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竹島(独島)・教科書問題を考える緊急討論会

竹島(独島)・教科書問題を考える緊急討論会
―日本と朝鮮半島−過去・現在、そして未来へ!―

>韓流ブームなどで「順調」に見えた日韓関係がにわかに緊張しています。
島根県議会が2月22日を「竹島の日」とする条例を議決したことが今回の発端で
す。この日はちょうど100年前にこの島を島根県編入した日です。しかし、ことは
島の問題にとどまりません。100年前、日本と朝鮮半島の間に何があったのかを知る
こと無しには、韓国・朝鮮の人々がなぜ怒っているのか理解できないでしょう。
>今年また、検定教科書の採択を迎え、過去の日本のアジア侵略・植民地支配を美化
した「つくる会」教科書問題が再燃していることも、被害を受けた韓国・朝鮮の人々
の怒りを増幅しています。
>あらためて日本と朝鮮半島の過去の歴史を知り、現在の問題をとらえ、未来に向け
て和解と平和・友好、民衆同士の連帯の道を探りたいと思います。緊急討論会にぜひ
ご参加を。

  ■日時 4月12日(火)午後7時開始
  ■場所 文京シビックセンター 地下2階研修室A
  (地下鉄南北線・丸の内線「後楽園」or三田線大江戸線「春日」すぐ)
  ■参加費 500円

主催 平和のための2005年運動(正式名称 朝鮮侵略100年、朝鮮解放・分断60
年、日韓条約から40年を問う2005年運動)
 連絡先  日韓民衆連帯全国ネットワーク(03‐5684‐0194)   
       新しい反安保行動をつくる実行委Ⅸ(03‐5275‐5989)
       許すな!憲法改悪・市民連絡会(03‐3221‐4668)     
       基地はいらない!女たちの全国ネット(03‐5870‐4837)
   脱WTO草の根キャンペーン実行委(03‐3813‐6492)  
在日韓国民主統一連合(03‐3862‐6881)
(郵便送付先) 東京都文京区小石川1‐1‐10‐105 日韓ネット気付

・・・関連して以下の情報も。

竹島=独島問題、櫻井よしこ氏を批判する(2) (@aml)
(以下引用)

半月城です。
  前回に引きつづいて、櫻井よしこ氏の竹島=独島記事に対する批判を継続しま
す。今回は近代以降を取りあげます。
  島根県の「竹島の日」条例は、1905年、竹島=独島を同県の管轄下におくという
県告示100周年を機に制定されましたが、まずはその県告示にいたった当時の状況を
簡単にみておきたいと思います。

  1904年に始まった日露戦争の帰趨は、日本海=東海における制海権をどちらが握
るのかにかかっていました。同海域において日本の輸送船はロシアのウラジオ艦隊に
しばしば沈められたので、劣勢の日本はウラジオ艦隊をいかに抑えるかが急務でし
た。
  そこで注目されたのが、鬱陵島竹島=独島でした。同島に望楼を築き、ウラジ
オ艦隊の動きをさぐれば、日本は軍事的に有利になります。そんな時局のなかで漁夫
の中井養三郎からリャンコ島の「領土編入ならびに貸下願」が日本政府に出されまし
た。
  リャンコ島とは竹島=独島のことですが、当時は島名混乱のおかげで、竹島=独
島はその日本名が完全に消えてしまい、フランス捕鯨船にちなんだ西洋名のリアン
クール岩とか、リャンコ島とかよばれていました。

  中井の領土編入願いに対して、内務省は、戦争という時局に際し、韓国領の疑い
がある莫荒たる不毛の岩礁を収めたら、諸外国に日本は韓国併呑の野心があるのでは
と疑われるとして反対しました。
  それも自然な成りゆきです。同省は、鬱陵島竹島=独島を「本邦に関係なし」
として、太政官の裁可を得ていたので、容易に賛成するはずはありません。

