「狼と香辛料Ⅱ」が思ったよりは「いい」件について。
第1期と製作会社が変わったので、一時はどうなるかと思ったが、いまのところはそんなに悪くない。
▼「狼と香辛料Ⅱ」第1話〜
http://www.veoh.com/browse/videos/category/animation/watch/v16861083aa4tsSn8
http://www.veoh.com/browse/videos/category/entertainment/watch/v18773031taRNJWt4#
http://www.veoh.com/browse/videos/category/entertainment/watch/v18808549DF9wTSyy#
http://www.veoh.com/browse/videos/category/entertainment/watch/v188447364DJS9xwh#
ただ、第1期があまりに神だったので、どうしてもアラが目に付くのはしかたない。たまに大ゴマでデッサンが狂うのはどうかな、と思うこともある。OP・EDも、ともに前期ほどの印象深さはない。
▼「狼と香辛料」(第1期)OP・ED
http://www.veoh.com/browse/videos/category/animation/watch/v6288809eBryrQ5b#
それでもつい見てしまうのは、「おのれの技量不足はわかっちゃいるが、偉大な前任者に追いつきたい、できることならそれを超えてみたい」と必死にあがく現スタッフの心の声が聞こえるからだよ!(@∀@)
ある出来事から何を思うか、について
▼2女性記者とクリントン元大統領、米国到着
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090805-00000927-yom-int
>北朝鮮を訪問したビル・クリントン元米大統領と、「特赦」によって解放された2人の米人女性記者を乗せたチャーター機は5日午前5時50分(日本時間同日午後9時50分)ごろ、ロサンゼルス郊外のバーバンクにあるボブ・ホープ空港に着陸。
▼解放の米記者2人が帰国=クリントン氏、拉致解決要求
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000002-jij-int
>クリントン氏の訪朝に関連して米CBSテレビ(電子版)は、同氏が北朝鮮側に対し、日本人拉致問題の解決を「非常に強い調子で迫った」と報じた。米当局者の話として伝えた。
▼記者2人の釈放で、北朝鮮への見返りは一切ない=米政府高官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090805-00000017-reu-int.view-000
・・・面白いことにyahoo!ニュースへのコメント欄が「愛国ネチズン」の珍妙コメントであふれかえってるw
http://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20090806-00000002-jij-int&s=points&o=desc
・2009年8月6日 0時22分yas*****さん
民主党の拉致問題への姿勢を批判するコメントが多数を占めたので、
2度目の記事削除。
流石ですねyahooさん。
前原誠司・岡田克也「日本は拉致に固執しすぎ」
小沢一郎「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」
日本人はこれらの発言を忘れませんよ。
・2009年8月6日 0時16分hos*****さん
日本の拉致被害者は帰ってこなくて、アメリカの記者は帰ってくる。これの違いは何なんだろうか?軍隊があるかないかなのか?それとも日本が舐められているのか?
理不尽なり!
・2009年8月6日 0時18分max*****さん
さすがはクリントンw
口先だけ威勢のいいどこかの阿呆な総理とはまったく格が違いますなw
・2009年8月6日 0時15分coz*****さん
大したもんだが、
交換条件は何?
・2009年8月6日 0時21分rod*****さん
うそつくな!
大統領だった時、何でもやるやるといっときながら
何にもしなかった
まさに口先だけの男!
「敵は日本」と宣言して散々日本叩きだけはしてくれた
こんなヤツが日本のために拉致解決なんかするわけがない!
