(▼コメント欄が見やすい「携帯版ページ」は→こちら。
・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。
最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動!
だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。
▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク
▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール

▼従軍慰安婦  ▼嫌韓下流
【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日本史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索


関東大震災における朝鮮人虐殺:群馬県の事例も

当時、政府機関や警察は、朝鮮人を「反乱の恐れあり」と決め付けて拉致・監禁する事件を引き起こしていた。まるで911以降のアラブ系アメリカ市民の不当逮捕を見るようだが、ことは拉致・監禁では終わらなかった。


▼「朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の記録
http://www1.jca.apc.org/aml/9710/6354.htmlあるいは
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/memo/23294.htmlを参照。
>また前出の高田さんも、軍隊が朝鮮人虐殺を始めたときの民衆のようすを
語っている。
・・・
それから朝鮮人殺しが始まりました。兵隊が殺したとき、みんな万歳、万
歳をやりましたよ。殺されたところでは草が血でまっ黒くなっていました

 ・・・
>機関銃での大量虐殺を見ていたというのは大川さん(仮名)、当時24歳
だった。(遺骨)試掘の時、河川敷に来て、話してくれた一人である。
>「22,3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは旧四つ木橋下流の土手下だ。
西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろ
から撃った。一梃か二梃の機関銃であっというまに殺した。それからひどくな
った。・・・


▼<関東大震災朝鮮人ら虐殺で新資料見つかる−−東京都公文書館毎日新聞
97年1月19日
http://www1.jca.apc.org/aml/9710/6354.html
>1923(大正12)年9月1日の関東大震災直後、6000人以上の朝鮮人らが虐
殺された事件に関連し、当時の陸軍省関東戒厳司令部が極秘にまとめた兵器使用の調査
表が東京都公文書館に保管されていることが19日までに分かった。朝鮮人を中心に約
280人の虐殺について実行部隊、兵器使用者、殺害方法などを詳細に記録しており、
専門家は「これまで朝鮮人虐殺には不明な点が多かったが、軍の行為を明確に裏付けた
貴重な資料」と評価している

 調査表は「震災後警備ノ為(ため)兵器ヲ使用セル事件調査表」と題され、漢字と片
仮名で武器を使用した20件を記録している。・・・


横網町公園関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page02fx05.html
・・・こうした政府の動きにあおられた「自警団」は、朝鮮人を街中で拉致して警察に連行し、あるいはその場で暴行・虐殺した。政府が朝鮮人への弾圧を緩和し始めても「自警団」の暴発はおさまらず、ついには警察署を襲撃してまで逮捕された朝鮮人を殺すようになった。横浜、本庄、寄居町(埼玉県)、そして群馬県の藤岡警察署でも、そのような事件が発生している。
 藤岡署では自警団は猟銃を持ち出し、朝鮮人を射殺・惨殺。さらには「自警団側は電燈線を切断し、警察署を真暗にし、瓦礫を投じて署内の窓ガラスを破壊して闖入し、公文書の一部を焼棄する等のあらゆる暴虐を逞(たくまし)うした」と言われる。この暴徒の鎮圧には軍隊の出動が必要であった。

▼山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺と現代』
http://www1.jca.apc.org/aml/9902/11145.html
群馬県藤岡署にも9月5日、藤岡の自警団がおしかけて署内に留置中の朝
鮮人16名を惨殺し、6日には警察署と署長官舎に乱入して器物を破壊した。

>断っておくが、私は荒川の四ツ木橋や小松川習志野騎兵連隊が機関銃で
朝鮮人虐殺をしたこと
や、9月1日から2日頃、政府、県、郡、町村当局、警
察などが朝鮮人暴動のデマを流し、自警団結成を促したこと
を無視して上記の
ような民衆の行動を非難しようとしているのではない。
>デマを流し自警団結成を促した治安当局も3日から「鮮人の大部分は順良
にして、何等凶行を演ずる者無之に付、濫りに之を迫害し、暴行を加ふる等無
之様、注意せられたく。又不穏の点ありと認むる場合は、速かに軍隊、警察官
に通告せられ度し」(9月3日警視庁公告)と、民衆が国家権力の統制からは
み出して「良鮮人」と「不逞鮮人」の区別なく殺害するのを抑制する処置を取
り始めていた。
>国家権力にしてみれば、無差別虐殺が引き起こすであろう朝鮮民族の反撃
の増大や国際世論の非難を恐れたのであろう。
>しかし、民衆はそうした思惑を働かせる地位にはなく、国家によって植え
付けられた国家理念を純粋に表現して行動する。それだから、民衆には国家権
力の思惑からくる朝鮮人対策の転換は変節に見え、彼らを怒らせた。

>9月6日の本庄署襲撃事件も、この日に署長が一般大衆は朝鮮人に手を出
すな、と言ったことに原因があるらしく、群衆は「今までたのむたのむといっ
ておきながら、何事だ」と怒って襲撃に及んだという。
>9月6日の第二次藤岡事件の原因も、「吾々が苦心して捜査同行し来たれ
る鮮人を漫然釈放する如き警察に鮮人を任せ置く能わず」という警察に対する
民衆の不信と怒りから起こったのである(『上毛新聞』1923.10.28)。

この歴史上の事件から、どのような教訓が引き出せるだろうか?
・・・「昔っから嫌韓厨ってのはサイテーだな」?いや、そういうことじゃなく。
広い意味での「教育」のあり方しだいによっては、「ごく普通の人間」であっても、こんなにも不寛容で狂気に満ちた存在になれるし、そんな自分を正当化してしまう、ということだ。
一方的な情報しか与えられない状況下では、「ごく普通の日本人」が、民族浄化めいた大殺戮を引き起こしうる、ということだ。
『教科書が教えない歴史』は、「朝鮮人を救った日本人もいた」という・・・。
たしかにそういう奇特な人々もいただろうが、だからどうだというのか


▼「痛恨の歴史」を「美談」にしたてあげて引用した藤岡信勝『教科書が教えない歴史』に
 引用元の著者が痛烈な批判。
http://www.han.org/a/half-moon/hm046.html
・・・警察署を襲って朝鮮人を殺した人々は、さぞや自国に誇りを持つ「愛国者」であったろう。美しき日本を汚す「不逞鮮人」を殺すことに何のためらいもなかったろうし、少しでもそれをかばう者は警察官といえども許しがたい存在だったのだろう。
しかしながら、いま現在の日本で同様の事件が大規模に発生しうるかといえば、そんな条件はまずない。それはやはり太平洋戦争による「大日本帝国滅亡」の帰結であるし、肯定すべきことではないのだろうか。
・・・といったことを、群馬県の「自由主義史観」先生に教えてあげたいが、
まあ聞きゃしないだろうね(@∀@)


がんばれ子供たち。バカな大人のまねをしちゃいかんぞ。

「憲法9条で、アタマ悪い『対テロ戦争』をかしこくサボろう
「愛国心とか夢見てんじゃねーよw
 国家は国民を守らない。君の生活とか老後は特に。」
「日の丸・君が代とか強制してると国が滅びますよ!(@∀@) (例)大日本帝国」