  ところが外務省の判断はちがっていました。戦争という「時局なればこそ その
領土(竹島=独島)編入を急要とするなり、望楼を建築し 無線もしくは海底電信を
設置せば 敵艦監視上 極めて届竟ならずや」として内務省を説得しました。
  明治政府内においてはこうした帝国主義者の意見がまさり、結局、竹島=独島は
「無主地」であり、中井養三郎の「移住」が国際法上の「先占」にあたると強弁して
領土編入を決定し「竹島」と命名する閣議決定をおこないました(注1)。
  ただし実のところ、竹島=独島は無主地ではないし、また中井の移住とは名ばか
りで、実はアシカ猟の季節ごとに風で破損するような菰(こも)ぶき小屋に寝泊まり
したというのが実態でした。

  この閣議決定は、政府の官報などには一切掲載されず、島根県へこっそり伝えら
れました。そして秘密裡にことを運ぶためか、韓国には一切伝えられませんでした。
小笠原諸島の場合には関係国と十分な協議をおこなったのと対照的です。閣議決定
受けた島根県は「竹島」を同県の所管とする告示をおこないました。
  この経過に対して、櫻井よしこ氏は韓国側の意見、および日本人学者の反論をつ
ぎのように紹介しました。

週刊新潮<「竹島」領有権を検証する> 05.04.07
  韓国側は、日本が竹島島根県に組み入れたのは、1905年で、その際、韓国を含
む他国が抗議しなかったから日本領だと主張するのは理不尽だ、なぜなら、韓国は前
年の二月に日韓議定書を、8月には第1次日韓協約を結ばされて外交権を剥奪されてお
り、発言できなかった状況だったからと主張する。

  米田教授はこの主張も誤りだと述べる。
「日韓議定書は韓国の外交権とは無関係です。第一次日韓協約によって日本が韓国の
外交権を管轄した事実はありません・・・
  ちなみに日本が韓国の外交権を管轄するのは1905年11月の第二次日韓協約以降、
竹島編入の9カ月後である。

  米田氏や櫻井氏の趣旨は、韓国は日本の竹島=独島編入に抗議できる状況だった
にもかかわらず抗議しなかったという点にあるようですが、狡猾にも竹島=独島編入
がこっそり行われた事実にはまったくふれませんでした。
  編入が政府レベルで公知されなければ、韓国はその事実を知るのは困難である
し、抗議のしようもありません。韓国が編入の事実を知らされたのは 1906年のこと
であり、その時は外交権を剥奪された第二次日韓協約以降でした(注2)。その時点
で日本に対する抗議は不可能です。
  なお、ささいな補足ですが、第一次日韓協約で日本は外交顧問としてスチーブン
を韓国へ送り込み、外交上の実権を掌握させていました。したがって、このとき韓国
は外交権を剥奪されないまでも、手足を縛られたも同然でした。米田氏の指摘はかな
らずしも妥当ではありません。

  米田氏はさらに「明治維新で近代国家に成長しようとしていた日本はあらゆる点
国際法を重視しました。領土も国際法に沿って規定すべきだと考えて、日本領であ
竹島島根県編入した」と書きましたが、これは疑問です。

  まず、竹島=独島は前回書いたように、日本の最高国家機関たる太政官が暗に韓
国領と認識したうえで放棄した島であり、しかも無主地ではないので、そうした地を
領土編入するのは「狼どもの国際法」にてらしても違法であることはいうまでもあり
ません。
  そもそも日本が編入しようとした島の名は「竹島」でなく「リャンコ島」でし
た。古来の日本名が失われ、外国名がつけられた島は、いわば領有意識がほとんどな
かった証拠ともいえますが、それでも強いて日本領というのはあまりにも我田引水が
すぎるのではないでしょうか。

  さらに、もし島根県のような一地方の告示が「狼どもの国際法」に沿うというの
なら、戦後、韓国の慶尚北道竹島=独島に行政権をおよぼしたことも国際法に沿う
ので、日本はこれを認めるべきだというのでしょうか?
  しかも、そのとき日本は韓国の行政措置に何の異議も抗議もしませんでした(注
3)。当時、竹島=独島は連合国により日本領から切り離されていたのですが、その
連合国の措置、SCAPIN 677号に関しても日本は何の異議申し立てをおこないませんで
した。