・・・世界は何一つ自称「愛国者」たちの思うようには動かない(@∀@)
これからもたぶん、もっとそうなる。
・・・俺としては今回の事件で、北朝鮮政府の思考や行動様式のパターン、つまりいきなりアメリカ人を捕まえておいて、しかるのちアメリカから「大物」が訪朝するの待って釈放し、「スパイを寛大にも釈放なさるわれらが将軍様はなんとすばらしいのだろう」ということにしちゃう、そういうのを見ることができて興味深かった。安い芝居だが、北朝鮮においてはこの事件のニュースは一種のエンターテインメントとして国内で消費されることになるのではないかと思う。権力者は大衆に「娯楽」を与えることで不満を解消させようと試みるものだ。別に北朝鮮に限ったことではない。
怪談コピペというジャンル
たとえばこんなの。
▼子供の頃は幸せだった。
子供の頃は幸せだった。父の趣味でジュークボックスがあったのを鮮明に覚えている。
真冬には寒がりの俺に、裏地が二重のジャンパーを母が繕ってくれた。いい両親だっ
た・・。俺はそんな幸せを、21歳の時に些細な喧嘩で壊してしまったのだ。そして転機
は今年が明けたばかりのある日、訪れた。俺は薄ら寒い七畳半の部屋でただゴロゴロしな
がらだらけた時間を過ごしていた。唯一の存在だった18歳の彼女にフラれ完全に鬱だっ
た。親と喧嘩して飛び出してもう四年、バイトで食いつないではいたものの、社会的
にも死んでいるも同然の状態。友達もいない。だから、そんな俺の部屋、16号室のチャ
イムは当然ほとんど鳴ることが無い。だがその日は続けて五回も鳴らされた。そうい
えば昨日もおとといも鳴ってたな、どうせろくな用じゃないと思って出なかったが・・
・。俺のとこに来訪者などいないし。そう考えているともう一度鳴った。しかたがな
いのでインターホンを取ると、武士のごとく厳しい顔をしたお兄さんが映っていた。俺
宛に両親から宅配物が届いているという。今日で来るの3回目なんですよ、といかつく
言われた。両親から贈り物だって??そんなことありえない。だが彼の苦労を重視し
て出ておいた。見ると差出人はたしかに両親だった。なんだと思って開けてみると15mm
程の海で取れる貝殻と、手紙が入っていた。手紙は十行くらい。「久しぶりですね。あ
なたのことが気がかりで手紙を書きます。慎二、今までいろいろあったけど私たちはあ
なたのことを愛しています。いつまでそっちにいるつもりですか?パチンコばかりやっ
てあんまり仕事のあてが無いならこっちに来てはどうでしょう。地元でも年じゅう七丁
目のお店でスロットやってたものね。でもいいんです。あなたはもう十二分に頑張りまし
た。冬の九木湾の海は綺麗ですよ。いつでも待っています。」読み終わって俺はしば
らくぼう然としたが、直後に大声を出して号泣した。13日の契約更新でバイトはやめ
よう・・。そして両親と静かに暮らそう。そう思った。裏地を二重にしたジャン
パー・・23の時に自分で縫えるようになったんだ。ちゃんと着ていくよ
あちこちに数字が埋め込まれているのがわかるだろうか。たとえばジュークボックスは19を意味する。この数字の順に行を入れ替えてみると・・・
・。俺のとこに来訪者などいないし。そう考えているともう一度鳴った。しかたがな
なたのことが気がかりで手紙を書きます。慎二、今までいろいろあったけど私たちはあ
宛に両親から宅配物が届いているという。今日で来るの3回目なんですよ、といかつく
た。親と喧嘩して飛び出してもう四年、バイトで食いつないではいたものの、社会的
イムは当然ほとんど鳴ることが無い。だがその日は続けて五回も鳴らされた。そうい
えば昨日もおとといも鳴ってたな、どうせろくな用じゃないと思って出なかったが・・
は今年が明けたばかりのある日、訪れた。俺は薄ら寒い七畳半の部屋でただゴロゴロしな
なたのことを愛しています。いつまでそっちにいるつもりですか?パチンコばかりやっ
た。冬の九木湾の海は綺麗ですよ。いつでも待っています。」読み終わって俺はしば
程の海で取れる貝殻と、手紙が入っていた。手紙は十行くらい。「久しぶりですね。あ
いのでインターホンを取ると、武士のごとく厳しい顔をしたお兄さんが映っていた。俺
目のお店でスロットやってたものね。でもいいんです。あなたはもう十二分に頑張りまし
らくぼう然としたが、直後に大声を出して号泣した。13日の契約更新でバイトはやめ
