誰が何と言おうと『モトリョ。』はかわいい
http://russianzakkapark.blogspot.com/2009/04/blog-post_2359.html
正直フルスクラッチしたいw
おかしなことにネットにまともな画像がない。かわいいのに。かわいいのに。
まんがくらぶオリジナルを参照のこと。マトリョーシカ姉妹の末っ子だ。
君の知りたくない歴史
▼井上靖:従軍日記を発見 中国出征から送還まで半年 「大阪毎日」社員手帳にびっしり
「神様! 一日モ早ク帰シテ下サイ」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091025ddm041040089000c.html
>小説家、井上靖(1907〜91)が大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)に在籍中の1937(昭和12)年から翌年にかけ、日中戦争の体験を書いた従軍日記を、プール学院大学長で独文学者の長男修一さん(68)が遺品の中から見つけた。生前ほとんど従軍体験を語らず、戦争を正面から取り上げた作品も残さなかったが、戦争を書く意志はあったとされるだけに貴重な資料。小さな字でつづられた言葉は、空腹や家族愛など正直な心情に満ちており、頑健で無頼漢という井上の人間像の変更を迫るものだ。
・・・
>37年8月25日の「……五階の宿直室でうとうとしてゐると ふみ(妻)から九時頃電話、召集令状。一旦帰宅」で始まる。輜重(しちょう)(輸送)隊に属して中国大陸を行軍中の10月には心身のつらさの吐露が目立ち、11日「河上ニハ屍(しかばね)山ノ様ナリト ソノ水デ炊事シタ 相変ラズ人馬ノ屍臭紛々タリ」、14日「アヽフミ(ふみ)ヨ! 伊豆ノ両親ヨ 幾世(長女)ヨ!」、19日「神様! 一日モ早ク帰シテ下サイ」、24日「フミヨ、今度コソハ参ツタ」、28日「相変ラズ車輪ヲミツメ湯ケ島ノコトヲ考ヘテ歩ク……羊カンデモ汁粉デモ甘イモノガタベタイ」などと書く。
>井上は徐々に体調を崩してかっけになり11月19日には入院が、12月18日には内地送還が決まったとの記述がある。翌38年1月18日には船で門司(福岡県)に着き「ラヂオデ国技館ノ角力(すもう)ニユースヲ聞ク コノ熱狂ハナンダロウ」と、戦地とのギャップに戸惑う。日記は3月7日で終わる。
・・・よりによって1937年(@∀@)
情報統制された内地と中国大陸の地獄っぷりをしめすナイス資料。今後の分析が楽しみだ。