  そうした事情をくわしくみることにします。1948年、韓国はアメリカ軍政庁の権
限を引きついで独立したのですが、それまで竹島=独島はアメリカ軍政庁の管轄下に
ありました。
  1946年、連合国総司令部(GHQ)は指令 SCAPIN 677号を発し、その第3項(a)
竹島=独島や鬱陵島済州島を日本の政治、行政区域から切り離しました。これは
最終決定ではないものの、連合国はこれらの島を韓国領と認識していたようです。

  そればかりか、GHQは漁業資源保護のためマッカーサーラインを引き、竹島
独島へ日本の船が接近することを禁止しました。
  こうした一連の措置に日本はまったく異議を申し立てませんでした(注4)。こ
れはとりもなおさず、戦後の日本が竹島=独島を放棄したことを意味します。

  こうした史実を櫻井よしこ氏は一言半句も語りませんでした。そのかわり、唐突
に李承晩ラインについてこう書きました。
 「1952年1月28日、サンフランシスコ講和条約が発効される4月28日を前に、国際法
を無視した「隣接海洋の主権」を主張して、公海上に李承晩ラインを引き、その中に
竹島を入れてしまった」

  櫻井よしこ氏はマッカーサーラインを知ってか知らずか、それについての国際法
には云々せずに李承晩ラインだけを問題にしましたが、実は両者はほとんど同じでし
た。
  当時、日本漁船がマッカーサーラインを侵して拿捕(だほ)された漁船が 1951
年4月だけでも27隻にものぼるほど、日本は魚の確保に血まなこになっていました
(注5)。

  マッカーサーラインは講和条約の3日前に撤廃されましたが、その対策を韓国政
府がもし立てなかったら、日本漁船による漁業資源の乱獲は火を見るより明らかでし
た。韓国がマッカーサーラインを引きついで李承晩ラインを設定したのは、善し悪し
はともかく、漁業資源の 200カイリ時代を先取りしたものといえます。
  そのような歴史的背景を無視して櫻井氏のように一方的で偏った記述をおこなう
のは、いたずらに偏見をあおるだけです。

  こうした一方的な記述は、サンフランシスコ講和条約についても同様です。櫻井
氏は、記事で竹島=独島を韓国領として再確認することを要求した韓国の主張をアメ
リカが拒否した事実については詳細に書きましたが、同条約において日本の要求も最
終的には受けいれられなかった事実については記しませんでした。
  竹島=独島は、アメリカの第1−5次草案で韓国領とされましたが、第6次草案で
は日本のロビー活動の影響と、韓国「外務部の消極的政策と無為無能のために」日本
領とされました(注6)。
  しかし、条約はアメリカ一国の考えで決まるわけではなく、連合国の承認をうる
必要があります。その過程でイギリス案とのすりあわせがなされ、最終的には竹島
日本領、韓国領のどちらにするわけでもなく、条約に竹島=独島は片言隻句も記され
ませんでした。ハボマイ・シコタン諸島と同様に、あいまいなままで締結されました
(注7)。

  この条約の解釈ですが、櫻井氏は韓国の見方をこう記しました。
 「韓国側は、サンフランシスコ講和条約には、竹島を日本領とするという記載がな
いために、日本は竹島を放棄し韓国の領土となった、と主張する」

  この記述は意図的なのか、すこし舌足らずです。これでは読者に韓国は飛躍した
論理をごり押ししているという印象を与えかねません。
  韓国の主張ですが、条約には独島を日本に編入するという積極的な規定がないの
で、SCAPIN 677号で同島を日本から分離した規定には何ら変更がない、さらに韓国は
独立を達成して以来、独島の管理統治を回復しており、そのような状態の下で対日平
和条約の該当事国から正式承認を受けていたとするものです。
  同時に韓国の基本的な言い分は、連合国のカイロ宣言ポツダム宣言を引きあい
に出した下記の文に集約されます。

  連合国の日本領土処理に関する基本方針は、日本領土を清日戦争以前の状態に戻
そうとしたことが明らかであり、1905年に日本が韓国政府に外交顧問を派遣しておい
て、島根県告示という一地方自治団体の告示で編入した独島の取得は、まさしく「暴
力と強力(ごうりき)によって奪取」したものであることが明白であるから、日本
は、当然にかかる地域から駆逐されなければならない(注8)。