言われた。両親から贈り物だって??そんなことありえない。だが彼の苦労を重視し
て出ておいた。見ると差出人はたしかに両親だった。なんだと思って開けてみると15mm
にも死んでいるも同然の状態。友達もいない。だから、そんな俺の部屋、16号室のチャ
てあんまり仕事のあてが無いならこっちに来てはどうでしょう。地元でも年じゅう七丁
がらだらけた時間を過ごしていた。唯一の存在だった18歳の彼女にフラれ完全に鬱だっ
子供の頃は幸せだった。父の趣味でジュークボックスがあったのを鮮明に覚えている。
真冬には寒がりの俺に、裏地が二重のジャンパーを母が繕ってくれた。いい両親だっ
た・・。俺はそんな幸せを、21歳の時に些細な喧嘩で壊してしまったのだ。そして転機
よう・・。そして両親と静かに暮らそう。そう思った。裏地を二重にしたジャン
パー・・23の時に自分で縫えるようになったんだ。ちゃんと着ていくよ
↑↑↑左から三文字目を縦読みすることで新しい文章があらわれる。
ああこわいこわい。
こんなネタを考え付いた奴のヒマさがまんじゅうこわい(@∀@)
まだ僕らの知らないヒロシマ
▼被爆後半年の広島、米調査団の遺族が写真提供
>原爆投下の約半年後に広島や長崎を訪れた米国戦略爆撃調査団のメンバー、ハーバート・スッサン氏(1922〜85年)の遺族が13日、広島市の広島平和記念資料館を訪れ、スッサン氏が保管していた被爆地などの写真210枚を提供した。
>広島で撮影された43枚のうち23枚は同資料館が確認していなかったカットで、担当者は「復興の兆しがうかがえる貴重な写真」としている。
・・・
>同資料館で記者会見したレスリーさんは「父は生前、『自分も(残留)放射線を受けた。広島では復興に向けたエネルギーを感じた』と話していた」と語った。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090713-OYT1T00996.htm
・・・ハーバート・スッサン氏といえば、
少し古い記事にこういうものもある。↓1999年。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kioku/toku.html
>「当時の悲惨な光景が昨日のことのようによみがえってくる」。一九八三(昭和五十八)年十二月、三十七年ぶりに被爆地広島を訪れ、ケロイドの残る被爆者らをカメラに収めた広島逓信病院(中区東白島町)の屋上に立ったハーバート・スッサンさんは言った。
>「一階は外来患者がいっぱいで撮影できなかった。被爆者にこの屋上に上がってもらって・・・」「よく覚えていますよ、撮られた時のつらかったことを」―スッサンさんに同行した被爆者の一人がこたえた。
>米戦略爆撃調査団のチーフカメラマンだった。焦土と化した日本各地を巡り、当時としては珍しいカラーフィルムで爆撃の効果を収めた。だが、四六年二月に長崎、三月に広島に足を踏み入れたスッサンさんは、あまりの破壊のすさまじさと、なお続く被爆者の苦しみに接し「人生観が変わった」と言う。
>「自分は軍人だったけど、二度とこのようなことがあってはならないとの思いで撮影した」。スッサンさんは自分の思いを被爆者に打ち明けた。その年の暮れに除隊後、テレビプロデューサーとして働きながら、軍事機密として政府管理下に置かれたフィルムの公開を求め続けたのも「核戦争のむごさ、愚かさを伝えたい」との一心からだった。
>「私もヒバクシャです」。リンパ節がんや脳腫瘍(しゅよう)の手術で三年間入院生活を続けたスッサンさん。取材でその場に居合わせた私は、スッサンさんの動作や口調がゆっくりとしている理由をその時知った。 ・・・
▼写真集を出しています
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kioku/990608.html
▼写真の中に兄の名が
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kioku/990613.html
▼写っているのは私です
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kioku/990616.html
・・・このようにして今も歴史は「発掘」されている。いずれまたどこかで、このようなことがあるはずだ。