデータ不足から生じたミスで、外部に伝えるべき情報ではなかったという。今回の記事では、5月の記事が事実上誤りだったとして、その経緯を検証した。

・・・ないものがあることになり、あるものがないことになる。
まあ、よくある事だよね。イラク戦争のあたりから。



・・・東京新聞の好企画をメモ。

▼記憶 戦後60年 (@東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/list.html
■ 加害と向き合う ■
<中国編 上> 兵士が背負った“罪”(2005年7月23日)
<中国編 中> 捨てた毒ガス弾は(2005年7月25日)
<中国編 下> 秘密に縛られた半生(2005年7月26日)
<韓国編> “傷”うずく日本名(2005年7月29日)
<韓国編 2> 皇民強要した学舎(2005年7月30日)

■ 回天特攻 ■
<1> 愛する者のために死ぬ(2005年7月9日)
<2> 戦友送り出した痛惜(2005年7月10日)
<3> 『人生、意味あるものに』(2005年7月12日)
<4> 最後の式辞で伝えた平和(2005年7月14日)
<読者から> 語り継ぐ重さ胸に(2005年7月19日)

■ サイパン陥落 ■
<上> 玉砕より『生きたい』(2005年6月19日)
<中> 命捨てるの間違い、語り継がねば(2005年6月20日
<下> 玉砕の島から原爆出撃(2005年6月21日)
<読者から> 自決の海 問う平和(2005年7月3日)

■ キリスト教徒弾圧 ■
<上> 獄死、枕元に聖書(2005年6月4日)
<中> 『スパイの子』に耐え(2005年6月5日)
<下> 心解かした『教団の謝罪』(2005年6月6日)
<読者から> 異質、尊重する社会に(2005年6月15日)

■ 山の手空襲 ■
<上> 炎の表参道 書店の奇跡(2005年5月22日)
<下> 連夜の猛襲 渋谷灰じん(2005年5月23日)
<読者から> 街ゆく若者にこそ『あの体験知ってほしい』(2005年6月2日)

■ 沖縄戦 ■
<1> 『集団自決』消えぬ苦しみ(2005年5月2日)
<2> 『死は誉れ』間違いだった(2005年5月3日)
<3> “戦場”今も変わらず(2005年5月4日)
<4> 投降促す住民“虐殺”(2005年5月5日)
<5> 住民引き裂く援護法(2005年5月7日)
<読者から> 問いかける悲劇の地(2005年5月15日)

■ 大和沈没 ■
<上> きしむ鋼 断末魔(2005年4月2日)
<下> 重油の海『生』への切望(2005年4月3日)
<読者から> 繰り返す歴史に目を(2005年4月17日)

■ 硫黄島玉砕 ■
任務は自爆攻撃(2005年3月29日)

■ 東京大空襲 ■
<上> 『敵国の母』祈り海越え(2005年3月9日)
<中> 絵で語る『地獄の橋』 (2005年3月10日)
<下> 母への思い介護の心 (2005年3月11日)
<読者から> 語り継ぐ思い (2005年3月13日)

▼加害と向き合う 韓国編<2>皇民強要した学舎(@東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/index.html
朝鮮半島南部の街、大邱(テグ)府(現大邱市)。京城(現ソウル)女子師範学校を卒業し、一九四一年、朝鮮人が通う国民学校に赴任した杉山とみさん(87)・・・
・・・
>朝鮮の家族制度を日本式に変えるため、朝鮮総督府は四〇年に「創氏改名」を実施。多くの朝鮮人が、日本風の「氏」を名乗るようになっていた。
・・・
>校内では朝鮮語を話すことが禁じられた。使えば体罰が科せられた。日本統治下の朝鮮で生まれ育った杉山さんにとって朝鮮は“日本”。「日本語が話せないと勉強も就職もできない。日本人らしい日本語を教えるのは当然と思っていました」
・・・
>杉山さんは自宅のラジオで終戦の「玉音放送」を聞いた。
>「万歳(マンセー)!」
>翌朝。解放の歓喜が渦巻く大邱の街を、杉山さんは母親が疎開する郊外へ向かった。町はずれのバス停に並ぶと、前に立った若い男が日本語で言った。
>「あんた日本人だね。日本人は下がれ!」
街も人も、一夜のうちに変わっていた。敗戦を実感した瞬間だった。バスをあきらめ、十キロ以上の道のりを歩き出した。
>すぐ後ろで自転車のブレーキの音がした。振り返ると中学二年の金正燮(キム・ジョンソップ)少年がいた。後に外交官となる、初めての教え子だった。
>少年は「僕が守ります。後ろに乗ってください」と言った。二人乗りをして街の様子を聞いていると、今度はすれ違った男性が朝鮮語で怒鳴った。
>「今、何て言ったの」。言いにくそうに少年が答える。「日本語で話すな、朝鮮語を使えって…」。打ちのめされた思いがして、思わずペダルをこぐ少年の背に叫んでしまった。
朝鮮語なんて知らないわよ。どうやって話すの。日本人が日本語を使って何がいけないの!」
>これが、悔やみきれない一件となる。初めて気づいた。それは教育の名の下に、自分たちが強要してきたことだったと。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」