  これにつけ加えるならば、韓国やソ連サンフランシスコ講和条約の非調印国で
あり、そうした立場の国が同条約により著しい不利益を強制されることはありえませ
ん。
  したがって、韓国やソ連が SCAPIN 677号にもとづいて、竹島=独島やハボマイ
・シコタン諸島を継続統治している現状は、サンフランシスコ講和条約によって影響
されるものではありません。
  ただし、両者のちがいですが、ソ連の場合はそれらの島に歴史的な領有意識を
もっていないのに対し、韓国の場合は官撰書などで歴史的に韓国領と考えてきたとい
う点です。

  これまで二回にわたり、櫻井よしこ氏を批判してきましたが、その中で感じるの
は、同氏は数人の根拠薄弱な意見のみを聞き、それ以外の研究者や韓国政府がどのよ
うな主張や反論をしているのかについてほとんど検証しようとしないことです。
  要するに、必要最小限の資料すら調べず、一部論者の意見のみをつなぎ合わせて
「検証」と称するのは、少しおこがましいのではないでしょうか。一部論者の我田引
水的な主張のみをコピーしたのでは問題の方向を大きく見失うのが常です。
  櫻井よしこ氏には、もう少しきちんと勉強されるよう望みたいと思います。

(注1)半月城通信<竹島=独島の軍事的価値>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6984
(注2)半月城通信<竹島=独島編入にたいする反発>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.697
(注3)半月城通信<韓国独立と竹島=独島対応>
http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html#No.759
(注4)半月城通信<竹島=独島と連合国指令>
http://www.han.org/a/half-moon/hm096.html#No.702
(注5)半月城通信<李ラインの経緯>
http://www.han.org/a/half-moon/hm087.html#No.604
(注6)「愼𨉷廈教授の獨島問題100問100答」(韓国語)『新東亜』2000.5月号
   半月城通信<愼𨉷廈教授の独島百問百答>Q93
http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html#No.760
(注7)半月城通信<対日講和条約草案>
http://www.han.org/a/half-moon/hm096.html#No.703
(注8)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6,
P65

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

▼<中国反日デモ>上海で邦人初の負傷者(毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050410-00000065-mai-int
>中国で反日抗議デモが拡大する中、上海市では9日夜、日本人留学生2人が殴られ、軽傷を負っていたことが10日、上海の日本総領事館などの調べで分かった。一連の騒動での邦人の負傷者は初めて。現地の公安当局は傷害事件とみて捜査を進めている模様だ。
>同領事館などによると、日本人4人を含む現地の留学生ら十数人が9日夜、上海市内の飲食店に入店。その直後、店内にいた見知らぬ中国人客に数人が呼び止められ、「お前は中国人か、韓国人か」と問われた。1人が「日本人だ」と答えると、その中国人客が持っていたビールのジョッキや灰皿などで、いきなり殴りかかり、日本人2人が頭にけがをした。2人は病院で手当てを受け帰宅した。
>地元公安当局は被害申告を受け、関係者から事情を聴いているという。同総領事館もさらに詳しい事実関係を確認中だ。

気の毒に。貧困な政治のツケをこんなところで個人が支払わされている。
(ニッポンでは、そういうのを1年ほど前から「自己責任」と呼ぶらしいよ?)


>「お前は中国人か、韓国人か」
・・・こういうときは、正直に答えるのではなく、両手を広げて「We're from United States.」などと英語で返してアメリカ人のふりでもするのが正しい対応。


内田樹の研究室: 反日デモの伝える声
http://blog.tatsuru.com/archives/000911.php
小泉首相にしても町村外相にしても、中国政府に対して言っていることは「原則的にこれまで日本政府が言ってきたことの繰り返し」であり、べつに新味があるわけではないと同様、とくに危険で挑発的なことを言っているわけでもない。その限りでは、「どうしてこれまでと同じことを言っているのに、急に怒り出すんだ。中国人は何を考えているのか、わからんね」というふうに首相や外相が思ったとしても不思議はない。
でも、テレビの画面で中国問題についてコメントするときの日本の政治家の顔つきと声を「中国人になったつもりで見ると」、日本人には感知されない種類の「薄気味の悪さ」がそこに出現してくる。
そこには自分の政治的メッセージを中国の人々に「理解してもらいたい」という思いがまったく感じられないからである。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」